第48話 オーディション開始

 カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びながらオレは手を水平に広げると一本締めをした。


「いってくるわ」


 一人暮らしなのに誰とあいさつしてんだよと思ったやつもいるだろう。オレはタンスの上に飾った金一封に向かってお辞儀した。これは先日の命がけのアクションで稼いだお守りだ。きっとオレに幸運を運んでくれる。


 玄関に鍵をかけるといざ劇場へ。そう、今日は劇団メトロポリタンの劇団員オーディションの日だ。オレが辞めたのは一月だからそこから約半年ぶりになる。変わったオレを見せつける。牙の抜けた狼なんて二度といわせない。全員沈黙させてやる。


 久しぶりの劇場は記憶のなかの姿と寸分たがわなかった。西洋の城壁のような白壁にレンガ色の屋根。長い真紅の階段に沿うように流れた金のスロープがあって、絨毯が踏みしめるたびにふかふかと沈んだ。


(いいわ、マジいい)


 懐かしき景色を楽しむように階段を上っていると上から渋い人が下りてきた。手をミュージカルのように広げると重低音で声を上げた。


「やあやあ、お帰り。舞台役者さん」

「広場さん……」


 すっと手を差し出したので手を伸ばすとぎゅっと握りしめてくれた。ああ、記憶が走馬灯のように巡る。別れたあの日、広場さんは絶対に忘れないでと握手をしてくれた。それと同じ温もりだった。


「キミがいなくて寂しかったよ。みんなもだ。修業はどうだったかい。とてもいい顔になった」

「はい、とても充実していました」

「そうかい、それは良かった。コーヒーでも淹れてあげたいがこれからオゥディションだ。健闘を祈るよ」


 なんかこの人心の底からカッコいいわ。オレはぺこりとお辞儀をした。


 オーディション会場はいつもの稽古部屋。見慣れた顔は先生だと団長を除いておらず、代わりに珍しい顔を見つけた。


(岸本さん、どうして)


 大学の演劇部で脚本を書いてくれていた岸本さんが審査員席に座っていた。劇団の専属の脚本家として主に自宅で活動しているが、オレが所属していた時も執筆活動がほとんどで顔すら出したことがなかったのに本当に久しぶりだった。


 壁際にパイプ椅子が並べられていて腰かける。くるのは八人だ。オレが腕組すると始まるのを待った。


 劇団にはスカウト組とオーディション組がいて、大半がオーディション組だ。オーディションを勝ち抜いてくるくらいだから相当の実力者で当時のオレの同期はオレ以外はオーディション組だったけれど、本当に上手かった。そんな彼らとオレの差は半年、劇団を辞めた時点ですでにそれほどの経験の差がついてしまっている。


 目前のうら若い新人たちもはきはきとしゃべり、瑞々しい演技で魅せつけている。これって嫉妬だな。オレは心の奥底で燃え始めた静かな炎を感じていた。


「ありがとうございました。次の方は」


 先生は目も合わない。真剣に審査しているだろうし、一度辞めさせたオレに構うつもりなんかなさそうだ。じっと睨みつけているが、どこ吹く風。辞めさせた人間に鼻から興味などないだろう。


「ねえ! ちょっとそれどういうつもり」


 相手がいないので独り芝居だが情景がはっきり見える。今受けている女子は痴話げんかのもつれを演技している。フリーなので仕方がないが、有りがち。経験も薄いだろうし、たぶん落とされるな、そう思った。


「わたししか興味ないっていったじゃない」

「えっ、どういうこと。借金があるの」

「待って、わたしも一緒にブラジルにいく。向こうでコーヒー農園を作りましょう」


 オレは腹の底でぶっと吹く。ブラジル移民っていつの時代だよと笑った。案外伏兵いたわ、と忍び笑いした。しかし、アレだな。当然フリー演技があるからとプランくらいは練ってきたがブラジル移民の前に出す笑いなんかねえ。


 ま、たぶん先生が求めているのは笑いじゃない。そう思ってオレは審査している面々を見た。興味深く見てはいるがたぶん劇団に有益な役者を探している。こいつを使いたい、こいつと仕事したい、こいつの可能性を見たい。そう思わせなくちゃならねえ。

 ブラジル女子は演技を終えると礼をして着席した。安堵し切った息遣いが聞こえるがたぶんこの子も落とされる。


「次は立長吉幸さん」


 呼ばれた。オレの出番だ。オレは静かに立ち上がる。審査員の目前までいくと静かに頭にかぶっていた黒いキャップを取った。頭頂部がすうっとする。


「よろしくお願いします!」


 いよいよオーディションが始まる。

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