第27話 姫喰い(5)
その晩、夢で女に触れた。薄気味悪い嘲りを浮かべる高飛車な女だった。女は白い肌と丸みを帯びた滑らかな肩を見せながら妖艶に笑う。黒い長髪を崩して頬まで裂けるほど笑うと腹をかっ捌くように言葉を吐く。
「わが娘を喰っただろう、美味かったか。さぞ美味かったろう」
胃液が口にまでさかのぼり、昨夜の気持ち悪さがぶり返す。あの旨味に満ち足りた人肉をどうして忘れようか。最上に心地悪い、心地悪い。
酸でいっぱいになり吐き出すように目覚めるとすでに昼だった。カンカン照りの太陽が頬に注いでいる。外は雨のなごりが蒸散して生臭く昨夜の罪悪感を深くした。そば殻の枕を胃液で汚してしまった。
口元をぬぐい起き上がると隣に寝ていた田賀はいない。昨夜の出来事を明瞭に思い出そうとするがどうしても遡れない、たしかに姫神を喰ったことだけははっきり記憶していた。
「目覚めなすったか」
枕元にを目をやると二人の男がのぞき込んでいた。ひとりは散切り、もうひとりは月代で散切りの方が湯呑を持って笑っている。見たような気もするが昨日のあの場にいたかどうか定かではない。それくらいにこの村の人間には無関心だった。
「淫夢を見たろう。靖代だ、おらも見た。ひどいべっぴんだったろう」
「おめえ、儀式に参加出来たのは幸運だったぞ」
幸運、あれが。という気持ちだった。それがこの村で引き継がれてきた因習なのだ。村井に学者の好奇心などすでになく後悔ばかりが渦まいていた。
「姫神を喰ったやつは長生きすんだ」
月代の村人は屈託なく笑って椀を差し出した。残滓を押し流すように汁物を口に含むと激しい嗚咽に襲われた。せき込んで背を曲げると内臓が苦しくなる。ひとりの男が荒々しく背をさすってくれた。
「田賀はどこへいったんだ」
「お連れさんは外へいきなさったよ」
隣の布団は派手にめくりあげられて夜着がぐしゃぐしゃに脱ぎ捨てられてあった。違和が残る。何故だか昨日のあの動揺と結びつかないような気がしていた。
「まったく」
引っ張り上げられるように起きて靴を履く。家主の老婆の姿もどこかへいっていた。
外に出歩くと村人の姿が多くあった。雨天では見かけられなかった活気にホッとする。まるで白昼夢を見ているような感覚だった。
「変な村だ」
と、吐息をつく間もなく汚い悲鳴が上がった。
「あががががが」
初老の女が大尻をついていた。虚空を指さして恐怖している。村人たちが慌てて駆け寄った。
「どうした初枝」
「許してくんろ、許してくんろ」
取り囲んだ村人の声も耳に入らないらしく涙を累々と流し、精神に異常を来したのだろう。裂けるように口を開き切り、大泡を吹いて白目をむいた。
「ひいいいいいいいい」
今度はそばにいた男が声を上げた。広場が慟哭に包まれる。ぴりりとした空気のなかで悲鳴が上がった。
「靖代、靖代か」
男は何かの幻影を見せられているのだろう、衆人には目もくれず尻で後ずさりする。
「靖代というのは……」
「うわああああああ、すまなかった。許してくれえええええ」
村井の問いかけを遮り月代が声を上げた。広場は阿鼻叫喚に包まれて井戸の水を浴びるものも続出する。何かが起きている。底知れぬ汚泥のような悪意が。そんななかで絹を裂くような悲鳴が上がった。
「誰か、誰か来て!」
若い女が人を集める。誰かが御神木だ、と叫んだ。遠くからも栄えていた大樹だろう。イヤな予感に急き立てられて向かうと大きな御神木の枝に塊が見えた。大きな人形だと思った。田賀が首を吊っていた。糞尿を垂れて美しさなどとはほぼ遠い光景で呆然と死んでいる。
凄惨な光景に声も発せず呆然としていると後ろからひっそり声がした。
「会いに来たよ」
心臓が轟いて息が止まりそうになった。反射的に振り返るが誰もいなかった。
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