第39話 黒電話

 今の時代なら黒電話なんて使ってる若者はまず、いねえ。まあ、時代が時代だからな。その年代物の電話で電話をかけていた。ぼろっちいアパートの大家さんのおばちゃんが時間を計っている、三分十円だ。

 三コールして母ちゃんが出た。


「あ、もしもしオレだよオレ」

「ああ、吉幸かい。どう、元気でやってる?」

「まあぼちぼち。あのさ、父ちゃんいるかな」

「飲んでるよ、お父さん、お父さん!」


 受話器を置いて呼びにいく声が聞こえて父がすぐ出た。


「どうした吉幸」


 たぶんパジャマだな。ちょっと酔ってるらしい、べらんめえではないがいつもの低い声だった。酒が入ると若干理屈っぽくなるんだ。まあ、議論したいなら丁度いいか。


「あのよ、父ちゃん。相談があんだけどよ」


 そう切り出して、オレは今の現状を話した。劇団で役柄をもらっていないことと演出家の先生と将来の方向性について話していること。オレは死体役がいいのか、それとも生きてる役がいいのか。目指すところについてつとつとと語った。しばらく父ちゃんはふんふん頷いていたが電話口でこういった。


「おめえアレだな。舞台役者ってえと難しい事情もあるんだなあ」

「他人事かよ!」


 電話口でずっこけてツッコミを入れる。すごい分かったように頷いてたが案外そうでもなかった。オレは手元に置いていた貴重な缶ビールを開けて泡をずっずっとすすった。


「吉幸はどっちがやりたいんだ」

「死体」

「切られて死にてえんだな」

「死にたい。服毒でも切腹でもなんでもいいけど、明らかに散り際に面白みがあんだろうよ」


 学生の時からなんとなくそんな節は合ったけれど、プロになってもその感覚は引きずっていた。


「まあ、通行人よりもドラマがあるよな。ちょっと待ってくれ。おい、母さん! 子機ならすから持ってきてくれ。縁側で話す」


 ややあって、氷を鳴らしながら父の会話が続いた。あちらも電話口でいつもの焼酎を飲み始めたらしい。


「昔はな、大部屋俳優ってのがいて時代劇なんかのプロの切られ役なんかがいたんだけれどもお前のところはちょっと違うな。そういうところの俳優さんは目の色が違う。狡猾になんでも狙いにいってる。餓狼だよ。わずかなチャンスも逃さない。吉幸、お前飢えてるか?」

「喰ってねえ」


 真っ当な答えに、ははっと聞こえて父の話が続いた。


「切られ役云十年なんて役者はもう迫力が違う。死の淵を歩いてきた人間の絶望が身に沁みついてるんだ。どっか悪いんじゃねえかというくらいに。そういう人間に生きてる役ができると思うかい」


 オレはちょっと考える。父のいわんとしていることが分かってしまった。


「父ちゃん、オレはまだ生きてるっていいてえんだな」

「声に悲壮さが感じられないからな。まあ、元気でやってるんだろうとは思う。でも本気で役者になろうとしてるものはそれじゃいけねえ。電話口で心配させてみろ。あんまりぴんぴんしてるからそんなこったろうと思ったよ」

「そんで?」


 オレは続きを聞きたかった。そだな、と父は相槌を打った。


「今のお前には生きてる役も死んでる役もできてしまう。どっちもある程度の形にはなるだろう。でもな、演出家の先生はそれじゃいけえねってんだからお前にストップかけてんだろう。ちょっと将来の方向性考えようってな」

「うん、そうだ。確かにそうだ」


 オレは目の色を変えてこくこくと頷いていた。


「死んでるやつに生きてる役はできねえ、それと同じように生きてるやつに死んでる役はできねえ。これ心理な。今話してて思ったわ」

「今かよ! めっちゃ感心したわ」

「酔ってるからな、許せよ」


 電話口でげふっとげっぷが聞こえる。しゅっとライターをする音が聞こえた。


「いい先生だよ。感謝しな。モブに向き合ってくれてんだから」

「モブ?」

「そう、お前はモブだ。自覚してるろう? ちなみに父ちゃんも会社じゃモブだな。辛れえわ。今日も上司に怒られてよう」


 ここから父ちゃんの会社での失態とか始まった気がするがまあそれは置いとく。


「吉幸、モブに命かけてるんだ。必死こいて死んでこい。極限まで命削って、餓狼になってこい」


 餓狼。飢えた狼のことだ。たしかにこの頃のオレって平和ボケしてなかったか。頬に触れると跳ね返るような弾力があった。生きてる役者に囲まれて生き生きしてなかったか、若い大学生に囲まれてエンジョイしてなかったか、これじゃだめだわ。


 視界の奥で下宿の大家さんの背中が見えた。時間まだ計ってるらしい。潮時だなと廊下の端の柱時計を見た。二十三時半を回っている。


「あんがと、父ちゃん。ごめん、金ねえんだわ。また電話すっからヒントくれい」

「ん。そうか。じゃあな」


 切り際に吉幸、と呼ばれて応答すると父ちゃんがこういった。


「どんな役でももらったらチケット送ってこい。見に行く」


 熱い声に涙が出そうになった。いかん、確実に酔ってるわ。ありがと、ありがとうなと礼をいって受話器を切るとほっとした。大丈夫だわ、オレまだ頑張れるわと勇気が湧いた。

 大家さんに電話代を払って部屋に入るとよっしと気合を込めた。ビールの空き缶を置いて頬を叩く。頑張れオレ、命削って舞台に立てって親がどこにいるよ。父の心からの言葉に感謝するとオレは借りていた練習用の台本と向き合った。

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