第9話 憧れのキャンパスライフ

 オレは今、大きな鷲のモニュメントが居座る鷲田大学の大手門にいる。大手門をくぐると赤レンガの石畳があり、ピッカピカの真新しいスーツを着た新入生たちが講堂向けて歩いていく。高校卒業から苦しい二浪の末、オレもそれをようやく許された。


 憧れのキャンパスライフ、よっしゃ演劇三昧するぞ。とまあ、恋愛や青春や勉強のことは置き去りで頭のなかには演劇のことしかなかった。オレは良くも悪くも一意専心だな。一つのことに集中すると他はなんにも見えねえ。それが類まれなる集中力を生むんだが、まあ自分でほめそやす話でもないしな。


 鷲田大学の演劇サークル『繕』は全国的にも有名で多くの名だたる俳優が誕生し、入部して万が一いい役なんてもらえた日には将来への道筋が約束されたようなもの。役者を志しているオレにとっては格好の場所だったわけだ。


 講堂に集まって学長や来賓のありがたいようなどうでもいいような話をあくびをしながら聞いて、入学式のあとがいよいよ本番。お楽しみのサークル勧誘だ。講堂から出ると景色が一転して多くの在校生が登り旗を手にビラを配っていた。通る端から声をかけている。ピンクのチラシにはチアリーディング、おいオレは男だぞ。なになに黄色いビラにはワンダーフォーゲル部、なんだそりゃワンダホーの親戚か? 演劇はどこだ、演劇は。


 探しまくったけれども演劇部はどこにもいなかった。あれほど有名な演劇部が勧誘をしていないとは考えにくい。きょろきょろと辺りを見回しながら登り旗を探したがどこにもいない。募集はしていないのか、急に変な汗が出てくる。オレはこのために二年を費やしたんだぞ


「あの、すんません」


 似顔絵を描くパフォーマンスをしていた漫研の男子生徒に声をかけると「なにか?」と突き返されるように返事をされた。


「演劇部『繕』ってどこにあるんすか。勧誘してるんだろうけど見つからなくて」

「ああ、やってないよ」

「やっ……」


 まるで冷や水を浴びせられたように肝が冷えていく。どういうことだよ、どうゆうことだ!


「演劇部は今年はオーディションで入部させる生徒を決めるから、告知のビラが掲示板に貼ってあるはずだよ」


 あ、なるほど。やってないって勧誘をやってないということか。でも待てよ。まずいじゃねえか! オーディションだと。


「掲示板ってどこっすか!」


 あっちと指さすと漫研の男子生徒は似顔絵描きに戻っていった。オレは真ん中のでかい池を渡り橋で渡って掲示板を目指す。どこだ、どこだ掲示板。気持ちが急いて止まらない。心拍数がばくばくと上がっていく。


 あった! たくさん張られたビラの合間に光沢紙のポスターを見つける。写真背景のかっこいいポスターにはこう書いてあった。



——演劇部『繕』 劇団員若干名募集 

次回公演予定 ライフォールの鏡 6月14日 



「じゃ、若干……名……」


 意気消沈だ。どういうことだよ。オーディションがあるなんて事前情報になかったぞ。二年間降り積もっていた演劇の気持ちが破砕してコンクリートの床に吸い込まれてゆく。そのまま立っていられなくてくらくらとしゃがんだ。


 必死に勉強した二年間が。返してくれ、オレの二年。


 泣きたい気持ちで再度ポスターを確認し、がっくりと肩を落としたまま詳細をぶつくさ繰り返しながらオーディションの申し込みにとぼとぼと歩き向かった。


 演劇部の部室は渡り廊下の先にあった。たくさんの部室が居並ぶコンクリート打ちっぱなしの別棟の一番端にある。開け放した部室の前でちゃんと長机が準備していて、そこできらきらした美人が受付していた。小顔のひっつめ美人。学生なのにちゃんとプロの劇団員の雰囲気があった。


「すんません、オレ。オーディション受けたいんすけど……」


 よほど元気がなかったのだろう。死体みたい気持ちだったからな。ひっつめ美人がちょっと心配そうにした。


「大丈夫?」

「いや、ほんと。すんません。オーディションあるって知らなくて」

「新入生ね。ごめんね、ちょっと部の方でごたごたがあって今年から設けてるの」

「そっすか……」

「名前書いて」


 差し出されたボールペンを握ると手元が震えた。左手で右手首をしぼってなんとか書ききる。字までがくがくと震えていた。


「たながよしゆき」

「たてながっす……」

「ごめん、たてながくんね。土曜日の9時、動きやすい服装でね」

「はい、すんません」


 意味不明な謝罪までして説明書きをもらうと、肩を落としてその場を立ち去った。冗談みたいな現実だった。これで落ちたらどうすんだよ、もう入学しちまったんだぞ。こうしてオレのキャンパスライフは暗雲立ち込める曇天の下で始まった。

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