第4話 十歳 春
「よし、一応これで完成かな。はあー、疲れたぁ」
屋敷の裏庭の一角。雑多な道具類が収められている小さな倉庫の前で、ヴィルヘルムはそう言いながら息を吐き、ぺたりと地面に座り込む。
十歳になったヴィルヘルムは相変わらず剣術の稽古を受けているが、残念ながら肉体的にはあまり精強でないらしく、筋力や体力は同年代の並以下のまま。木材を切ったり釘を打ったりと慣れない作業をこなしたせいで、それなりにくたびれた。
「アノーラ、手伝ってくれてありがとう」
「お礼なんて不要ですよ。一緒に作業ができて、とても楽しかったですから……これで、領民たちの脱穀作業が今よりずっと楽になるんですね?」
「そのはずだけど……まあ、使ってみないと分からないね。形は想像通りのものができたけど、試作品だからまだまだ改良の余地があると思う」
共に作業に励んだにもかかわらず、あまり疲れた様子もないアノーラの問いかけに、ヴィルヘルムはそう答える。
「名前は決めていらっしゃるのですか?」
「うん。千歯扱きって呼ぼうと思ってるよ。実際には千本も歯があるわけじゃないけど、まあこの見た目通り、とにかくたくさん歯のついた道具ってことで」
「なるほど。百足も本当に足が百本あるわけではありませんからね」
クスクスと笑うアノーラに、ヴィルヘルムも笑みを返す。
幼馴染として、彼女との仲は今も良好に続いている。座学の時間や日中の余暇時間をほとんど常に一緒に過ごすのは、六歳の頃から変わらない。
「さてと……それじゃあ、早速だけど父上に見せなきゃね」
そう言って、ヴィルヘルムは立ち上がる。
貴族の子として生活の余裕とある程度の自由を持ち、この世界においては高度な教育を受け、読書を趣味として育ちながら、ヴィルヘルムはこの人生での新たな夢、理想とする幸福のかたちを定めた。
様々な物語を楽しみながら、自分でも物語を手がけ、自作の物語を人々に披露して楽しんでもらいたい。そうしながら楽しく平和に暮らしたい。
新たな人生を送っているとはいえ、同じ記憶を持つ人間だからか、結局は前世と同じような夢を抱いていた。前世では道半ばで途絶えた夢を、今世で再び叶えたいと思うようになった。
最近ではまた、物語を少しずつ自分で書くようになっている。創作者としての矜持はあるつもりなので、前世で楽しんだ他者の作品を今世で自作として拝借するような真似は決してしないが。
とはいえ今のままでは、書いた物語を広く発表する場は得られない。字を読める者がごく限られる世界で、文字だけの物語を大勢に届けるのは難しい。
なのでヴィルヘルムは、いずれフルーネフェルト男爵領の領都ユトレヒトに劇場を開き、役者を雇い、自身が手がけた物語を演劇にして領民たちに、そしていずれは周辺の貴族領の人々にまで届けていきたいと考えている。
劇場を開くというのは、このような小領にとっては大きな試み。領主家の子だが次期当主でもない自分では、やりたいと言って簡単にやれることではない。
ならば、フルーネフェルト男爵領の発展、男爵家の利益となる功績を上げた上で、己の個人的な挑戦を父や兄に認めてもらうのが最善だろう。ヴィルヘルムはそう考えた。
幸い、自分にはこの世界よりも遥かに進んだ文明社会の記憶がある。前世の創作物でも、異世界に生まれ変わった主人公が現代の知識を活かして活躍する物語は一つの定番として人気を博していた。自身もそうした物語に親しんでいたからこそ、ヴィルヘルムも行動を決意した。
このやり方ならば、自分だけでなく周囲の人々にも利益がある。この領地が発展すればそれは領民たちの幸福にも繋がり、領地の発展によって多くの利益が上がればフルーネフェルト家はより裕福になる。家の財産に余裕が生まれれば、役者を雇って劇場の運営を軌道に乗せるまでの予算を捻出することも容易になるだろう。
そのような考えのもと、ヴィルヘルムが最初に取り組んだのが千歯扱き作りだった。仕組みの単純な千歯扱きならば、曖昧な知識をもとにしても自力で試作品くらいは作れるだろうと考え、その考えはどうやら間違いではなさそうだった。
「男爵閣下をここまでお連れしますか?」
