第49話 魅せろ

「その頭どうしたの?」


 オーディションを始めるや否や団長が問いかけてきた。オレはつるりとした月代だった。劇団に所属していた当初もこの頭だったから理由を知らないわけはない。軽いジャブ、オレは覚悟を図られているのだと思った。


「大事な人生の局面ですから最高の自分を見せようと思いました」


 凛と胸を張ると団長がほくそ笑んでいた。ペンを回していた別の審査員が矢継ぎ早に質問した。この人のことは知らない。オレが退団していた半年の間に雇われた人だろう。


「この劇団を選んだ理由はなんですか。正直選ぶところは他にもあったはずです」

「いえ、ありませんでした」


 ほうっと審査員の吐く息が聞こえた。


「その真意は?」

「自分は役者として一度死んだ身です。殉死したのです。その恥を忍んで役者として一花咲かせるために決戦の地へ戻ってまいりました」


 審査員がうんそうか、とペンで紙を打った。響いていない、いや響いているのだろうか。


「で、なにがしたいのかな。どんな役がやりたいの」

「したいです」

「したい? なにを」

「死体をしたいです!」


 面接官がそろって吹く声が聞こえた。ちょっと馬鹿なこといったかな、まあインパクトは必要だ。


「じゃあ、演技を見せてもらいたいんだけれど」


 そう提案をされてオレはそれから演技を披露した。始めは通行人、次は恋人を失った彼氏役、次は電話で別れ話を切り出された若者。他の人はこれほどに演技審査の時間を取られていなかった。たぶん注意深く見てくれている。オレは確かな手ごたえを感じていた。


「じゃあ、最後にキミの思う死体役をフリー演技でしてもらえないだろうか」


 オレはごくりと唾を飲み込んだ。いよいよだ。オレは静かに目を閉じて気持ちを作った。

 死体、ただしオレが演じるのはただの死体じゃない。目の前の団長たちに向かって演じるのはオレの人生そのもの。役者として一度死んだときのオレのあらゆる感情をのせてその悲哀、後悔、絶望、そしてその先に訪れた飢餓を表現する。


 静かに足を幅広く開いたあとあごが外れんばかりの勢いで表情をぐちゃっとつぶした。渋面を作り叫んだ。


「待ってくれ、オレは死にたくない! まだ役者として生きていける」


 演じていると自然と空耳が聞こえてきた。



――演じることに飽いた愚か者は要らないのです。必要とされなかったことを恥じていきなさい。



「ああ、ああ、ああ」


 オレは涙をだくだくと流して悲哀を表現した。輝きを失った肌に涙がしみ込んでゆく。砂漠に落ちる一滴の水のように涙は蒸散して消えてゆく。


「どうしてオレは研鑽を忘れてしまったのだ。あの志を無くしてしまったのだ。確かにあの時あの瞬間、オレは輝いていた。役者として光っていた」


 無くしたものを取り戻そうとあがき続ける男の後悔。覆水盆に返らず、オレは得たチャンスを自ら手放してしまったのだ。


「時間をあの時に戻せたらオレはもう一度光って見せる」



――過ぎた時間はもう二度と戻りません。死んだ蛍は二度と光らないのです。



「そんなことはない、命は紡がれゆくもの。もう一度舞台で光り輝くためにオレは恥を忍んでこの地に舞い戻ってきた!」



――あなたの代わりはすでにいます。戻る故郷を失った雑兵は失意のままに消えゆきなさい。



「まだ果てたくはないのです!」



――立長吉幸さようなら、夢は幻へと消えゆきます。



 オレはあの日、あの時、あの瞬間に受けた団長の言葉を脳裏によみがえらせた。鮮烈に刻まれたあの言葉。忘れることの出来なかったあの断罪の言葉を。



――牙の抜けた狼は要らない。



 オレは絶望のあまり嗚咽した。歯はぼろぼろと抜け落ちて狼は地に伏す。牙が抜け落ちて獲物を捕まえられなくなった狼に訪れたのは激しい飢餓だ。

 腹を減らし、喰えるものならばなんでも喰う。やせ衰えて意識を失いそうになっても高貴なる野生の魂だけは手放さない。オレは四つん這いになり、吠えた。天に向かって炎のように燃える意思を突き付けた。


「オレは力も、魂さえも、気概さえも失った! 安寧に浸るあまり己の夢まで手放しそうになっている。激しい飢餓に襲われて生きようとした。訪れる死から逃げようとした。オレの夢は死ぬことだったというのに!」



――夢という言葉の真実を知っていますか、夢は諦めるためにあるのです。



「どんなに激しい飢餓に教われようとも絶望の淵に立たされようとも。支え続けてくれたのは夢だった。だからオレは諦めずに生きている。夢は表裏一体、叶う夢、叶わぬ夢。どんなに訪れる未来が残酷だろうとも。それでも夢は美しい!」


 慟哭のあとに訪れたのは未来。確かな夢。輝き続けた夢は今でもここにある。


 演技が終わると涙を拭いて立ち上がった。嗚咽は止まらずに、ありえないほどの沈黙を一身に受けて立っていた。しばらく誰もしゃべりださなかったのだけれど、一刻して初めて先生が握り続けていたペンを置いた。


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