第10話 オーディション

 ぼろっちいアパートの畳の一室であぐらをかいて唸る。今日から一人暮らしだが気分は荒海のなかにあった。なんだよ、オーディショって。腑に落ちない思いではあるが参加しないことにはメンバーになれねえ。ビラには『フリー演技審査』と書いてある。すなわち自分のもってる力量をいかんなく発揮せよということだろうな。


 オレは考えた、オレの実力ってどのへんよ。あごに手を当ててしゃくる。


 オレが高校でやってきたのはすべてサイレントだ。サイレント部なのだから当たり前だよな。でも今度受けるのは演劇サークルだ。台詞がある。


「めんどくせえな」


 どうすんだよ、台詞。しゃべったこともねえぞ。なにしろ入って身に着けていくつもりだったからな。しゃべれないのならばしゃべらないのも一案だが、とふと思う。


 フリー演技といわれて思いつくのは演舞だった。脳内に武井部長と村崎の切り合いのあのイメージがある。心に切り込むような燃え立つ瞳の時代劇が……


 オレはパンっと頬をはたく。


「よっしゃ、やっぱりアイデアで目立つしかねえだろうな」


 オレはなけなしの金を持ってダッシュで家電量販店に向かった。




 オーディション当日、キャップをかぶったまま慣れない講義が終わってピロティへ向かう。黄色と青のゴムタイルの床は柔らかく沈んでいかにもな雰囲気だった。講義棟が遠かった工学部のオレ以外はすでに来ていて、参加したのは全部で八名だった。八人くらいならみんな採用してもよさそうだがそれでも選ぶということだろう。


 長机の左に筋肉質の厳しそうな部長がいて右に先日のひっつめ美人がいる。ボールペンを持って、ロンTとジャージという動きやすい格好で本当に劇団のオーディションさながらの雰囲気があった。


「じゃあ、皆の前で一人ずつ演技していってもらいます。テーマはないから自由にやっていってください」


 みんなの前でなんて、こういうのいきなりハードル高けえよな。トップバッターなんて緊張してやがる。他は三角座りで順番を待つ。そいつが面前で披露したのは彼女との痴話げんかを独り芝居するというものだった。なるほどなるほど。うん、脚本もやってる内容も凡人の域を出ねえ。


 二番バッターは宝くじが当たったけれどそれを周囲に知られないよう隠し通すという珍妙な演技だった。これにはちょっと笑った。でも演技力はイマイチだなあ。次は大リーグの某野球選手の日常、次は小料理屋のおかみの小芝居で——


「立長くん」


 いよいよオレの番が来た。胃が裏返りそうなほど緊張して進み出る。黙して七五度のお辞儀をするとキャップをとった。すると瞬間的に周囲がどよめく。


 そうだ、どうだ。驚いたか!


「さか…………やき」

「ぷっ」


 オレを見る部長の目の色ががらりと変わった。となりでひっつめ美人が口元を隠して小さく吹く。そう、オレは入学式の後で家電量販店に電動バリカンを買いに走った。


 本気を見せるにはこうするしかないと思った。こっちはこのオーディションに命懸けてんだぞと。着ているのはあくまでジャージだが、それを錦の着物に見せなくちゃならねえ。


 中腰で手を広げて空気を一変させるひと言を吐いた。


「信勝め、謀りおったな!」


 焦燥感を出すためには言葉尻を切った。すっと霧散するような呼気のリズムで焦燥感を演出する。


「火の手がもうそこまで迫っておりますお逃げください」


 身を左右にひるがえしながら主と従者の一人二役をやる。悲壮な女、追い詰められた男。足を大胆に開いて男が覚悟を決めた一太刀を振るう。


「やああっ」


 男は刺客に一太刀を浴びせながら本殿の外へと逃げまどう。太刀をやっておいてよかったと心から思う。素人だが武井部長と村崎の指導は本物だった。重たく演じる、軽いと思わせちゃならねえ。気迫と覚悟。


——青葉しげる高山の古月を思いて我落涙す


 鮮やかな孤軍奮闘、獅子奮迅の勢いを見せながらも追い詰められて無数の矢に射られた武士は辞世の句を残す。血を流して右へ左へ体をキレよく動かしながら壮絶な最期。


「わが、天命、尽き……たり」


 手を天に向けて悲壮に伸ばし切れ切れに声を残す。燃え盛る社のなかで散りゆく栄華。演技し終えたころには色物に対して半笑いだった部長もひっつめ美人も真剣だった。生唾を飲み込む音が聞こえてきそうな雰囲気で、なにかを感じてくれたのかもしれないがちょっとよく分からねえ表情だった。


「ありがとうございました!」


 潔くお辞儀すると背後で思わぬ拍手がなった。驚いて振り返ると背の低い女生徒がきらきらとした目つきでサルのぬいぐるみのように手を叩いていた。部長とひっつめ美人はなにかを相談している。オレは息を切らしてそれを呆然と見た。


 気もそぞろのままにオーディションは終了して部長はこう宣言する。


「みなさま本日はありがとうございました。オーディションの結果は月曜日に掲示板の方に張り出します。今しばらく審査をお待ちください」


 なるほど蛇の生殺しってわけか。これはしばらく授業に身が入らねえな。頭頂部まで緊張して血管が震えてやがる。やり切ったやり切ったぞ。キャップを被るとつるりと冷え切った素肌が心なしか温もりを帯びた。


 以降、オレは人生の大事な局面でたびたび月代となる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る