「そうだね。農具である以上は父上の前で使ってみせないといけないし、かといって屋敷の中にこれを持っていって脱穀作業をするわけにもいかないし」
アノーラの言葉に頷き、ヴィルヘルムは彼女と共に屋敷の裏口に向かう。
・・・・・・
新しい農具を発明した。ヴィルヘルムのその言葉を、フルーネフェルト男爵家当主である父ステファンは子供の戯言と一笑に付すことはなかった。
聡明な次男が自信ありげに言うのだから、何かしら見るべきものがあるのだろう。そう思ってくれたらしく、わざわざ執務を中断して屋敷の裏庭に出てくれた。
そして今、ステファンと、彼が同行するよう命じた文官が一人、そして弟の発明とやらに興味を抱いたらしい兄エーリクが、千歯扱きの試作品の前に集まっている。
「新しい脱穀の道具か。見た目から使い方は何となく想像がつくが……これをお前が考えついたのか、ヴィリー」
興味深げに千歯扱きを観察しながら、ステファンは言った。
元々は年齢のわりに若々しい容貌をしていた彼は、妻レナーテの死をきっかけに老け込んた。四十代半ばの今は皺や白髪も目立つようになり、良く言えば領主として貫禄がついている。
「はい。農作業で使われるピッチフォークや、夕食のときに時々出てくるフォークのかたちが面白いなと思って、そこからこの千歯扱きを思いつきました」
前世の歴史で千歯扱きを開発した人物には申し訳なく思いつつ、ここは自分の発案ということで説明する他ないので、ヴィルヘルムはそう語った。
ロベリア帝国の食事風景では貴族でも手づかみが主流だが、一部の上流階級の間では手を汚さない食事方法としてフォークの使用が流行しつつあり、比較的開明的な人間であるステファンも気まぐれにフォークを食卓で用いている。
現代日本の生活を知るヴィルヘルムにとってはむしろ懐かしい食器であるフォークと、その形状の由来である農業用のピッチフォークを、千歯扱きの発想の元ということにする。
ステファンの隣で腕を組みながらヴィルヘルムの説明を聞いていたエーリクは、感心した表情で弟の方を向く。
「ヴィリー、お前なかなか面白いもの作るじゃないか」
「えへへ、凄いでしょう」
「お、ちょっと褒めたら調子に乗りやがって」
ヴィルヘルムが誇らしげに胸を張ると、エーリクは笑いながら乱雑に弟の頭を撫でる。自慢の金髪をぐしゃぐしゃにされたヴィルヘルムは「うひゃあ」と言いながら兄の手から逃れる。
「どう思う、ハルカ」
息子たちの戯れを横目にステファンが尋ねたのは、ここまで伴ってきた文官。
フルーネフェルト家の従士の一人で、ハルカという名のこの女性は、現在は領内の農業に関する事務をしている。まだ若手ながら有能で、いずれは文官の筆頭になるとステファンから見込まれている。
「んー、なかなか有用な道具に見えますねぇ。今みたいに棒で叩くやり方よりは遥かに効率的に脱穀できそうです。仕組みは単純ですから誰でも扱えるでしょうし、製造にあまり手間やお金がかからないのも利点になりそう……さすがは賢いヴィルヘルム坊ちゃまのご発想ですね!」
千歯扱きを観察していたハルカは、主人の問いかけにそう答えながら、ヴィルヘルムに笑みを向ける。ヴィルヘルムも得意げな笑顔を返す。
建国当初より積極的に移民を受け入れてきた帝国は多民族国家であり、ハルカは前世で言うところの東洋系の顔立ち。今は西洋系の顔立ちだが日本人として生きた記憶も持つヴィルヘルムとしては、彼女にどこか親しみを感じる。
「では、夏の収穫期に試してみるとしよう。それで効果を見て、使えそうなら本格的に量産し、来年から領内の脱穀作業に使う」
信頼を置く従士の意見も聞いた上で、ステファンは即座に判断を下した。
父の言葉に、ヴィルヘルムは喜色満面になる。
「ありがとうございます、父上!」
「俺もこの道具は有用そうに思える。よく作ったな、ヴィリー」
素直に喜びを表すヴィルヘルムに、ステファンは優しい表情で言った。
子供である自分の話にも真面目に耳を傾けてくれる父のこの柔軟さが、ヴィルヘルムは好きだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます