第65話 長電話

「いやさ、マジ良かったわ。今度さ、一緒に観にいかね」

『一回観てるんでしょう』

「この間のは分析しながら観て、今度のは美代子とラブラブしながら観んのよ」

『ラブラブしない。わたしはお芝居観るのよ』

「ばっ、お前。芝居っつたらラブラブだろうが」

『馬鹿ね、切るわよ。もう夜勤の時間だから』

「お、おう。そうか。じゃあ頑張ってな。また明日な」

『うん、お休み』


 オレは黒電話の受話器を置いてふうっと籠っていた息を吐いた。今日の電話は楽しかったわ、うん今日も楽しかった。


「はい、九十円」


 電話を追えるなり間髪入れずに大家さんが手を差し出した。オレは用意していた小銭を手のひらに置くとまた貸してなといい置いて部屋へと帰った。


 まったく切り詰めた生活で観劇料と電話代ばかりがかかりやがる。でもなあ、美代子と話すの楽しいんだよ。やめらんねえ。そう心でつぶやいて布団に横になると枕元に置いてあった台本をめくった。途中まで読んである。新作の舞台だ。


 オレはデビューしてから六つ舞台を踏んだ。どれもちょい役、モブっていうのかな。オレの望み通りではあるのだが周囲の受け止め方がどうも現実とかけ離れている気がする。実家に電話すると母ちゃんはあんたのサイン欲しいって近所の藤村さんがいってんのよとかいうし、兄貴は兄貴で結婚式の余興やってくれよとか役者とはまったく関連性のない依頼してくるし。理解してくれてんのは親父と村崎くらいか。あと美代子。


 そう思ってにんまりする。いやさ、最初地味女とか思ったけどよく見ると可愛いわ。なんていうの、堅実だし、しっかりしてるし。いい嫁さんになるわな……と思ったところで。


「オレっち収入少ねえんだわ」


 頭をがっくりと落とす。そうオレはマジで冗談にならないくらいに収入が少ない。収入の大半は家賃に消えて、一日二食。服を脱いだら鶏ガラ、顔面はかろうじてピカソにならないようキープしていたがとてもじゃねえが養っていける自信はなかった。


「どうっすかな。はあ。美代子ぉ」


 丸めた布団を足に挟みこんで悶える。右へ左へのたうち回ってても金はやってこない。腹ばいになって、仕事仕事と台本をパラパラめくり目を落とした。今度は物語の佳境で崖から飛び降りるインパラの役だ。動物の役とかしたことも無かったのだがそれこそなけなしの金で動物園に通い、インパラの前で餌食って糞してるとこ三時間眺め続けて……って長くなるから省略するな。まあいずれどっかで語るわ。危険なのでセットの裏にマットは引いてある。ただ若手の仕事とはいえ、一度怪我したことある身としてはどうしても慎重にならざるを得ない。


 立長吉幸、二十七歳。独身。貯金三千八十五円。マジでどうしよう。

 オレは小銭入れを持つともう一度電話を借りに廊下に出た。


「大家のおばちゃん。ごめんもっかい借りるわ」

「いいけど長電話だとつかえるよ」

「はは、ごめん」


 そういって黒電話のダイヤルを回す。相手は二コールで出た。


「おっ、村崎。村崎か。オレさ、立長だけどよ」

『あ~まじ立長か! どうしたの、久々に電話とか緊張するじゃん』

「しねえよ!」

『そうだな、しないよな』


 二人で馬鹿いい合って大家のおばちゃんと目が合いそうだったので目を反らしてからひそひそと話した。


「ごめん今度会って金貸してくんねえかな今生の頼みよ。ほんとマジ悪りいんだけど」

「へええ、バイクでも買うのか」


 いや、実はこうこうで説明をすると村崎は快く会って話を聞くことを承諾してくれた。電話を切り終えたオレはほっとする。友達だもんな、大事なタイミングで助けてくれんのほんとありがてえ。ほんとは親に金だけは借りるなって、金の切れ目は縁の切れ目だっていわれてんだけどどうしても必要な時もある。


 寂しい小銭入れから三十円を取り出すとじっと睨んでいた大家のおばちゃんに渡した。背伸びをして肩を鳴らしながら「はあ、人生どうすっかなあ」と独りごちた。

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