第4話 サイレント部
次の日からさっそくオレの部活動は始まった。公演まで一週間もないこともあり、場所を体育館に移す。舞台の下ではバレー部が緑のネットで仕切って練習をしていた。大きなかけ声とボールを打つ音の合間に武井部長が声を張り上げる。
「いいか、立長。ステージに向かって見て右が上手。左が下手だ。タイミングを見計らってオレと村崎の切り合い中にキュー出すから上手の舞台袖から出てきてくれ。場当たりじゃねえ、端折るからとりあえずは動作の確認だ」
いってることがさっぱりだが、実は舞台用語に関してはこの時に学んだ。ぺんぺん草も生えていないような実力での専門用語なんてどうでもいいようだが、実際にこの時知った言葉のいくつかはプロになった今でも役に立っている。
「分かりました」
武井部長の用意した新たなる脚本はこうだった。二人の剣士が河原で町娘を取り合い切り合っている。二人は大切な親友で町娘はその仲裁に入り、誤って片方の男に切り殺される。二人は彼女の亡骸に憤怒して真剣勝負を始める。
が、オレはその切られて死ぬ町娘をやる。
ちょっとありきたりでつまんねえ脚本だが部長に文句はいえねえ。学生の演劇なんてまあこんなもんだろう。とにかくそのときのオレたちは真剣だった。
オレは学ランを脱ぐとシャツを腕まくりをした。町娘なら着物を腕まくりしてるだろうとの推測だ。しかし、切り殺されるってどうやるんだろう。当たり前だが切り殺されたことがねえから分かんねえ。
武井部長が近づいてきて不思議がっているオレに厳つい形相でいった。
「間違っても声は出すんじゃねえ」
武井部長の薄い目には虎を射殺すような迫力があった。
「……了解……しました」
こうして三人きりの通し稽古が始まった。
【弥彦と喜兵衛は幼き頃から親友だった。剣士となって立身出世し、ある日訪れた茶屋で可愛らしい町娘に同時に恋をする。三人の恋のバランスは絶妙な具合で均衡状態が保たれていた。だが、ある日弥彦が抜けがけしたことにより二人の剣士の争いが始まる】
——弥彦、貴様お初に手を出したこと恥じておろうな。
——呑気に構えている貴様が悪いのだ。
——それでも剣士の端くれか!
——お前も剣士ならば決闘で決着をつけようぞ。
——覚悟!
町娘が走り寄り、叫ぶ。
——やめ、止めてーーーーーー!
叫んで仲裁に入ったお初は切られて地にくずおれて……
「おい、立長」
武井部長が進行を止めた。オレは倒れたまま顔をくいっと上げる。
「なんすか」
「お前女だろう、それじゃ女の死体に見えねえよ」
「えっ、あ。そうすか。男に見えたっすかね」
ぽりぽりと頭を掻いて急に演じていた熱が冷める。起き上がると部長が厳しい顔をしていた。なんともいえない空気になって、そのあとも部分稽古したがやっぱり部長は納得いかない様子で首をひねり、その日はそれで練習がお開きとなった。
自宅に戻ったオレはリビングで胡坐を掻いてじっくり考えていた。オレは男だ。男が男に見えるのは当然でそれを女に見せなくちゃならねえ。女ってなんだよ、女ってどういうことだよ。哲学を引っ提げてじっと台所に目をやると母のピーマン尻が見えた。
女、女、女…………
「どうやって女になるんかな」
「あんた、なにいってるの!」
なるべきは町娘。色っぽさが足りないとかそういう問題じゃないだろう。溌溂としてねえのか。アヒル口にして首をかしげながらテレビ台に移動すると、亡くなったじいちゃんが撮り溜めた時代劇のビデオをデッキに突っ込んで再び胡坐をかいた。
古ぼけた白黒ムービーを食い入るように見る。身分を隠したお殿様が全国を行脚して悪を成敗する有名なヤツだが見たいのは町娘のシーンだった。
『藤吉ちゃん! 藤吉ちゃん待っておくれ』
出た。町娘! 妙に色っぽい雰囲気で走ってきやがる。ピンクの着物の裾をさばきながら山道を駆けていく。そこで藤吉に抱きつき…………ストップ!
もう一度見よう。巻き戻し再生をする。
泣き顔を作って悲壮な決意で今生の別れを惜しむように抱き着いて、顔を背中にうずめて…………ストップ!
「こう、か?」
オレは見様見真似で体をひねった。胸を突き出すようにしながら腕を上げ切らずにフリフリ、尻も揺れてたな。フリフリ。
「おい、吉幸」
声がしてドキリと振り向いた。帰宅したばかりの兄貴だった。
「お前、きもいぞ」
それだけいうと大学受験を控えた兄貴は二階の自室へ上がっていった。
オレは巻き戻しをしながらよく観察した。普通の速度じゃ理解できねえ、スロー再生だ。するとだんだん見えなかったものが見えてきた。
あ、着物だと内股になるんだ。つま先をそっと寄せる。着物だからなで肩か、ちょっと肩を落とそう。で。
もう一度巻き戻すと、町娘の表情が見えた。そうか、全力で走ってくると息切れしてるからあご上がるんか。あごを少し上げてぜえぜえとしてみる。で。
あ、名前なんてはっきり呼べねえんだ。のどは詰まらせてるよな。
そうか、そうか。だんだんコツつかんできたぞ。
リモコンの音声ボタンを探すと消音し、そしてシーンの初めから再生した。するとどうだろう、音が消えているのに台詞が聞こえてくる。
——藤吉ちゃん、あたしも連れて行っておくれ。
——武士の旅に女などいらぬ。
——好きなんだよ。
——情にほだされて男の行く先を……
まあ、あとはメロドラマだな。大体記憶のなかでもそんな感じだった。オレはビデオを止めて、ちょっと呼吸した。胸元で拳を握りしめて感触を得る。できる、たぶんできる。確信か、これ。じつは演じるということを強く意識したのもこの時が初めてだったんだと思う。
艶めかしい表情を作って肘をひいて腰をふりふり。着物だからケツを強調する。……いや、ちょっとやり過ぎか。でもこれ着物きると確実に女に見えるんじゃねえか。
翌日、部活にいったオレは二人の前で会得した女走りを全力で披露した。
「どうだ、どうだ、どうだ!」
恥ずかしさなんて初めからない。そこはオレのいいとこだな。二人はぽかんとしたまま、棒立ちしていた。目の前でチャリがパクられたときの顔で心配したが、そのすぐ後に拍手が沸き起こった。武井部長が声を張り上げる。
「よくぞ気付いた、演劇とは観察力だ!」
「観察……力?」
「そう、お前はこの短期間にその技術を取得した」
「観察力……」
復唱するとこぶしをにぎった。そうか観察力。じつはこの時もらった有難い言葉は今でも大事に心の奥底で温め続けている。演技の基本の『き』。武井部長にほんと感謝だな。
とにかく武井部長は心の底から拍手していた。村崎もそうだったのだろう。あまりのインパクトに言葉も発せないでいた。
「気持ち……悪いか?」
「いや。町娘に見えた。色っぽかったぞ」
「ほんとか、ほんとだな!」
目を見開き喚起する。オレたちは肩を抱き合って喜んだ。迫力の武士の切り合いと町娘、完璧だ。完璧なサイレントになる。サイレントに絶対なる。あの時、オレたちは心から確かにそう信じていた。
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