第30話 観劇で感激
大通りから商店街に入って古めかしい道を人が流れてゆく。昔ながらの場所というのも乙で悪くない。長い商店街を冷やかしながら歩いてこじんまりとした劇場に着くとひっつめ先輩にチケットを渡された。載っていたのは写真ではなく昭和レトロな絵。いいね、こういうの。
劇場内に入ると赤いモケットの座席に座って開演を待つ。心は少し浮ついていた。ブザーとともに劇場内は静かになっていよいよの公演が始まった。
「お前の作品コンペで一位だったんだってな」
「優秀だよ、榊は」
「父さんには遠く及ばないよ」
スケッチブックを抱えたさわやか青年が大学のキャンパスを歩いている。しかし、今時の舞台ってのはすげえな。まるで劇場全てを使ったエンターテイメント空間だ。
例えば中央に設置された人生を模した塔のギミックは主人公の感情に合わせてくるりくるりと作動する。照明も大事な役割を果たしていて、赤は人生の憂き目、青は冷めた感情、黄色はなんだちょっとよく分かんねえが黒は暗黒だな。オブジェが回転したかと思ったら急に早着替えした役者が現れて宙を仰いでいる。空にはオーロラのようなオーガンジーがはためいて赤の照明に照らされるなか、宙づりの役者たちが全身のばねを使ってコンテンポラリー。これは一人の人生の混迷を表現している。
「父さん、オレはあんたの罪を知っている。生涯許すつもりなどない」
「小生意気な、その拙さで歩んでいるつもりになるな!」
そもそも斜塔というのは比喩であって傾いた塔そのものを指しているわけではない。一つの功罪を巡る建築家親子の確執。父に憧れて建築業界に入った息子が父親の最大の功績における談合とその談合で死人が出た過去を知り忌避する。会社を変えて息子は父の意匠(デザイン)を全否定、両者がぶつかり合うたびに塔がくるり、くるりと回転して観衆の不安を煽り立てる。最後に父親の権威は失墜、華やかな人生そのものを失う。その父親役をやるのが桜田広葉だ。なんというか息子役以上の熱演だった。最終的には息子が勝つのだが、その息子を食う勢いの演技には感銘しかなかった。
内容としては難しい。でもそれ以上に分かりやすく感情に訴えかけてくる。それを可能にしているのは前衛的な演出だろう。小学校のときに一度だけ役者の演劇を観たことがあるがそれとは異質の、次元が違う素晴らしい時間だった。
舞台が終わるとひっつめ先輩に連れられてオレと岸本さんは控室にいった。着替え中の役者の額には玉のような汗が浮かんでものすごい熱量だったことがうかがえる。すごいな、もう空気に飲まれそうだった。
「お疲れさまです」
ひっつめ先輩が慣れたようにいった。応じたのはラフなTシャツ姿の白髪交じりの中年男性だった。
「どうだった、良かったろう」
「はい、もう感激して。広場さんの生の演技が観られてこんなに嬉しいことってないです」
「だそうだよ、桜田くん!」
遠くで般若の顔を崩した桜田広場が笑っている。こうしてみると気の優しいジェントルマンだった。
「立長くん、岸本くん、こちら劇団『メトロポリタン』の団長柴浦さん」
「こんにちは」
「どもっす」
握手をすると向こうが感激したようにいった。
「マジで月代やってんだ、すごいね」
「あ、これっすか。そうっす。ちゃんと剃ったばっかりっす」
ハゲ頭をぺちぺちと叩いておどけて見せる。だが芝浦さんは別の要件があるようだった。
「いや、月代はいいよ。キミのあの瞬間の表情が忘れられないんだ」
おれはん? と鼻を膨らませる。
「演者はたくさんいたろう、でも僕が心惹かれたのはキミだった。ちょっと違う何かがあるんだろうね」
「はあ」
見えないものが見えているのかな、なんとなく不思議な気持ちになって視線を上げると手が伸びてきていた。あとで思うとこれが邂逅の瞬間だったな。
「練習生として時々見学に来ないかい、卒業後はうちで。岸本くんには脚本家として在籍してもらいたいんだ」
え、え? えええええええ。とまあ、空いた口がふさがらなかったわけだが仕掛け人のひっつめ先輩はちゃんと知ってたわけだな。笑いをかみ殺して穏やかな顔を浮かべていた。オレは震えながら両手で団長の手を握った。心は感激でいっぱいで、ありがとうありがとう、人生よありがとうと大げさに泣いた。
その晩のこと、オレはひさしぶりに実家に電話した。母は以前の電話での奇行ぶりを当たりにしてずいぶん訝しんでいたが、劇団云々を伝えると「良かったじゃないか」といきなり返ってきた。大学に進学するときに役者になりたいことを伝えていたのでそこは抵抗がなかったらしい。電話口で代わった父がお前勉強やっとるのか、と問いかけた。
「まあまあ」
「工学部に行かせたのは就職にいいからだぞ。役者が無理な可能性もある。おろそかにするんじゃないぞ」
さっそく化学工学の単位落としたのはいえないな。まあ、前期のミスは後期で取り返せばいい。しかし、なんでオレは工学部にしちまったんだか。文学部という手があっただろうがーーー!! とまあ、怒鳴っても仕方ねえ。
「まあぼちぼちやるわ」
「ん、冬休みには帰って来いよ」
「わーってる」
受話器を置くと一気に気が抜けた。いろんなことを一日に経験してしまったから。しかし、もう冬休みなんだな、恋愛すらしてねえよ。よからぬことを思い浮かべて頬をだらしなく緩ませる。ひっつめ先輩に頼んでデートしてもらおうか、一回くらいいいだろべつに。
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