第53話 渋く光れ

「渋く光れ?」


 広場さんは頷いた。生きてきて一度も触れたことのない概念だった。


「キミの演技は玄人演技だ。素晴らしい。華があるし、一つの見せ場にもなる。でも君が冒頭で全力演技をして見せ場を作ってしまったらどうだろう。舞台としてどうかな、しりすぼみになりはしないだろうか」


 オレはあごに手を置いて考える。今までの自分の演技のもっていき方を考えると確かにそんな節があった。出番が少ないことで極度に悪目立ちすることはなかったのだろう。だが冒頭の一番目立つところで一人演技、十分に客目を引く。そこで全力演技をしてしまえばきっと広場さんの懸念通りになる。


 頭中で何度も自分が恐怖を叫んでいる場面を想像する。クライマックスとしか思えないような華美な演技だ。ダメだ、これじゃダメなんだ。


「オレは演技についてもう一度再構築する必要があるんすかね」

「プロとしてやっていきたいならばね」


 そういい置いて広場さんは続けた。


「渋く光れってどういうことか分かるかい」


 オレはうーんと唸って広場さんを見た。渋いっていうと桜田広場そのものなんだけどなと、手でジェスチャーして伝えると広場さんは笑った。


「ボクかい? ボクはこれでもキュートなつもりだよ」


 うん、まあそうか。ちょっと違うか。ちょっと腑に落ちないけれど受け入れる。そしてオレは例えば、といい置いて頭中にあるイメージをそのまま伝えた。


「オレ、古着屋さんに行くんすけどね。大量の安物のなかにたまーにあるんすよ、いいやつが。使い込んだ革ジャンとか、ブーツとか、年代物の映画Tシャツとか。それ見たときにああ、渋いなあって思うんすよね。何だろう、上手くいえないんすけど」

「使い古されたものには価値があるよね。その理解でもいいのかもしれない」


 うん、と頷いてオレは考えた。


「ただボクはそういうの、分かる人には分かるって解釈でもいいと思うよ」

「おお。あ、いやそうか。そうだわ、そう舞台ってそう」


 オレはぶつぶつと繰り返した。


「舞台を観に来てくれるお客さんの目は肥えている。そういう人たちにああ、あの立長吉幸いい演技するなって思わせたいよね。冒頭で引き込んで魅了したいよね」

「ああ、そういうのが渋く光れ。なるほど」


「基本、演技というのは押したり引いたりするんだよ。台詞もそう、身振り手振り、表情。ありとあらゆるものに気を配り大地を震わすように全身で伝えなければならないものを体現しなければならない」

「あ、そうか。オレのは全力プッシュ、だからやりすぎるなよって監督が」


 広場さんはご名答と人差し指を立てた。


「オレにできるっすかね」

「なにかを為すのに大事なのは今の君にできるできないではなくて、こなすためにはどうするか考えることなんじゃないかい」


 ああ、そうか。この人はいつでもチャレンジャーなんだ。そう思った。広場さんは胃の一部を切り取っている、それでも命がけで舞台に挑んでいるのだ。

 オレは目の前でパンっと手を打つとそのまま机に向かって頭を潔く下げた。


「あざっした! 稽古が始まるまでまだ少しあるので台本読み込んで模索してみます。先生とも相談します」

「先生が望む以上のものを提示してご覧。きっと君の虜になるよ」


 この人はなんて素敵な言葉を吐けるんだと思った。オレのなかで途端、向上心が湧いてくる。この人にだけはオレの演技を認めてもらいたいと思った。


 それから広場さんはちょっと家族の話などして、楽しみにしているよといってタクシーで帰っていった。出発を見届けたオレはそれとは反対側に徒歩で帰っていく。


 考え込みながら雑多な通りを歩いていると古着屋がいくつかあって、ふと興味ありげに一つの店舗に入った。さっきあんな話をしたばかりだ。掘り出しもののアイデアくらいあるだろう。頭には渋いってなんだろうなとファッションとは無関係の、でもとても重要なことを考えていた。


「お、これお洒落じゃん」


 鶴柄の黄色いシャツを手に取るとお洒落な店員のおじさんが近づいてきた。


「それ、渋いよね」


 にこにこ笑顔で話していたがオレは目を見開いた。このおっさん今、超重要なキーワードいわなかったか!


「渋いってなんすか!」

「え、あ、いや……」


 あまりの剣幕に向こうは少し引いた様子だったが、少し考えて丁寧に答えてくれた。


「生地の質感とか、ボタンとか、型とか。細部にこだわってるってことじゃないかな。見る人が見たら、いい仕事してるよなあって。職人物の」


 オレは言葉を失って呆然とした。いい仕事? 玄人演技? 細部にこだわる? 職人物の? 頭のなかを喫茶店の会話が駆け抜けていく。広場さんのいっていた言葉が胸のなかに洪水となって溢れた。そうか、そうか、そうか!


 オレはぶんっと頭を下げると大声で叫んだ。


「すんません、ありがとうござっした! また買いに来ます」


 おじさんはあまりの勢いに商品を勧めることすらできず「あ、じゃあ」なんて手を挙げていた。走る男の心は急上昇、離陸します。シートベルトを締めて立長吉幸いざテイクオフ! 見つかった見つかったぞ、オレの生きる道が!

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