第25話 姫喰い(3)

「このお人形さん裂いたのだあれ」


 井戸の端に無残に裂き捨てられた人形を見て女児の一人が声を上げた。女児たちは怯えきり腹綿を八つ裂きにされた人形を直視できないでいる。


「わたし」


 白魚のような少女が紅をさした妖艶な口元でつぶやいた。人形に向かって手を差し伸べると鎖骨で切りそろえた黒髪がさらりと揺れる、魚代は笑わない子だった。


「かわいそう」

「魚代さまは残虐がお好きなのね」

「お前たちがいけないの。川に流しましょう」


 女児たちは立場上逆らうことができず魚代のあとについて川べりに向かった。魚代は着物をたくし上げ、川べりでしゃがみこむと両手で人形だった残骸を水流に浸した。


「お前も母のように死んだのよ、さあお帰り」


 水面に浮かんでは消えて人形はとうとう川下に去りゆく。異様そのものだった。


 女児の何人かはこのことを帰宅して両親に話した。すると大抵のものは慄いてわが子を近づけまいとした。


「関わってはダメだよ。あの方は尊い方なんだ」

「尊いって?」

「えらいってことなんだ。お前のお友達ではないよ。本来は口もきいてはならぬ方なんだ」

「母さんたちのいうことを聞いて関わるのをおやめなさい」

「うん、分かりました」


 村人は魚代から次第に離れてゆき、十五歳にもなるとそばに侍るのは子犬だけとなり、魚代はその孤独を癒してくれた犬を『肉』と名付けて可愛がった。


 彼女の生活は孤独そのものだが魚代には孤独という言葉の意味が分からないでいた。魚代の遊び相手はいつも肉だけ。だから魚代は戯れでよく毬を投げた。絹糸に包まれた毬を投げると肉が走って拾いに行く。少し遠くへ投げるとまた拾いに行く。退屈な日常のなかで繰り返される退屈。軋む心を受け止めてくれるのも肉だけだった。


 ある日、憤慨して力の限り遠くへ投げると川に落ちた。肉は水が怖いらしく尾を巻いて震えた。


「どうしたの、拾いにいきなさい」


 肉は小さな鳴き声でおびえていた。魚代はその肉へ向けて金切り声を上げた。


「拾いに行きなさい!」


 あまりの剣幕に逆らえず肉は水の中へ進んだ。おびえている間にも毬は下へ流れていこうとしている。肉は恐怖をかなぐり捨てて、腱を引きつらせながら懸命に水を掻いた。毬を追って泳いでゆくが寸でのところで追いつかぬ。


「頑張りなさい!」


 決死の思いで何とか追いつくと毬にしがみついた。と思ったのもつかの間、毬は浮力でくるりと一回転して肉は足を滑らせる。肉は生にしがみつこうと決死の思いで藻掻いた。だが、そのまま水をたくさん飲んでやはり二度と浮かび上がることはなかった。


 その晩、魚代は村の一番大きな屋敷で肉を食べた。雉の肉だった。上品な唇でくちゃくちゃと咀嚼しながら満足そうにしている。


「お嬢さま、肉はどうされたのですか」


 長老によって唯一つけられたそば仕えが尋ねると魚代は冷笑した。


「どの肉かしら、たくさん食べたから分からないわ」




 魚代の誕生日が一月後に迫った吹き降る雨の日、近く村の集会所で会合が開かれた。子供たちには内緒にした有力者だけの会合だった。


「あの子は気味が悪い。肉と名づけたのも異様過ぎる」

「早くどうにかならないかしら」

「みんな寄り付かないでしょう」

「滅相なことをいうものではない!」


 長老に一喝されて村人は黙る、互いの心には経ねばならぬあの出来事が渦まいていた。


「来年の誕生日までの辛抱だ」

「本当に喰うのかえ」


 一人の老爺の声にみんなが凍りついた。直視できずにいた恐怖だった。


「靖代を弑したときからそのつもりだったろう」

「あの子は格別気持ち悪い。こんな姫神かつてない」

「靖代の生き写しだ」


 十八年前に村人で黙殺したはずの靖代の死。それが今ここに来て大きな禍根となろうとしていた。村では十八年に一度少女を村人に産ませて姫神に祀り上げ、村の安泰を祈願する。十八年間大事にされた少女は役目を終えると村人に食される。これを神卸の儀という。魚代の十八歳の誕生日は来月に控えており、すでにどこかの女の腹には次の姫神が宿っていた。


「今度のはいかん。喰えば祟りが起きるんじゃないかの」


 老爺の言葉に合わせて雷が落ちた。浮かび上がった顔の陰影は村の衆の不安を物語っていた。祟りという言葉がどうしようもなく畏怖させる。


 ふいに障子の向こうで声がした。長老のそば仕えの声だった。


「どうなさったのですか、魚代さま」


 ぞっとした心地で衆が振り返ると落ちた雷とともに障子の向こうに人形がくっきりと浮かび上がった。


「わたしを喰うのかえ」


 鈴を鳴らしたような声で尋ねてくる。もう一度少女が尋ねてくる。


「わたしを喰うのかえ」


 くくっと漏らして薄気味悪い笑声が去ってゆく。誰もが肝を絞めつけられて冷汗を掻き、一言も発することができなかった。

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