第18話 6月の定期公演
明鏡止水、泰然自若、晴雲秋月、あとは…………まあ、例えはなんでもいい。いよいよライフォールの鏡の舞台公演が始まる。その時をオレは静かな心根で待っていた。こう、アレだな。緊張すっかと思ったけど案外平気だ。舞台度胸は割とある方じゃねえかと思う。いいかえれば、ふてぶてしいともいえるが。
オレの出番は中ほどとラストに一回ずつ。一回目は生身の人間で、ラストはその亡霊役をやる。同じ衣装のままで照明の色と動きを変えるだけで死を演出するというからすごいだろう。着替える手間も省けるし、なにより面白いアイデアだ。死ぬ前と死んだあとで愕然と変わる二種のコンテンポラリーをみっちりと叩きこんでこの場に臨んでいる。
静かに照明が落ちて開幕の時間、外は小雨が降るなか満員御礼の体育館で舞台が始まった。
「ぼくはお金もない、地位もない。どうしようもない夢だけを抱え生きている」
主人公の台詞にその一瞬で緩慢としていた空気が変じた。
「僕の夢は都会で芸術を大成すること。でも先立つものがない、どうしてもお金が必要だ」
主人公だけに絞られていた照明が舞台全面に広がり、隠していた村の骨董店が映し出された。右寄りに全身を映す大鏡があった。ライフォールの鏡だ。これは実は鏡をはめ込んでいないただの木枠で、向こう側に主人公と同じ格好をしたもう一人の演者がいる。生き写しのようだが片方は這いつくばるようなまるで違う動きをしているから面白い。
「不思議な鏡だ、姿を映さないだなんて。これは未来を映すのかい」
「ほしいならただで譲りますよ。余っていたものです、遠慮はなさらないで」
答えたのは老爺の店主だった。店主は黒づくめで視線を隠している。
「不思議だ。どうして本当の姿が映らないんだろう」
「真実の姿ですよ、ただしあなたの死の間際を映す姿です」
「死を映す鏡というのがこの世にあるのかい」
「どうですか、欲しいですか」
「そんなもの欲しくない、死を知りたい人間がどこにいる!」
主人公は張り裂けんばかりの声を上げて右に揺れて、さっと左に体を翻す。これこそがコンテンポラリー、赤い照明のもとで吐くのは悪魔のささやきだ。
「そうだ、これを使って商売しよう。一回のぞくごとに少しずつ小銭を儲けるんだ」
「そんなことしていいのかい」
「かまわない、馬鹿な村人をちょっとからかうだけさ」
さっとまた右に体を翻し全身で歓喜を表現する。
「ほしいです、譲ってください」
村で商売を始めた主人公の元にたくさんの人々が訪れる。左右の舞台袖から姿を見せる村人たち、いよいよオレも出番だ。
頭には麦わら帽子をかぶって鍬を持ち、サスペンダーをつけた農夫を演じている。台詞はなく心の躍動はコンテンポラリーで表現する。
オレは全身のばねを使って体を回転させながら鏡の前にいき、のぞいたところで頬を叩くようにムンクの叫びを作った。自らの死を目にした愚かな農夫の恐怖だ。オレは乾いた叫びとともに果てる。鏡をのぞいた村人たちは次々に絶望の曲調に合わせて反転しながら倒れ伏し、舞台には死体の山が築かれた。身銭を儲けた主人公は金を浴びて声を上げ笑っている。
「みんな哀れだ、死を覗きたい欲望に駆られてやってくる。オレはこの金で立身出世する」
やがて商売にとりつかれた主人公は芸術を追うことそのものを止めてしまう。人の死を見つめながらワインを煽り、堕落という二文字に憑りつかれる。
ここからが一番の見せどころ、コンテンポラリーで二度目の亡者を演じる。亡者として息を吹き返した村人が死をあざ笑う主人公の周りに怪しい曲の変調とともに現れる。
オレは目いっぱい恨みつらみを演じた。自らの人生を望みながら死を突き付けられた男の絶望を感情で表現する。生きたい、生きたい、オレは生きたい。もう観客席は見えていなかった。一心不乱に与えられた役を演じる。オレは農夫、オレはこの村で生まれて死を悟り死んでいく。毎日育てている牛、鶏、乾草の香りが脳裏に浮かんだ。
涙が出そうなほどの感情をすべてぶつける。すべては出来心、自らの死など本当は悟りたくはなかったのだ。死という檻に捕らわれた亡者どもは生と死の狭間で揺れ動く。心臓を握りつぶすほどに切なく哀れに高ぶる。
総勢23名による絶望のコンテンポラリーで大迫力の景色を突き付けている。観客からしてみれば息をのむようなシーンだろう。
黒づくめの店主がついぞ衣装を脱ぎ捨てて自らの正体を死神と名乗った。舞台が暗転し恐怖の叫びに思考を切り裂かれる。雷の銅鑼が鳴り響く中、半狂乱に陥った主人公が闇で舞い踊る。ライフォールの鏡に映された自身の死に驚愕しているのだ。
「オレは死なない。永遠に死なない。死神よ、それでオレを呪い殺したつもりなのか」
「人々から金銭を搾取し、幸せな未来を奪い。自身だけは幸せに生きようなどと、その愚かさを排除しよう。お前はどうしようもない愚者だ」
最後の雷鳴の一撃が落ちた。奇跡の一刻、地獄を模した真っ黒のセットの中央で岩に縋りついたまま主人公は腕を伸ばして絶命する。
観客は惹きつけられるように死を描き出す赤いスポットライトを見つめていた。これが彼の望んでいた栄光への階段なのだ。万感の思いで壮絶な最期を見届けているとそこへ一筋の光が指す。天からふわりふわりと揺蕩いながら舞い降りたのは死者の羽衣だ。
地獄に落ちた主人公は衣を被り、絶望の中で命を吹き返した。主人公を囲うのはヘドロを被った亡者の群れ。亡者に命を食い散らかされて呪いの言葉を叫びながら圧巻の景色のなかで劇は終焉を迎えた。
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