第24話 姫喰い(2)

 静かな暗闇で命が胎動していた。赤い明滅は強くなり熱のこもったように女の腹を押し上げる。鬼女から苦しみの言葉がひとつ漏れた。


「お前たち殺してやる、絶対に許さない! わたしは、わたしは……あ、ぁあああああ」


 新月の夜に明かりはささず、断末魔だけが伸びゆく。悲しむものはなく、荒々しさだけが尾を引いた。靖代は本当に嫌われた娘だった。本当に嫌われた娘だった。




 十九年前の記憶も古い日、靖代という村娘が子を身ごもった。靖代は村中の男を喰い物にした美貌を持つ気性の粗い女だった。


「待ちんさい、靖代。どこへいくのかえ。男のところじゃないだろうね」

「母さんは醜女だからさ。どこへ行こうと勝手だよ」

「いつか罰が当たるよ。お前は他人の性を理解してない」


 靖代は母の言葉を無視すると着物の袂を下品に押し広げ、口元に紅を引き女の顔を作ってひっそりとした裏山へと向かった。


 その日の逢引の相手は靖代の執心していた男であった。熱く絡み合って何もかも忘れる。靖代は陰気臭いこの村が嫌いだった。憎みたいほどにうんざりしていた。ひと時の情事ではそれを忘れられる。恍惚とする女の傍らにはいつしか常世が横たわっていて、だが男はそれをひと言も告げなかった。息を切らして組み敷いた男は靖代に向けて笑う。


「お前死ぬぜ、オレはどうなっても知らんからな」


 滑る唇に向かって靖代は問いかけた。


「どういう意味だい」

「お前は母体にされたんだよ」


 崖から突き落とされたほどに肝が冷えた。母体。この村でその意味を知らぬものはない。靖代は烈火のごとく怒って集会所に駆けこむと村の権力者どもに向けて発狂した。


「どうした靖代」

「あたいが姫神産むって誰が決めたのさ! いったやつ出てきてごらん」


 姫神、とは村で古くから引き継がれてきた因習だった。村では十八年に一度姫神と呼ばれるお子を身ごもらせて、母体と呼ばれる産み手は例外なく十三か月後に腹を捌かれて死ぬ。明らかなこと。これまで一つの例外もなかった。


「誉れと捉えよ。他に代わりなど見つからぬ。姫神の母となるのだぞえ」

「騙したんだろう、産む前に舌をかみ切って死んでやるよ」


 狂気を見せた靖代は村の男衆に取り押さえられて猿ぐつわをはめられると小さな物置に押し込められた。はだけた胸元のまま爪を立てて猛り叫ぶ。


「こんなこと許されると思ってるのかい! 姫神なんて私は産みやしないよ」


 小屋の外で老婆は低く唸る。


「選ぶのはお前ではない!」


 戸を掻くと白魚のような指から爪がはがれて血にまみれた。それでも靖代は抗うことを止めなかった。


「開けろ! 開けろ! 開けろ開けろ!」


 木戸は強く揺れて音を立てる。だがそれも数時間すると静かになって中から呪いのようなすすり泣きが聞こえてきた。しゃがれた声で靖代が歌っていた。


「ひとつ、お前を殺します。ふたつ、お前を殺します。みっつ、お前を殺します……」

「様子を見ておけ、姫神を産むまで死んでは困るのでな」


 老婆の歩調は遠のいていく。靖代は静かに小屋の中でこぼした。


「……あたい死にたくないよ、死にたくない」




 十三か月後の姫神の誕生の儀、臨月をとうに過ぎた靖代が面前に引きずり出された。髪はだらしなく伸びて頬は痩せこけて悲壮。阿鼻叫喚の目元で虚空を見ている。精神は異常をきたし、異様なほどに膨らんだ腹を厚い帯で締め付けている。


「靖代」


 老婆の声に正気を取り戻した靖代は女とも思えぬほどの強力で村人を殴り倒したかと思うと老婆の首を絞め殺そうと暴れた。それを数人がかりで引き離す。


「殺してやる、全員呪い殺してやる!」


 住民の男五人がかりで両手を押さえつけて天を仰がせると包丁を突き立てた。


「許さないよ、一人残らず道ずれにしてやる。あああ、あああああああああああ」


 臓腑が裏返りそうなほどの叫びのなかでひとつ産声が上がる。赤子にしては大きすぎる血にまみれた女児はまるで神の子が産まれ落ちたかのような威光を放っていた。ひとりの女の逝去とともに誕生した美しいその子は村の衆によって魚代うおよと名付けられた。

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