第2話 ばあちゃんの通夜

——三十年前、祖母の通夜にて


「きいいいいん、ドドドドドド」


 二つ年上の兄貴がソフトグライダーを右手に掲げながら口先を尖らせる。つぶらなオレの瞳にははっきりと空から降るオレンジの絨毯爆撃が映っていた。


「敵襲、敵襲!」


 頭に紺色の座布団を被りながら折りたたみテーブルの周りを走り回った。特別なときにだけしか出してこないふすま臭い座布団と宴会テーブルだ。慌てて避難しているオレに向けて無慈悲のソフトグライダーは近接戦闘を仕掛ける。


「やめろ、くるな! うわ、うわあああああ」

「ドドドドドド」

「あんたたち、ほこるからやめなさい!」


 垂直に落ちるダブルげんこつ。ちょっと濃い化粧の喪服の母の一喝でオレは事なきを得た。


 ふすまからのぞく庭はもう暗く、いつもならテレビを見始める時間だが法事というのは違う空気がある。いつもよりちょっといいイカの刺身を食いながら親戚連中の小言を聞いて、猪口片手に吉幸は来年二年生か、勉強頑張れよなんて大人は地酒を流し込む。そばには祖母の白木の御棺。どうしてこういうときにみんな勉強の話ばかりなんだろう。ようかんはシナモン臭いし、田舎料理も美味くねえ。


 宵の口も終わりに近づくと父と叔父が昔話を始めた。幼い時に足裏に竹が刺さったという武勇伝を聞かされる。何度も聞いたし、飽きてんだぞこっちは。話の合間に母と叔母が黒いタイトスカートをさばきながら熱燗をせっせと運んでくる。遠くでは別の世間話に花が咲いていた


「なあ、吉幸」


 向かいに座っていた兄が小さくオレにだけ聞こえる声で囁いた。耳を疑う。今何といった。目を見開く。もう一回いってくれ。


「だから……」


 そういってごにょごにょと耳打ちする。聞いた俺はちょっと興奮した。発想からして違う、そう。兄貴は昔からちょっと天才だった。おもしれえじゃねえか。


 ほろ酔いの父が給仕されたばかりの徳利を右手で持ち上げた。


「母さん、熱燗もうちょっと温めてくれないか」

「レンジで二回やったわよ、もう」


 ぼやきながら母が台所に徳利を運んでゆく。


「あれ、幸四郎と吉幸は?」


 ようやく気付いた父が赤い顔を回すがそこにオレはいねえ。


 オレと兄貴は仏壇の前にいた。祖母の棺によって、そっと蓋を持ち上げると青白い祖母の顔を見る。祖母は真っ白な死化粧をして脇と足元をドライアイスに冷やされながら静かに眠っていた。


「やるぞ、吉幸」

「うん」


 祖母の両脇を担ぎ上げてキリストのように手を上げさせると兄貴とオレは全力で叫んだ。


「ババアーーーゾンビ発進ーーーっ」


 御棺から引っ張ってカタパルトを走行するガンダムのように痩せた祖母を引きずった。


「ぁんたたち! なにやってるの!」


 母が目を剥いて全力でどなるがおせえ。座布団を散らしながらオレと兄貴は祖母を抱えて一直線に猛進する。祖母の額の三角の白い天冠がそよぎ揺れていた。

 二人して爆笑をかっさらうつもりだったが空気は凍りつき、結果唖然として誰も笑わなかった。




 こっぴどく叱られた兄貴とオレはしょぼんとしながらも次の作戦を考えていた。笑わしてえ、笑わしてえ。こんなつまらねえ大人連中を笑わしてえ。


 じっと座ってられなくなった兄貴は部屋からおもちゃの刀を出してきた。京都に旅行に行った際、土産物店で買った木製のやつだ。


「いざ、尋常に勝負ぅうううう」


 やべえ、ひょっとこみてえな顔してやがる。それだけでもう親戚連中は面白がっていた。当然オレがどう受け流そうとも笑いやしねえ。タコ踊りをしながら繰り出される剣戟には迫力があって切られたら死ぬ、それくらいの勢いがあった。


 切る側か、切られる側か。オレは焦ってそれを考えていた。兄貴には正攻法で適わねえ。おもしろくやれるのは切られる側だろう。オレは祖父とよく観た時代劇を思い出した。


「ちょっと待ってろ兄貴!」


 オレは洗面台の前に全力で走った。今こそやらねばという思いがあった。


「いざ、尋常に勝負ぅうううう!」


 戻ったオレは迫力の顔で叫ぶ。すると刀を持ったまま兄貴が固まった。というより、親戚連中まで硬直していた。オレはつるりと丸く剃ったばかりの頭頂部を披露しながらいつでも切られる準備は出来ていた。さあ、落ち武者のオレを面白く切ってくれ!


 ハゲ頭に飛んできたのはおもちゃの刀ではなく母の手だった。剃ったばかりの月代さかやきをパシコンと平手がはじく。母が悲鳴を上げて怒鳴った。


「明日から学校どうすんの!」


 そこで初めて親戚連中がどっと笑った。演劇という文化を意識する前の、人生初めて月代にした日の出来事だった。

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