第41話 先生の本音

 オレはひっつめ先輩のアドバイスを鑑みて、さっそく演出家の先生を稽古場近くの居酒屋に呼び出した。安くて面目立たねえが今のオレにはそんな金ねえ。時間は夜9時。現在公演準備の真っ最中で、多忙を極めたなかでの会合痛み入る。


「すんません、忙しいのに」


 オレはビールグラスを突き出して、頭を下げる。二人でちんと鳴らすと先生が真っ暗なサングラスの奥の目を細めて笑った。くっとビールを煽るとくうぅっとまるでドラマのセリフのようなうなりを上げた。


「美味いねえ、どの店にいってもビールはハズレがない」

「そっすね」


 たははと笑ってグラスを置いた。こんな話がしてえわけじゃない。


「今日はどうしたの」

「……せんせえ」

「ん?」

「オレ舞台デビューしたいんすよ。なにが足りてないのか教えてください!」


 頭を下げると頭ががんっと机にぶち当たった。そのまま涙声で続ける。


「オレ、ちゃんと考えたんすよ。オレは生きてた方がいいのか、死んでた方がいいのか。オレ、死体がやりたいっす。舞台の上で派手に死にたいんすよ」


 死体かあ、といって先生はまだアツアツのおてふきで両手をぬぐった。ちょっと言葉を溜めてるようだった。


「立長くんさあ、月代止めちゃったよね」


 唐突な話題にオレは考える。気になってたのだろうか。


「はい。……先生がそうした方がいいからっていうから」

「オレ、残念だったなあ。きみのあのスタイル好きだったんだけどなあ」

「……へ?」


 オレは目をくりりと差せて顔を起こした。あごは木のテーブルに着いたままだった。


「学生時代のキミには覇気があった。あの鬼気迫るような演技、迫力。そうだな、あんなすごいの見たことないってくらいに惹きつけられた。あの時のきみにはすごく可能性を感じたんだよ」

「はい……」

「キミは舞台に出られない日々が続いてる。毎日、みんなの練習を見に来ては使いっぱしりみたいなこともして。必死でなにかをつかみ取ろうとしてる」

「はい」


「でもさ、思うんだよね」


「?」

「キミ、悔しいって思ってるかな?」


 えっ。オレは予測もしてなかった言葉に冷や水を浴びせられたような心地になった。


「アルバイトしてさ、まあ苦労はしてるけどそれなりにふっくら生きてて。毎日練習風景見学して。頑張ってればいつかは立てる。芽は出るって」


 オレは返事も出来なくなって口を引き結んだ。


「同期がどうして練習見にこないか分かるかい?」

「…………」

「みんな来ないんじゃないよ。来られないの、悔しくて。キミが来ない陰でオレのとこに来て泣きながら演技してるやつだっている。台本ぼろぼろになるまで練習して読めなくなったから古い台本でいいから貸してくれてってやつもいる」

「……あの、先生。オレ」


 だめだ、なにかをいわないと。そう気持ちが焦るのに指が湿ってうまくいい訳が出てこない。


「キミが月代止めちゃったのは残念だった。あんなに破天荒な演技してた子だからきっとアドバイスなんか無視して貫いてくれるだろうって期待してたんだよ」

「あの、なんでもやります。やりますからお願いですから」


 お願いですからなんだよ、って自分でも思った。こんな陳腐な足掻き、舞台の台詞にもなりゃしねえ。


「案外来るの遅かったよね」


 三か月……取り戻せない時間が頭のなかで鉛のような重みを持った。後悔が水底に沈んでゆく。そうか、ちっとも分かってなかった。頑張ってるようで頑張っていないのはオレだけだった。


「あの本当に……」


 本当にオレは役者になりたくて。本当にそうか、本当に? 本当に。


「牙の抜けた狼は要らない」


 眼球が乾くくらいに見開いて先生を凝視した。熱い、目が焼けるように熱い。サングラスの奥の目は笑っておらずオレを見下していた。イヤな予感が体の芯を駆け上がる。その予感をぶった切るように言葉が注がれた。


「辞めていいよ」


 オレは劇団をクビになった。

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