第29話 冷めやらぬ余韻
岸本さんの脚本も良かったのだろうが、なんというかそれだけじゃない迫力があの舞台にはあった。みんな一丸となって恐怖を演出した結果であって誰か一人の手柄じゃない。総力戦だな、あの天王山を乗り切ったんだ。
その後のオレはというとちんけな虫けらであることを自覚していて、浴びた喝采の熱量が肌から抜けないでいる。
「ぷふぁー、生が美味い」
オレはだんとジョッキを置いて半ページを丸めた本を眺めた。オレの吐いたたった二行の台詞が神々しく光っている。あの瞬間たしかにオレはヒーローだった。
靖代を演じた切ったひっつめ先輩は対面に三角座りでいて隣の岸本さんと頬を綻ばせて会話している。良かった、あの感動の余韻に浸りたいのはオレだけじゃなかったんだ。
「ああいう劇が出来ると劇団として一つ抜けた感じだよな」
「評判も良かったらしいぞ。今後スカウトも来るんじゃないかな」
「立・長・くん」
みんなが口々に話すなかでほろ酔いのひっつめ先輩が声をかけてきた。酒臭い席ではちょっと引き立つ可愛い声だった。
「なんすか?」
「こっち来て」
岸本さんと右隣に腰かけるとひっつめ先輩が今朝買ってきたという専門誌を三人でのぞいた。左上の大きな写真付き記事を読み上げる。
「えっと、劇団メトロポリタンが今夏公演する『斜塔』」は建築士親子の確執を描いた作品で主演を務める桜田
「メトロポリタンって聞いたことない?」
「ないっすよ、有名なところなんすか」
「わたしが卒業後に所属するところ」
「へえええ、そりゃまた!」
ひっつめ先輩は卒業後の進路が決まっている。いわゆるそこのことだろう。
「今度の日曜日ヒマ? チケットもらったの。このお芝居、岸本くんと三人で観に行きましょう」
有難い申し出にオレは一瞬考える。男二人と女一人。岸本さんとひっつめ先輩は出来てるわけで。男二人と女一人、うーん。
「オレお邪魔じゃないっすか」
「ぜーんぜんお邪魔じゃないよ、いこ」
「岸本さんいいんすか」
「問題ないでしょ、部活仲間で観に行くだけさ」
「ふうん、そんなもんすかね」
酒の席だからそれ以上は問わなかった。それこそ野暮というものだろう。オレはビール片手に記事の続きを眺めた。
約束の日曜日、駅前で待ち合わせをしてそこから劇場に向かった。ひっつめ先輩はさっぱりとおしゃれでとても可愛くて、眼鏡をかけて細身のカットソーが似合う岸本さんはイケメンではないもののインテリ男子、そしてチョイスを間違えたブルーの海の家Tシャツのオレは月代。並びが可笑しくないか、オレ?
「なにその恰好」
ひっつめ先輩がオレをみるなりぷっと吹いた。岸本さんはあくまでポーカーフェイス。
「いけてません?」
「いけてません」
そういって笑うとさりげなく手を繋いできた。おい、ちょっとやめろ! いたいけな男子をからかうな!
「なんでオレと手え繋ぐんすか。岸本さんでしょう」
「いいの、そういう気分だから」
ちょっとご機嫌なひっつめ先輩は手をゆらゆらと揺らしながらオレを引っ張っていく。岸本さんはとくに気にしないらしく二人の先を行っている。
商店街を歩いていると当然みんながじろじろとこちらを見るわけだが。
「頭隠してこなかったんだ」
「ハズいっすか」
「ううん、いいよ。面白い」
なんかデートっぽいなと思ってちょっと照れる。立長吉幸二十歳、したことねえからな、デートとか!
「あ、焼き鳥!」
ひっつめ先輩が指を差した。炭火のいいにおいがすると思ったら串が炙られている。赤ちょうちんがまたいい。早速ひっつめ先輩が三人分を買いに走った。
行儀悪く串を食べながら歩く、なんか変だな今日の空気。そんなことを感じながら隣を見るとひっつめ先輩は楽しそうにしていた。能天気なんだか、わざとなんだか。実はこの日誘ってくれたのには訳があってでもそれをこの時のオレは知らない。頭のなかはほんのちょっとひっつめ先輩のことと大半は演劇のことでいっぱいだった。
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