第13話 ライフォールの鏡
「二日酔いがすげえ」
昨日の酒が胃の中で暴れまわっている。頭は破裂しそうだし、吐き気が止まらない。水を飲んでも酒の味。マジしくじった。しくじったわ……
「おうぇええええ」
ふらふらした足取りでベッドの横にもたれかかると投げ捨ててあった台本を脱力気味に開いた。ライフォールの鏡ってどんな話なんだろう。まあ、ちょっと読んでみるか。
【ライフォールという貧しい村に住むある青年はある日、街の骨董店で古い姿鏡を見かける。偶然に前を通過してふいに映りこんだ自分の姿に心酔し、しばらく座りこんで鏡の中の自分を見つめていたがその様子を見かけた店主がそっと声をかける。
——それは人間の死を映す鏡です。他人には決して覗くことが出来ず、自身の死を自身だけがこっそり伺いみることが出来るのです。鏡に映るあなたは何歳ですか、お若いか年老いているか。病死か、殺人か、老衰か。欲しいなんて人にはもう三十年出会っていません。自分の死に向かって生きたい人などそうそういないのです。欲しいのなら差しあげますよ。
不思議な魅力と因果を感じた青年は鏡を持ち帰り、村である商売を始めた。鏡を使った商売だ。
希望した村人に一回十ディルと少額のお金を取り鏡を見せる。自身の未来を映す鏡だとの触れこみをして。
はじめは恐々としていた住民たちだが覗けばそれがことごとく当たる。翌週の死を予言されたものもいた。一人また一人と信じて鏡を覗き始める。遠い未来の老衰だったことに喜ぶものもいれば思いのほか近い未来に事故死してしまうものもいて、でもそれは外れることなく必ず当たる。人々は次第にその鏡におびえ青年を忌避して暮らすようになった。
孤独の青年は村人から儲けることを止め、旅人相手に商売を始める。半年もすれば小さな村の鏡のうわさは方々に広まりライフォールの鏡として知れることとなった。
ある日、鏡は村を訪れた一人の老人の死を予言する。死の姿に直面した老人はほほうと笑って青年に向き直った。
「これは死を映す鏡かな。これを使って商売することの愚かさをあなたはご存じか」
「どういうふうに活用しようとオレの勝手だ。さあ、あんたも覗いたんだ。十ディルを渡してもらおうか」
言葉に応じて十ディル渡した老人だが、実のところ彼にはなにも見えていなかった。
そう彼に死は永遠に訪れない。白髪の老人の正体は死をつかさどる神だった。
神は横暴な青年に自身の正体を明かし、お前の命を刈り取るために来たのだと伝える。人は希望をもってそれぞれの未来のために生きる。だが、あぶく銭のために人々から人生の光を奪うお前は神の領域に触れたのだと。
神の逆鱗に触れたことを知りおびえるが時すでに遅く。青年は心臓発作を起こして鏡の前に倒れる。苦しみ藻掻く姿を鏡の中に見て、青年はその激情に驚嘆する。
映るのはあの日あの時鏡で見たのとまったく同じ衣服と髪型の自分。そう今こそが自分の死の瞬間なのだと悟り、阿鼻叫喚しながら彼は死んでいく。
躯となり果てた青年に神はこういい残す。
「生命はいつか死ぬからこそ、そのときを想像せず懸命に生きるのだ」
神は去り、鏡はやがて他人に渡って所在は行方不明となる。
時が流れ、ある町の骨董店で通りすがりの客が大きな姿鏡を見つける。興味を示した客に店主はこう答える。
――ライフォールの鏡ですよ。欲しいですか】
読み終えたあとしばらくなにも発せないまま呆然とした。圧倒的な感動に喉がつまった。ちょっとすげえなコレ。これを学生演劇でやるのかと思うと気持ちが疼いた。独特のらしさがあり、死という禁忌を扱ったセンセーショナルな作品で素人にはちょっと書けない雰囲気だ。
学生特有の瑞々しさがあり、岸本さんのその実力を見込んで演劇部は囲い入れたんだ。それが毒蛾の餌食に……いやいや、それはいいすぎか。
コンテンポラリーっていうのもものすごく頷けた。ひっつめ先輩の肩を持つわけではないがちょっとその感覚には同意する。とくに死に惑うようなシーンでそれをやるとめちゃくちゃカッコいい。これが舞台となれば相当な話題を呼ぶだろう。
「ひっつめ先輩えげつないなあ」
未来の女優は虎視眈々と活躍の機会を狙っているんだ。少しでも劇団関係者にいいところを見せるために。
目標にまっすぐってのがとにかくすげえ。みんなのことを考えていないのは少々アレだが、それでもそのたくましさは目を見張るものがある。そしてこのときふと思った。
——オレもそっち側の人間じゃないだろうか。
ひっつめ先輩の独断を嫌悪しないのも、受け入れられてしまうのも自分が同じ属性にあるからで。自身のなかで初めてプロの役者を強く意識したのがこの時だったと思う。ひっつめ先輩の志は案外当たり前のものじゃないかと思えてしまったんだ。
自分に出来るのは目の前に置かれたチャンスを生かし切ることだけ。そうだよな、オレまだ一年だ。ベッドの縁にだらけたままでもう一度台本を一からめくった。
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