第52話 桜田広場の演技指導

 広場さん行きつけの昭和レトロな喫茶でコーヒーをいただいた。貧乏なオレでも払えるくらいの値段だったが味の深みが違う。広場さんが新人のころから通い詰めた場所で、ここでよく台本を読んでいたという。穴場だわ、劇場近くにこんないい場所あるなんて知らなかった。


 白髪の店主が運んできたコーヒーに口をつけると幸せの香りがした。心に張っていたものが和らぐ。こういうリラックスって大事だなって思った。


「で、吉幸くん。なにを悩んでいるんだい」


 広場さんがおごってくれるというので、いちごケーキを食べながら向き合った。甘酸っぱい。クリームの甘味は丁寧に抑えられている。


「役のことでご相談がありまして」

「うん、岸本くんのだよね」

「はい」


 オレは言葉を切ってから話を切り出した。


「先生にいわれたんです。って」

「ほう」


 広場さんは興味ありげにした。


「オレの今までの演技は全力演技です。舞台上でこれでもかって声張って存在感を示す。でも、それじゃ先生は今回の演目の冒頭にふさわしくないって。モブが悪目立ちするんですよね、そういうことですよね」

「さあ、ボクは演出家じゃないから」


 そういっていたずらな笑みを浮かべる。ケーキをもう一すくいすると広場さんはクリームを頬張った。


「美味しいね」

「はい」


 フォークを置くと広場さんは目を柔和にさせて優しく問うてきた。


「キミは舞台を見るときにどこを観るかな。ひとりの役者? 主演の熱演にしか興味ない人もいるだろう。揺るぎのない脚本の美しさ、作品を貫くもの、演者としてはすべて心に留め置いて欲しいがそれも違う」


 オレは耳をじっくり傾けていた。広場さんが身振り手振りで演説を始めた。


「右から木馬がやってきた。どどどどど、左からギミックの階段が差し込まれる。暗幕のなかで演者が乗って中央でくるくると回転を始めた。前には王、裏面には多数の暗殺者。空から吊りものの雲が下りて天井から神が舞い降りる。ヴィバルディが大音量で鳴ってみんなが一斉に違う演技を始めた。ああ、忙しい、とっても忙しい」


「……忙しい?」


「そう、全部を全力で演じると舞台というのはとても忙しくなる」


 オレはちょっと視線を下げた。結果、全力演技は要らないという風にもとれたから。懸命に真剣に舞台に向き合っているものとしてちょっと酷ではなかろうか。


 でもそれが真実なら。


「忙しくないほうがいいんすかね」


 しょげたようにいうと広場さんは首を振った。


「忙しくていいんだよ」


 オレは目を剥いてコーヒーカップを置いた。すでに温くなっていた。


「忙しい舞台上をなんとか形にまとめて作品として完結させるのが演出家の仕事だよ。それぞれの仕掛けが暴発しそうな演目をなんとか葉止め線のようにひっくるめて舞台から零れ落ちないように支えなきゃならない」


 頷くと広場さんが手を広げてさらに声を強くした。まるで主演を張っているような声だった。


「産まれるのは感動だ。多くの観客は舞台の感動を観ている。目の前で繰り広げられるオーケストラを一分一秒でも見逃すまいと目を見開いて必死で」


 オレは黙って頷いた。


「その感動を伝えるためにはなにをしなくちゃならないかな」

「作品を」

「そう作品を伝えなくちゃならない」


 広場さんはオレの言葉に声を被せるとさらに声を張った。


「じゃあ、その作品を伝えるためにはなにをしなくちゃならないのかな」


 作品を伝える? きっとオレが経験してきたことの裏側の視点だ。オレは演じることに必死でそれさえ見てこなかったのだから。


「演出家というのは伝わるかを一番に気にしている。この感動は伝わるか、作品としてどうなのか。気にした先になにが産まれるかな」


 すごく難しいことを問われている気がした。広場さんのいわんとしていることは伝わっている、でもそれを言葉にするのは難しい。


「クオリティだよ」

「クオリティ」


 思わぬ鮮烈な響きに息を呑んだ。


「一流の劇団のクオリティは素晴らしい、どうして素晴らしいのかな。バランスが取れているからだよ。バランスっていうとね、我々演者にとってはとても冷たい言葉に聞こえるだろう。でも真実は違うよ、脇役だから遠慮して演技しろということではない。バランスを取れというのは決して力の3割で演技しろということではないし、演出家もハイクオリティの舞台においてそんなものを求めてはいない」


 分からなくなってオレは考え込んだ。分かる。その真理はたしかに分かる。でも明確な答えが分からない。オレの黙考を待って広場さんが一本指を立てた。


「吉幸くん、渋く光れだよ」

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