第43話 スタンド・アップ

 さてとそれからオレはなにしたかな。シフト通りドラッグストアに行ってた気もするけど、そこはすぐに辞めちまった。薬剤師になるとかほざいてたけど、アレ嘘だから。ただの強がりだから。心は無念でいっぱいでとてもじゃないがまともな日常なんて送れなかった。


 働かなくなったオレは毎日家で布団にうずくまって泣いてた。頭を占めるのは死体役への想いと憧れ。これまで見てきたあらゆる死体役の銀幕の演技が脳裏に浮かぶ。あの身を引き絞り、いざ切られる瞬間を覚悟しながら抗う餓狼のような鋭さを……


 身を右にひねり、左にひねり。たぶんあれは主役が上手いんじゃねえ、切られ役が上手すぎるんだ。軽く振っただけで豪快にはじけ飛ぶような身のこなし、地に落ちてもなお肉を食いちぎるようなあの気迫。


 オレは想像するうちに堪らなくなって布団を剥ぐと鏡の前まで全力で走った。半裸になって殺陣をやる。冬場なのに汗を掻いてこれでもかと気持ちを込める。足りない、まだ足りない! もっと必死に、必死に……


 気づけば二時間ほど経っていて、オレは疲労困憊でフローリングに座り込んだ。ダメだよ、ダメだ。全然諦めきれてねえ。未練たらたらだ。頭を抱えこんで考える。やっぱ役者続けてえんだよ。

 がしがしと頭皮を掻いているとふと右手が気になった。そっと下ろして見る。過ぎ去った熱を取り戻すかのように何度も動かした。そうか、オレはこの手で広場さんと握手したんだ。じいっと見つめ、握っては開いてを繰り返す。そうか、そうか。そうだった、そうだったよな。


 ぐっと固く握りしめたときに父と交わした言葉が頭を掠めた。



――吉幸、モブに命かけてるんだ。必死こいて死んでこい。極限まで命削って、餓狼になってこい。



 オレは飛び立つようにリビングに戻ると求人情報誌をべりべりめくった。生きてかなくちゃとスーパーからもらってきたものだが、見るところはそっちじゃねえ。裏のちっさい広告だ。確かあったはず。あった、コレだ。


 大家のおばちゃんに電話借りると伝えると黒電話のダイヤルをぐるぐる回した。待ってろ、待ってろよ。電話をかけ終わったオレは拳を握りしめて覚悟する。ああ、そうだ。これからお望み通り大爆死してやる。

 オレはTシャツを着てぼろっちいデニムを履くと破れたスニーカーで小雪舞い散る町へと走った。



       ◇



 早朝五時のロケは堪える。みんな雁首揃えてきているが密かにあくびをかみ殺しているやつもいる。そんななか、オレは目ん玉バキバキに向いて臨戦態勢だった。


「じゃあ、こっちから歩いてください」


 現場で何番目かも序列が分からぬ助監督の指示を受けてオレともう一人の後ろ向きなやつはスタンバイした。


「よーい、はい!」


 近くでプロの役者の台詞が聞こえているが他人は関係ねえ。オレはさっそうと後ろを通り過ぎる。通り過ぎるといってもただぼさっと演技しているわけじゃねえ。自分で時間をかけて作り込んだ役柄がある。背中から都会に孤独に生きる中年男の哀愁を漂わせていかにも寂しそうに歩いた。


「ちょっと、キミちょっと!」


 監督の声が差し込まれてオレは歩くのを止めた。


「キミ困るよ、あんまり哀愁漂わせないで欲しいんだ。ただの背景だから」


 ただの背景……、ちょっと言葉を無くしかけたがすぐに反応する。


「すんません。ダメっすね」


 オレは丸めていた背中を伸ばして持ってきていたリュックを肩で持つと今度は普通に歩いた。今度はただの学生だ。カメラの前を通り過ぎるとオレは脇に控える。まだ撮影が続いている。カメラが止まるとすべての出演者は演技を終えて背中だけのもう一人のエキストラも脱力した。


「お疲れさまでした!」


 撮影はまだ余所であるがこの現場はここまで。オレはスタッフから封筒を受け取るとぺこりと頭を下げてその場を後にした。


 近くの公園のベンチに座ると封筒の中身を確認した。千円、二時間の拘束時間ではいい方だ。これで夕食を買う。朝昼は食べないで、夜だけ食う。体は痩せて肌は心なしか老いて、雰囲気が出たっていうのは喜ぶべきことだろうがオレは文字通り日々身を削っていた。


 しかし、ただの背景。改めて現実を突きつけられた気がするが哀愁漂ってるというのはよかった。一つ前進だな。


「残りは貯金だ。家賃も払わなくちゃな」


 なけなしの煙草に火をつけて顔を上げるとひと際大きなポスターが見えた。劇場メトロポリタンの公演だ。手元の千円を足しにすれば……ダメだ、ダメだとふるふる首を振る。まだ戻れない。今度行くのはもっと実力がついてから。


 封筒の中身を確認すると千円は健在だった。当たり前だよな。もらったばっかりだ。オレはその千円の封筒をポケットにつっこんで軽すぎる財布を握りしめると他の劇場を探して歩いた。




――お父さまの庇護を払いのけて私はいよいよ幸せの鳥になったのです。


 女優は青い羽根が全身に縫い付けられたドレスをまとって身をひるがえす。青ってのはとてもいい。煌煌とした舞台が暗転してふいにライフル音が聞こえた。その瞬間青い鳥は壇上で絶命する。天井裏から舞い散る羽、まるで滝を止めたような衝撃があった。


――レズリー! 違うんだ。父さんはお前を何より愛していたのだよ。


 娘の亡骸を抱えて父は号泣する。再びライフル音がして今度は鮮血が淡いグレーのベストに散った。血糊で口元を汚した主演が立ち上がって両手を広げる。シンバルの音。あ、ここ見せ所だな。赤黒い照明の中でアカペラの歌唱が始まった。



――オレは自由を求めて立ち上がる。いざ進め、愛する小鳥の犠牲のもとに名を挙げて……



 やや短めの二時間十五分の公演が終わって劇場を出たオレは背伸びをした。武士は食わねど高楊枝、観るもんは観てないとな。


「ああ、やっぱ舞台最高だわ」


 しかし、半月分の蓄えを叩いてしまったからまた節制しなくちゃならねえ。三食漬物って田舎のばあちゃんかよ。


「さてと、帰るとするか……って、うん?」


 おい、嘘だろ! 運命の再会だ。見たことあるやつがいてオレは目を剥いた。あいつは、あの懐かしき天然パーマは。


「む・ら・さ・き~~!」


 顔面に喜色を浮かべて走っていくと相手はちょっと驚いたような顔をした。全く変わらねえ、変わってねえ、こいつ村崎だわ!

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