第47話 ファイヤーアクション
撮影は人気のない山頂で行われた。採用面接の際にもらっていた台本であらかじめ内容は確認している。
――山本は炎に巻かれて崖に向かって走る。
命を懸けた大舞台というのに演技に関してはこれっきりしか書かれていない。山本って誰だよ、オレか。馬鹿なツッコミをしてオレはパイプ椅子に腰かけた。
「あのすみません、お待たせしました。じゃあそろそろ撮影に移りますので」
(立長さんって呼ばないのかよ、まあそうだろな。これが終わったら即おさらばだもんな)
出演するのは探偵
傍には十ℓバケツ数杯の水と放水車が構えている。でかい車体を見て、これなら助けてもらえるわと安心した。監督はすでにスタンバイして、助監督が台本を丸めて説明にくる。
「バケツの水を頭から被ったあと衣類に炎を点火しますので、そこで数秒待ってください。で、監督のゴーが出ましたら全力で崖に向かって走ってください。で、大事なのがこの時の演技です」
「はい」
「面接のときに見せていただいたようなので結構なんですけど、今度は走りながらになりますのでちょっと苦しいかとは思います。息を切らして炎の恐怖に身を凍らせて死ぬ気で叫びながら走ってください。で、死ぬ気であの印の位置まで走ったら地面にばたんと倒れ込む。で、終了です。そうしたら放水車で水かけますので」
「十秒くらいのもんすかね」
「そうですね、ちょっとリハーサルだけしますので」
十秒で一万五千円か、悪くないなと思った。じゃ、始めますといって一人を残してスタッフは引いていく。オレはスタンバイした。
「はーい、よういスタート」
監督の合図でオレは身構えした。残っていた一人がシュッとライターを擦る。オレはバケツの水を頭にかぶった。
「炎点火します」
実際には点火していないが演技しなければいけない。走れるように呼吸を準備して待つと監督の合図があった。よし、ダッシュ。
「ぎゃあああああああああ」
オレは全力で声を上げた。こういう時に手抜きをしていると緊迫感が出ねえからな。舞台でやるのとそん色ないくらいに気持ちを込める。で、印まで来たら倒れ込む。すぐさま滝のようなでかい水圧が飛んできた。
「はい、オッケーです」
完璧じゃねえか。オレは満悦で立ち上がった。
「キミ良かったよ。面接のとき以上に気持ちがこもってた。本番もその調子でね」
「ハイ、ありがとうござっす」
頭をぺこりと下げた。しかし、放水車の水圧痛てえわ。
まあでも、アレだな。結構演技するって楽じゃんよ。舞台の苦労を思えば断片的だし、案外これで食っていけるんじゃねえだろか。いけない、いけない。オレ、舞台役者に戻りたいんだったわ。ふるふると頭を振っていると声がかかった。
「撮影始めますよー」
「ハイ、構えます!」
そうしてオレはスタート位置に走っていく。衆人環視のもとで撮影はスタートした。
リハーサルと同じく水を被ると構えた。スタッフの顔は先ほどまでの和やかなものと明らかに違っていた。
「じゃ、行きますよ」
生唾を飲み込む音が聞こえた。
点火。
炎は勢いよくふくらはぎを駆け上がり、あっという間に腹部に達する。朝食ったサンドイッチが煮えくり返りそうなほどに熱くなった。
(え、あ……)
やばいと思った瞬間には炎が背を焼いて頭頂部にまで駆け上がっていた。
「ぎゃぃいいああああああああああああああああああ」
大絶叫していると監督が声を上げた。
「走って!」
走る? 一瞬なにをいわれているか分からなかった。
「走って!」
オレは瞬時に駆けだした。
熱い、焼ける、焦げる、死ぬ! 死ぬ、死ぬ、死、死、し、し――――!
「だああああああああああああああ」
大口を開けて叫びながら走る。酸素が吸えない、苦しい、息ができない。頭のなかには走馬灯のように思い出が駆け巡っていた。オレはしがない立長家の次男として産まれ、笑いの天才兄貴を超えようとして月代になり、中学に入ったら机に弁当隠して早弁して、高校では村崎と武井部長とサイレント部で楽しんで、大学で演劇部で仲間に出会って、劇団で広場さんによくしてもらって、でもクビになり。そしてすっと誰かの手が記憶のなかにそっと差し出される。握られていたのは……一万五千円……
「止まってえええ!」
でかい声に我を取り戻すと足先がつんのめった。オレはコケるように地面に突っ伏すと広がった大パノラマに目玉をひん剥いた。
「ぎゃあああああああああああああ」
「ぎゃあああああああああああああ」
「ぎゃあああああああああああああ」
目下は崖。遥か遠くに地上が見える。恐怖に侵され発狂が止まらず叫び続けた。オレは崖に半身を突き出す格好で間一髪落ちずに命拾いをした。
放水車にたんまりと水を浴びせられたあとには疲労困憊でなにもいえずにパイプ椅子に項垂れていた。焦げた服、じりじりの髪からタンパク質が焦げた異臭がする。命かけたあとでタンパク質とかいっちゃうあたりがオレ理系だわ。はは、ごめん。馬鹿なこといったわ。
脱力していると茶封筒が差し出された。
「お疲れさまでした。いい映像が撮れました。確認します?」
カメラのところにいくと映像を見せてもらったが、この世のものとは思えないような雄たけびが轟いていた。演技したわけじゃなかったのに、ものすごいものが撮れていた。
オレはぺこりと頭を下げると撮影の終わりを待ってスタッフに車通りのある山麓まで送ってもらった。遠ざかるバンを見ながら心は哀愁に打ちひしがれていた。すごい一日だった。
「髪なんとかしないとな」
頭頂部をぎゅっと握ると寒空にぱりっと砕けた。これで一万五千円とか安すぎるわ。死なんくて良かったわほんと。オレは封筒を大事に懐に仕舞うと近くのバス停までとぼとぼと歩いた。
(オレ、たぶん一度死んだな。これでいいのかな)
静かな手応えを感じていた。命を賭ければいいものが出来る。死ぬ気でやりゃ、それこそなんでも。いよいよ危なかったが、それによる達成感を確かに感じていた。そうか、この気迫か。オレに欠けていたのは。
ちなみにこの一万五千円は今でも使ってねえ。お守り代わりに実家の仏壇に飾ってある。
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