第8話 反省会、そしてその後

「すんませんでした」


 反省会をしようと集合した屋上で、オレは真っ先に武井部長に潔く頭を下げた。サイレントであるにも関わらず舞台でしゃべってしまったこと。一番の武井部長のポリシーを傷つけたのだ。叱責されても文句はいえない。すると後頭部にこん、っと柔らかなこぶしが落ちた。


「頭上げてくれ、立長。しゃべったのならオレも同じだ」


 あれほど憤怒していた気配は微塵もない。すっきりとした表情をしていた。たぶん二人も同じだったのだろうな。そう、あの夢のような光景がまだ頭のなかで輝いている。満員御礼の拍手、頑張りましたねの拍手じゃない。もっとちゃんとした演劇に対する感銘のビッグウェーブで……


 ものも言えずに黙りこんでいると武井部長がスーパーのビニール袋に入った微糖の缶コーヒーを差し出した。秋風吹きすさぶなか、緑のコンクリートに座り込んで三人で飲む。すするとほろ苦さが口のなかで解けてゆく。


 白い湯気を吐きながら武井部長がいった。


「オレは秋には引退する。二人で協力して部を引き継いでくれ」

「えっ。サイレント、辞めちゃうんすか」


 思ってもみなかった唐突の別れ。これほど執心しているサイレントをあっさり辞めてしまう、それはとてももったいない気がしていた。


「いや、大学にいって演劇は続けるよ。できればサイレント部という形でやっていきたい」


 晴れやかな笑顔をしている。武井部長は三年前にサイレント部を立ち上げたとき、どんな心地だったのだろう。それが想像できてしまうくらい彼の歩んだ道は険しかったといえる。勇気があるんだな、いや情熱か。すごいなと思った。


「大学か」


 村崎が視線を落とした。まだ一年のオレたちには関係ねえ、でもその時はきっとあっという間にやってくる。


「行きたいところ決まってんすか」

「オレの脳みそならいけるところは限られてくる。演劇の強豪でなくてもいい。一から仲間を見つけてやってみるよ」


 そういうとすっとオレたち二人の前に立って手を差し出した。


「ありがとう、村崎、立長。最高の思い出が出来たよ」


 なんだよ、分かれ際じゃんか。コーヒーで冷えた手で握手をするとぶわっと涙が出て止まらない。過ごした時間は村崎と比べ物にならないほど短いのに。嗚咽しながら目元をこする。ありがとう、ありがとう武井部長。


 部長の去った屋上にオレは村崎と残った。西の空に輝き始めた大きな夕日を見ている。空をゆくのはカモの群れ……じゃなくてただのハトか。センチメンタルな気分だった。


「部長はお前だ立長、オレは引き続き副部長をやる」

「なんだよそれ。経験なら明らかにお前の方が」

「オレにあの熱量は出せねえよ。あの意気で部を引っ張ってくれ」


 村崎の瞳をのぞき込むとつぶらな瞳は夕日を照り返してオレンジに輝いていた。彼は溜めていたように言葉を吐き出した。


「立長、お前才能あるよ。演劇の有名校へいけ、浪人しても」

「おいおい。まだ初公演したばかりだぜ、大げさだ。それにオレは一年だぞ」

「三年なんてあっという間にくる。だから今から少しずつ準備しておくんだ」


 こいつずっと考えてんだな、オレは大学なんて意識したことなかった。高校出たら働くくらいの気持ちでいたから。浮き立つ気持ちがコーヒーの匂いとともに静かに消えていく。


「楽しかっただろ」

「そうだな、楽しかった」


 それだけは後腐れのない気持ちだった。大学か、もう一度心でつぶやく。馬鹿な頭でいけるだろうか。そのためにはうんと勉強しなくちゃな。今思うとこれが人生の転機、決意が変わった瞬間だったと思う。この時からオレの目には将来の目標が少しずつ映り始めていた。


 帰宅して夕食のときに珍しく食卓を囲んだ父と話した。皮切りに話しかけてきたのは父の方だった。


「お前よかったぞ、父ちゃん感動した」

「来てくれたのかよ」

「チケット買ったろう」

「買っただけで来てくれねえかと思ったんだよ」


 父はビールを手酌しながらふっと鼻で笑う。忙しすぎて実際来ない可能性の方が大きかった。でもちゃんと来てくれた。


「あの女走りよかったな、悲壮だったぞ」


 ちょっと難しい言葉でほめてくれた。悲壮ってなんだよ、馬鹿には伝わらねえ。やっぱ勉強しないとな。


「父ちゃん、オレ大学いきてえ。いって演劇続けてえんだ」

「そうか。頑張れ」


 それから話に花が咲いて珍しく楽しかった。あれやこれやにぎやかに話していると受験勉強中だった兄が二階から降りてきて加わり、台所で夕飯の片づけをしている母をよそに男衆で笑い話をする。男の熱さっていいな、そう思っていた。


 それから部員が少し増えた。オレが部長、村崎は副部長となり有意義な二年半を過ごした。後輩に演技指導したり自分の演技を磨いたり。妥当じゃない部分もあっただろうが一生懸命で、この時期の努力とやりがいというのは心の奥底に焼き付いている。だからどんなに苦しくても踏ん張れるんだな。あの時あの瞬間、そう。オレたちはたしかに馬鹿みたいに青春していた。


 そして二年後、涙の卒業式。オレたちは両手に持ち切れぬたくさんの思い出を抱えて後輩たちに見送られながら卒業していった。

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