第7話 演劇に恋をした日
演劇部が退出すると同時に、有名兄弟が演奏するロック三味線のBGMを響かせて、二人のサムライが送り足で舞台に登場した。すっと二人描いたように同時に額づく。集った観客への挨拶だ。ようこそサイレント部の公演へ。かっこいい。ひたすらかっこいい。着物を着ただけでピリリと引き締まる迫力がある。
三味線が消えて、春の陽気な音楽に変わる。いよいよサイレントの始まりだ。
二人表情を和らげて手をつないだ。幼き頃の水田でのカエル取りや野山で遊ぶさまを豊かに表現する。ポイントは楽しさを表現するということ。この幼き頃の思い出が作品の根幹にあるから、極めて繊細に演じなければならなかった。
二人は成長とともに立身出世し、剣士として頭角を現す。二人菅笠を持ち峠の茶屋で休憩しているところへ店番の娘が現れた。オレ氏登場だ。
ここで一番大事なところは
女だからな、すね毛も腕毛も昨日の夜に剃った。娘は店先の木に咲いた花を見て笑顔を綻ばせた。二人長椅子から立ち上がって大げさにリアクション。武井部長にいわれて納得だったがサイレントは大げさなくらいがちょうどいい。台詞がないので表情と動作で空気を伝えきらなくちゃならねえ。まあ、根本からして通常の演劇とは違うわけだな。
弥彦と喜兵衛は同時に女の色香に心惹かれて恋に落ちる。
じつは三人でどうするか一番悩んだところなのだが、サイレントで恋に落ちる瞬間を表現するというのは思いのほか難しい。心の動きってのがどうにもハードルが高けえ。そこで武井部長は台本を演じやすいように書き換えた。瞬間的に惹かれるのではなく、ゆっくり惚れていく。女が右を向けば左から見る男二人、女が左を向けばささっと移動して背後から二人覗き見する。この辺はチャップリンだ。
これからが一番大事なところだが、ここは割と演じやすくて弥彦の抜け駆けのシーンだ。喜兵衛が隠れるように舞台袖に引いた。オレと村崎が会話した。しつこくいい寄られて逃げようとする娘としつこく追いすがる弥彦。体を抱き寄せられてオレは腕を体の間に差しいれて突き飛ばした。弥彦はどたんと派手にすっころぶ。
戻ってきた喜兵衛が二人の異変に気付く。娘は喜兵衛に泣いてすがった。ここで電撃が鳴った。いよいよ二人の仲たがいだ。
弥彦と喜兵衛はもみ合いになって怒鳴り合う。二人は娘の好意をかけて決闘を始めた。BGMは吹雪へと変わった。ここからが一番の見せどころの殺陣だ。鮮やかに美しく狂気を見せる。二人は本当にすごい、ありえないくらい練習してる。昨日の中庭での公開練習が頭をよぎった。ずいぶんと気持ちよかった。拍手に包まれてみんなこぞってチケットを買ってくれた。
たぶんそれが間違いだったんだな。オレはあろうことか観客を見てしまった。
暗闇の体育館の奥まで人がいる。高所から照っている舞台照明のまぶしさに目がくらみ急に心臓が縮み上がった。
すっと視線を引き戻すと二人の切り合いが佳境に入り、武井部長が刀を振り上げていた。
——覚悟!
いけない。タイミングだ。出遅れそうになったオレは心臓を爆つかせながら決死の思いで舞台中央へと走った。
あ、今オレ最高にいい緊迫感が出ている。そう油断した瞬間、着物の裾を踏んで足が前に向けてつんのめった。体の芯が揺らぐ。すべてがスローに映る。すべてが瞬刻の出来事、オレは舞台の真ん中へ叩きつけられるように派手にすっころんだ。
BGMが鳴り響くなか、演劇が止まった。膝がじんじんと痛い。空気が凍っていた。誰もなにも言わない、と思ったらぷっとひとつ鳴って。
どっと体育館が爆笑に包まれた。口元が悔しさに震える。拳を握った。オレはあろうことか反射的に舞台の上から怒声を叫んでいた。
「笑うなーーーーーー!」
しんと空気が静まり返る。
「必死で演じているのになにが可笑しい! なにが可笑しいんだ」
血管が切れそうになるほど叫ぶと声がかぶさった。
「しゃあべるんじゃあねえ! 立長」
オレよりでかい声で武井部長がキレていた。オレははっとする。まだオレたちはサイレントの最中なのだ。オレは拳を握り目をぐっとつむると動作を思い返した。
二人の間に入って喜兵衛の刀に切り捨てられる。そしてオレは鮮やかに絶命した。やがて弥彦と喜兵衛の勝負は相打ちに終わる。三人が絶命したところで幕引きとなった。
倒れたままオレは泣きたい気持ちだった。真剣だったのに笑われた。頑張ったのにミスしてしまった。こんな失態があるかよ。そう思って身を起こすと信じられないことが起きた。
あれほど笑っていた観客がみなきらきらとした目で拍手をしていた。感動のビッグウェーブが沸き起こった。見えない奥の端まで詰まった客が感動しきりだ。オレはあまりの光景に声も出せず尻餅をついた。
すげえじゃねえか、サイレント。横を見ると武井部長も村崎も感動を言葉に表せず愕然としていた。人生にこんな瞬間があるかよ。光の海には最高の感動が揺蕩っていた。ああ。泣きたさをこらえて笑顔で立ち上がった。
オレはこの時この瞬間、演劇に恋をした。ま、しばらくは片思いなんだけどな。
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