第23話 姫喰い(1)

 前回の公演ライフォールの鏡の評判がひどく良かったせいか、チケットは見る見るうちに完売。校内外から多くの観客が集まった。オレにとって天啓ともいえるのがひっつめ先輩の就職先の劇団関係者が観に来ていたことだった。青天の霹靂、人生を変えるほどの出会いが間もなく訪れるがとにもかくにも公演開始前のオレはそんなこといざ知らず作り込んだ役柄に全力投球、舞台上で死ぬことに命をかけていた。


 ぼろを着てその時を待つ。いざ開眼、静かに舞台が幕を開けた。



       ◇



 静かな霧雨が降っていた。ビニル傘にたまった雨粒を弾いて村井は「今日は厄日らしい」とつぶやいた。


「どうしたんですか」


 後ろをくっついてきていた助手の田賀が尋ねた。遠く雷鳴が聞こえている。黒い雲から血筋のような青い雷が落ちて地面を響かせた。待望した神喰村はまだだった。山道をかれこれ三時間半歩行しているがまだ着かない。


「雷ですね、もうじき着く頃なんですが」

「方角はあっているか」

「傘を畳みましょうか」


 山の中で傘を携帯していて避雷針代わりになってはたまらない。道淵に潔く捨てると河童を被って二人歩いた。


「たぶん間違っていないですよ。大岩をさっき過ぎましたから」


 目印という目印のなかった参道で唯一あった大岩に巻かれていた紙垂を思い出して田賀がいった。あの大岩は異様だった。大勢の人間を押しつぶし血にまみれたような無言の気配があった。


 民俗学の研究者村井と助手田賀は地方のある村の因習を聞きつけてその地を目指している。××県の山奥に姫神と呼ばれる娘を祀る村があると。姫神を産むのは母々と呼ばれる女で十三か月子を身ごもり、産まれた姫神は神の化身として大切に十八歳まで育てられるらしい。


 日本には現人神を祀る地の噂がいくつか存在していて、それを調査しまとめ神話体系として書籍にするのが今回の旅の目的だった。


「今時、車で行けないってどうやって生活しているんでしょうね。コンビニだってスーパーだって。ここ日本ですよ」

「少し休もうか」


 愚痴をこぼし始めた田賀に村井は声をかけた。冷たい雨がパーカーから出た頬を打つ。木陰に寄って雨宿りすれば雷が落ちるかもしれない。だから曇天の下で空を嘆くしかなかった。涙のような空模様にそろそろ性根尽きそうだった。


 しばらく歩くと集落が見えてきた。窪んだ谷間に静かに横たわるように伸びた茅葺屋根が軒を連ねている古い村だ。時代をひとつ間違えたかのような景色が広がっている。息を切らしながら二人歩いて直近の家屋をのぞいた。


「ごめんください」


 声が静かな三和土に伸びていく。中はひんやりと冷めていた。聞こえなかったかと声を重ねようとしたとき奥からしわがれた腰の曲がった老婆がのぞいた。


「すみません、余所者ですがこの村の方にお聞きしたいことがありまして」

「なぜ帰らなかった!」


 鋭い眼光ににらまれて二人は言葉を失した。老婆の糾弾に表情を凍らせる。追い払おうとしている気配があった。


「儀式に参加するのかえ!」


 一拍思考する。儀式って、と呟きかけた田賀を制すると村井は開口一番に潔くこういった。


「分かりました、参加させて下さい。私と彼の二人で」

「えっ、ちょっと先生」

「泊めてくださいますか」




 枕元で静かに帆の明かりが焚かれている。湿気臭い綿布団を被って茅葺屋根の高い天上裏を見ていた。疲労困憊だが、どうにも寒さと緊張で眠れそうにない。


「先生、ここおかしいですよ。何です、儀式って」

「分からないよ、だから泊まったんだろう」

「僕は帰りたいです。すでに気持ち悪い」


 綿布団に身を埋めるようにした田賀に声をかけた。


「まるでアマゾンの奥地にあったあの村だな。あの時は住民を十二人襲った三メートルの人食いワニを丸焼きにしたよ」

「その話はもういいですよ。美味しかったんでしょう」


 そうだな、不気味だと呟いて村井は隣の耳を澄ませた。隣の部屋から老婆の寝息が聞こえている。すでに夢の中らしい。


「儀式の噂、ちょっと聞いたことがあるんだよ。だから残ったんだ」

「どんな噂ですか」

「神を人に孵す儀式だよ」

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