第6話 出番待ち

 文化祭当日、クラスの出し物のお化け屋敷の幽霊役をやり終えると着物を着付けておかま走りで体育館へ急いだ。ちょうど吹奏楽部のコンサートが終わったころ。入口の暗幕をくぐり、思った以上に観客がいることに驚いた。暗がりのなか舞台照明だけがまぶしく、煌びやかな金管楽器の金色こんじきをみて、ああオレもあの舞台に立つんだなと強く意識させられた。


 観客にまぎれて吹奏楽部が退出しているのを眺めていると右の体育館の前方の入り口から入ってくる集団の影が見えた。演劇部だ。


 衣装の形状まではよく見えないが、舞台セットを持ち込んでなにやら大仰な準備をしている。演目は『グスコーブドリの冒険』。かの有名な宮沢賢治の短編小説だ。


 オレは先日の部長の言葉を思い出していた。


「立長よ、オレがなぜ演劇部ではなくサイレント部にこだわるか分かるか」

「いえ」


 部長は腕を組んで深く頷く。


「オレは元々演劇部だった」

「えっ、そうなんすか」


 ちょっと意外な事実に驚いた。


「一年の中ごろまでは小間使いで衣装の準備やらセット作りやら忙しくしていたが、二学期になってちょい役を与えられたときに感銘して退部し、サイレント部を立ち上げたんだ」

「立ち上げた……」


 一人きりの部が立ち上がっているかどうかも問題であるが、それよりもちょい役を与えられたのになぜ退部する。そこが一番気になった。


「役もらえたのに嬉しくなかったんすか」

「嬉しかったからやめたんだよ。そうだ、その時のオレには台詞が


 ああ、そうか。武井部長の初めての演技もサイレントだったんだと目が覚めるような心地だった。


「セリフのない役にこそ魅力がある。言葉のない中でいかにその心情を伝えるか。命を散らす刹那に目で、身振りで、心で伝えきる。そこにこそ魅力を感じないか」


 武井部長は普段淡泊なのに演劇に対しては並々ならぬ情熱があった。武井部長の言葉に父の言葉が重なる。


——台詞がないのに聞こえてこなくちゃならねえ。


 そうなんだ。サイレントはそうなんだ。


 黙考していた寸刻にブザーが鳴り響く。演劇部の公演が始まった。男役がはきはきと声を上げる。


「飢饉を助けに来た。ついておいで。もっとも二人はつれていけない。女の子。おじさんと一緒に町へ行こう」


 なんだろう。立派な台詞なのにまるで幻想を見るように舞台が揺らいでいく。ゆらゆらとゆらゆらと。静かに呼吸した。頭のなかで音だけが消えて映像が明瞭になる。


 数人の演者が出てきて、身振り手振りでストーリーを伝えて……ふと気づく。

アレ。これって……伝わるか?


 目の前で演じられていることがまるで分からない。演者が一生懸命になって表現しようとしているものの正体が伝わってこない。


「気づいたか、立長」


 驚いて振り向くと着物姿の武井部長がいた。いつのまに。


「セリフがないと成立しないようで演劇といえるのだろうか」

「いえ……るんじゃないっすかね。分かんねえすけど」


 いっていて自分も武井部長と同じ違和をなんとなく感じている。あの白黒の時代劇は音を消しても台詞がちゃんと聞こえてきた。でも演劇部の演技にはそれがない。まあ、学生だしな。武井部長の態度にはそんな言葉で片づけられないような圧があった。そうなんだ、武井部長はそれに気付いたからサイレントにこだわったんだ。


「演劇部として舞台に立つのもいいだろう。だが、おれはサイレントでしか伝えられない感動を伝えたい」


 今思うとオレはこの時サイレントを選んでいて本当によかったんだ。だからこそ演じるということの根底にある大事なものに気づけた。台詞じゃない。念じて伝える。


 ごめんな、吐息した。心で演劇部に謝る。あんたたちのは伝わってこねえんだ。でもオレは伝える。


「行こうぜ、立長」


 後ろを見ると同じく着物姿の村崎が笑っていた。天然パーマがこんなに頼もしく見えた日はない。


 もしかするとみんな演劇部の公演が終わると退席するかもしれない。でも販売したチケットの五十人はくる。でも本当はもっと欲しい。心から感動してほしい。観客のほとんどは「サイレントってなんだよ」ってたぶんはじめ聞いた時のオレと同じ感覚だな。オレたちには少なくともそれを覆す準備はできている。


 いよいよオレの役者人生の第一歩、開幕だ。

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