第14話 初日の舞台稽古

 その日とった講義をすべて受けてピロティに向かった。今日は雨、ゴム床がつるつると滑る。そんななかで舞台稽古が行われていた。大学は一年が忙しい、二年、三年と上がるにつれて講義が少なくなってゆく。脱力気味だが、今が一番しんどい時だって先輩は笑ってたな。


「立長くん、コレ巻いてくれる?」


 でた、ひっつめ先輩。彼女は手にグリーンのバンダナをもっていた。


「役柄いただけるんすか!」

「いや、見ると笑っちゃうから」


 そういってひっつめ先輩は含み笑いをする。ああ、ね。なんか変な頭ですみませんでした。そう自虐気味にバンダナを巻く。それからバンダナを巻いてあぐらを掻くとみんなの練習風景を見ていた。ああ、この台本を演じるとこんな風になるのか。それを確認しながらだったと思う。


 セリフは問題ねえ、情感たっぷりに演じられている。一方でコンテンポラリーが圧倒的に足を引っ張ってやがる。たぶん魂がついていってねえんだな、とオレは一端の役者のような感想を思っていた。


 実は昨日台本を読み終えたあとでコンテンポラリーの動画をいくつか観た。動きなんかも洗練されていて本物はまず創り出される空気がすごい。筋肉の躍動を感じられるんだ。全身を使ってバネいっぱいに表現する。でも目の前のはただの振り付け。死に惑う恐怖が表現できていない。一朝一夕で出来ることじゃない。プロのダンサーじゃないものな、仕方ない。


 空気を割るようにひっつめ先輩が手を叩いた。


「みんなちゃんと練習してきた? 舞台観に行ったでしょう。まったく違うって思わない?」

「大崎いい加減にしろ」


 嘆息し苦言を呈したのは部長だった。


「お前がコンテンポラリーにしたいっていいだしたんだろう、みんなそれに合わせて必死に努力したんだ。就活もある、卒論もある。そのなかで付き合ってくれているんだぞ」

「付き合ってくれてるってなに? それじゃわたしだけが横暴働いてるみたいでしょ」

「実際そうじゃないのか」

「大学生らしい演技をしようっていってるの! 心震わせるような演劇を」

「理想と現実くらい区別しろよ。お前みたいにブルジョアじゃねえから子供の頃からダンスなんてやってねえんだ」

「わたしの経歴をひがまないで!」

「みんなお前が好きじゃない!」


 その言葉に一瞬、空気が凍った気がした。ひっつめ先輩の瞳が潤んで揺らぐ。


「勝手にしてよ。わたしもう抜けるから!」


 涙声で叫ぶとひっつめ先輩はピロティを走り去ってしまった。ものすごい空気のなかで雨の音が響いている。しっとりとした感情がその場を覆っていた。


 しんと静まり返ったなかで。


「部長まずくないっすか。追いかけた方が」


 誰かが恐る恐る声をかけた。みんなの緊張が聞こえてきそうだった。


「いいよ。大崎が抜けたあと、どうするかな。脚本も元に戻そう」


 そのとき誰かが空気も読まずに声を上げた。


「あの! ひっつめ先輩に変わってオレが出たいです。振り付けはコンテンポラリーのままで」


 もちろんオレだ。潔く手を挙げると凛と声を響かせた。みんなの心内は知らずに案外できるんじゃないかと思いながらチャンスには貪欲に。


「いや、キミ新人でしょ。いきなり立たせるとかないから」

「ちょい役でいいんでオレも出してください」

「直談判か、困るな。大崎の抜けた穴埋められるとでも」

「おかま走りなら得意っす」


 これには苦笑したようだが、部長は首を横に振っている。


「人が足りないんじゃないっすか」

「いや、役柄消せばいいだけだから」


 そう答えたのは脚本家の岸本さんだった。白けたような顔をしているが多分これは素だ。


 空中分解しそうななかで、部長は張りつめたような顔をしている。これ以上触れるとブチ切れてしまいそうだ。誰も呼びに行く気配がねえ。


「じゃあ、オレ。ひっつめ先輩呼んでくるっす」


 そういって立ち上がるとピロティを小走りで出た。




 どこにいるか分からなかったけれど、たぶん部室だろうなと思った。案の定ひっつめ先輩は部室の青いベンチで泣いていた。手元にはライフォールの鏡の台本がある。オレのと違ってべらべらで読み倒したことがうかがえた。


「ひっつめ先輩……」

「なによその呼び方!」 


 泣きながらヒステリックにいい返された。まあ、丁度いいよなと思った。


「泣いてないで戻りません? みんなでもう一度通し稽古して」

「わたしはみんなに嫌われてるの!」

「まあ、そうっすけど」


 それにはぶっと、ひっつめ先輩も吹いた。


「説得に来たんじゃないの」

「そうっす」


 ぼりぼりと頭を掻くと言葉をまとめた。あんまり得意じゃねえ、こういうのは。でも頑張らなくちゃならねえ。


「オレ、コンテンポラリーいいと思ったすよ」


 ひっつめ先輩が涙にぬれた瞳を上げた。


「学生の演劇でやるのはたぶんハードル高けえと思うんすけど、出来れば素晴らしい舞台になるんじゃないっすかね。オレの求めてた演劇の熱量ってそういうのっすよ」

「みんなわたしが劇団にピーアールしたいだけだと思ってる。でも違う。わたしはいい劇をやりたいだけなの。なのにみんなわたしのこと自分勝手って思ってて」


 まあ、誤解が生じてるんだよな。演劇好きな奴ってオレもそうだが、周りが見えなくなる時があんだよ。オレは耳の穴をかっぽじった。


「教えてくれません? コンテンポラリーのコツ」

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