第5話 文化祭前夜のチケット

「売れねえ、全然売れねえ」


 文化祭を明日に控え、校内は各クラスの怒涛の準備が進む。学ランやら体操着姿の在校生が廊下まで占領し、開け放しの教室は絵の具やらマッキー臭い。


 オレたちサイレント部はゲリラ公演を予定しており、クラスの出し物の手伝いをすっぽかして、校内で必至こいてチケットを売っていた。学生の文化祭の出し物でチケットなんて必要ないようなものだが、部長の見識では売りさばいた分だけ必ず観客は来るし、設けた金は部費にしたいとの密かな内情もあり、ひと公演百円と破格の安さで提示しているのだが。


「まったく売れねえ」


 百円ならば友情で買ってくれる。声を大にした部長の目論見は外れ、百円でも来ないものは来ない。これでは最悪がら空き公演となる可能性がある。


 ちなみに売れない役者となるこれから先の人生でオレはたびたびチケットを売りさばくことになるが、世間もみなそう簡単に買ってくれるものじゃない。金額も高校の文化祭とはケタ違いだものな。割と神経をすり減らすほどに辛い作業で、バイト先の従業員にペコペコしながら無理やり来てもらう日もあった。


 とにかく今回、部で用意したチケットは全部で百枚、一人三十三枚のノルマだったが、コミュ力お化けのオレの販売数は断トツで十二枚、村崎五枚、武井部長に関しては一枚とふがいない結果だった。


「いいよ、しゃーねえ友情だ」

「よっしゃ」


 説得のすえオレは意気揚々とチケットを渡す。微笑む友人の顔は菩薩に見えた。しかし、これで十三枚。圧倒的に熱量が足りねえ。


「ところでさあ、立長。サイレント部ってなによ」


 当然の疑問だな。オレもなんだって思ったもんな。


「サイレントってのは黙劇っていう一種のパントマイムでこういう……」


 身振り手振りでギャグを演じるとどっと笑いが起きる。すると次々手が伸びてきて、それなら見に行きたいわと百円を差し出してくれた。時代劇なんだけどな。皆チャップリンだと思ってやがる。これ正解なんかな。




 チケットを売りさばきながらも公演の練習はしなくてはならない。だが、ここでひとつの問題が起きた。稽古場所の取り合いである。強豪の演劇部が舞台で通し稽古をすると決めてしまったために直前稽古が出来なくなってしまったのである。


 衣装も用意した。BGMをセットしたラジカセも準備。なのに舞台を占領されてしまったため、行き場がなくなってしまった。視聴覚室では映画研究会の準備が進んでいるため使用できない。途方に暮れてオレたちは立ち尽くす。


「仕方ないな」


 武井部長は塩顔でカッコつけていった。


「どうするんすか」

「公開練習しよう」

「公開練習!」


 オレと村崎は口をそろえて叫んだ。


 武井部長の作戦はこうだった。中庭で武井部長と村崎がド派手な殺陣のパフォーマンスをして立て看板を立てておく。立て看板にはゲリラライブの宣伝が書いてあってオレがチケットを売りさばく。


 ……なんかアレだな。まるで大道芸人みたいだが。


 中庭のど真ん中の木の前を陣取って二人が学ラン姿で対峙する。衣装を着ねえのかと問うたが敢えて学ランを着ることで本番はもっとすごい迫力なんだろうなと想起させようとの思惑があったらしい。武器は殺陣とBGMのみ。


「押しますよ」


 ボタンを押し込むと派手な三味線がべべんと鳴り始めた。周囲の学生が何事と視線を向ける。二人が正座して対面し、本番用の木刀を持ってお辞儀をすると切り合いの勝負を始めた。


 カン、木刀がひとつ高鳴り空気が震える。村崎が体を龍のように演舞させた。


 カン、部長の広背筋がしなる。大ぶりの一閃が降り注ぎ村崎はそれを地面すれすれに木刀をスライドさせながら受け止める。 


 そしてオレは声を上げる。


「チケットいかがっすか~」


 終わったころには拍手の荒らしで、結果チケットは用意していた量の半分くらいは売れた。それだけの気迫があったということだ。二人の実力に超絶感謝だな。オレたちはまずまずのいい気分でパフォーマンスを終えることが出来た。




 文化祭は明日で気持ちは浮足立っていた。公衆の面前で町娘をやる。死んだばあちゃんの大島紬を借りて舞台に立つ。着物の丈は母ちゃんが直してくれた。父ももうすぐ帰宅するころだが、ちょっと先日エロ本を見つけられた気まずさもあった。土木設計をしている堅物の父はどうも扱いづれえ。いっつも難しい顔してビール飲みながら柿ピー食ってるからな。でもちょっと今日ばかりは話したかった。女には分からねえ男の情熱がある。


 帰宅した父ちゃんが背広を脱ぐのを待って冷蔵庫から瓶ビールを持ってきた。対面に座ると栓を抜く。父がおや、という顔をした。


「どうした吉幸、話したいことあるんか」


 深々とした声でいうからこちらも構える。それを押して声に出した。


「父ちゃん、オレサイレント部に入ったんよ」

「ほおお」


 父ちゃんは死んだじいちゃんの影響で演劇を観る。だから古い映画の知識やら時代劇のうんちくがある。ビールをグラスに注いでやるとゆっくり泡に口づけてズズッと飲んだ。


 オレが興奮気味に部活のあれこれや、文化祭で役をもらったことを話すと鷹揚に相槌を打ってくれた。


「そうか、黙劇か。黙劇っていうのはなあ、吉幸。知ってるか」

「なにを」

「聞こえてこなくちゃならねえ」

「聞こえる?」


 父は乾ききったイワシの目刺しを口にくわえた。乾ききったはらわたを食いちぎる。黙劇なのに聞こえる、ちょっと意味が分からなくて耳を傾けた。


「実際は音がないんだろう」

「BGMなら流すよ」

「そう、でも台詞はない。台詞はないのにしゃべってるように聞こえてくる。ありありと。それが黙劇っていうんだぞ」

「黙劇……」

「まあ、しゃべってるように見せるのは演技力のなせる業だな」


 そう満足げにいってリモコンを持った。テレビをつけるとニュースにした。父はバラエティなんか見ない。その頑なさに心が疼いていた。今ならいえる。


「あのさ、父ちゃんお願いがあるんよ」

「ん」


 決意して自分の部屋に急いでアレを取りに走った。裸足に階段が冷たい。戻ってきてすっと差し出すと父が目を丸くした。


「チケット一枚百円。買ってくれ。観に来てほしいんよ」


 心臓が爆ついてやがる。父ちゃんが「ん」といったあとビールを飲みながら部屋から財布もってこいというので取りに走った。オレは父の財布の中の百円とチケットを交換した。




 晩酌に付き合ったあと、オレは不思議な気分のまま自室のベッドに横たわっていた。父の言葉を反芻している。


——台詞がないのに聞こえてこなくちゃならねえ。


 果たしてオレの演技は聞こえるのだろうか。ちゃんと心に響くのだろうか。


 今思うとこの時のこの言葉がなかったらオレは役者を続けちゃいられねえ。だってそうだろ、死体役者には台詞がほぼないんだからな。


 よってこれは、オレがこれから先の役者人生で長いこと付き合うことになる海よりも深い真理である。

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