第64話 公園の芝生の上で
「いや、ほんとマジであの熱量はすごい」
「うん、ほんと。よく表現できるねって思ったもん」
美代子とのデートはもっぱら小劇場での観劇で、朝から二人で観にいってはアレコレ感想を述べあうのが日常となっていた。芝生の上にはバトミントンを楽しむ親子や追いかけっこをする子らの姿があって近所の公園の長閑な昼下がりだ。
しかし、金がねえ。断っておくとオレ持ちだかんな。
「なんだろうね、ああいう表情観てると乗り移った気になるのよ」
「憑依してるってやつだな」
「なんか怖いね、その表現」
「実際オレもそうだろうが」
キャップを取るとぺチンと頭を叩いて月代をピーアールした。二人笑う。この頃、オレは時代劇のために再び月代にしていた。アレだな、心配すんな。デートだからちゃんと隠してるから。
「でも嬉しかったわ、誘ってくれて。なんか鬱々としてたから」
あ、とオレは一拍置いてしょんぼりした気持ちになった。美代子は先日担当していた患者さんを亡くした。いつでも声かけしてくれるとても愛嬌のあるおばあさんだったという。
「ごめんな。なんか」
「ううん、いいの。ちょっと落ち込んでたから。喜劇でよかった」
今日観たのはコメディで、美代子が落ち込んでいるのを知っていたから選んだ。どう響くんだろうなと思っていたけれど、美代子が隣に座って手を叩いているのを見たらほっとした。
「あのね、吉幸くん」
「うん?」
「わたし吉幸くんのお芝居好きよ」
「なんだよ、突然」
ウリウリと肘で腹をつつき合って笑う。美代子は止めてよとくすぐったそうにした。
「あのね、わたし職業柄亡くなった人にもよく接するでしょう。亡くなったあとのエンゼルケアだったり、ご遺族の方と話したり」
うん、とオレは笑うのを止めて真剣に耳を傾けた。
「そんな時にああ、わたしなにも出来なかったなあっていつも思うのね。あの時にああしてあげていればとか。この配慮が足りなかったなとか」
「そんなことねえよ……」
「ううん、そんなことあるの」
美代子は励まそうとしたオレの言葉を振り切ってポニーテールを左右に揺らした。
「仕事でちゃんとできなくて落ち込んで。今の病院に勤めて四年が経つけれど未だに人の死に慣れたなんて思ったこと一度もないわ」
「そだな」
「うん」
美代子は言葉を探しながら続けた。子供たちが遠くの噴水ではしゃいでいた。
「ちゃんとできなきゃ、しっかりしなきゃ。わたしが完璧にできなきゃ患者さんは路頭に迷うことになるって。メトロポリタンの劇場にいくまではそう思ってた」
オレは真剣に美代子の横顔を眺めていた。そばかすの乗った輪郭がふっと上気した。その熱を帯びた視線にきゅうっと気持ちが締め付けられた。
「人間ってのはいつも未熟でなにかに一生懸命打込んで進んでいくの。手加減なんてしない。いつでもまっすぐに全力で。あなたの舞台を観ているとそれを意識させられる」
オレは目を見開いた。ああ、そうか。そうだったのか。美代子はあの日。初めて観にきてくれたあの日にそういう思いを抱いてくれたのか。だからオレと——
「今は。大事なのって全力を尽くすことじゃないのかなって思ってる」
ありがとうといって美代子がそっぽを向いて恥ずかしそうにしたのでオレは堪らなくなり、思わずぎゅっと抱きしめた。
「ちょっ、吉幸くん!」
慌てた美代子の言葉を遮り、オレは涙声で精いっぱいの気持ちを込めた。視線は空を向いていた。
「頑張れ美代子! 泣くな、いや泣いていい。頑張ろうな」
「……うん」
美代子の涙声が小さく胸のなかで聞こえた。
それからちょっと色んな舞台の話をして、美代子の大学時代の初デートのエピソードなんかもほじくり出した。普通は嫉妬すんのかな、でもオレは割と落ち着きた気持ちで楽しく聞いていた。美代子という人間がどういう人生を歩んできたか。どんなことを経験し、なにを思って、なにを信じて努力してきたか。かけがえのない素晴らしい女性が今そばにいてくれる幸せを十分に噛みしめながら。
人間は時に心を痛めながら歩んでいく。美代子であっても美代子でなくてもそうなんだな。でもそんな時にオレの舞台を観て、ほんの少しでも心を救われて、そしたらまた前を向いて進んでいけて。見知らぬ誰かの人生のなかにそういう出会いがあってもいい。オレは心の片隅で思った。
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