第59話 舞台デビュー中編

 舞台上では物語が進行していて、それを見守っていた。すでに娼婦は殺されて警察の捜査が始まっている。第一発見者の娼婦の元同僚のホステスが聞き込みを受けているところだった。

 元同僚の小さな女は目を真っ赤にはらして涙ながらに自身の知っていることを伝えた。


「せ、せぱ……わた……変な人に……付きまと、いるって」

「変な人というのは?」


 彼女は涙をぐっとのみ込んで重要な情報を伝える。


「分かり……ません、男の人だった……は思う……けど」


 嗚咽しながら吐き出された言葉を刑事は手帳に記録していく。

 娼婦の死因は刺殺による出血性ショック死。背中から心臓を一突きにされてた。同僚は小さな体を震わせていろいろなことに怯えている。元先輩の死、自身も第一発見者で疑われているということ、そして自らももしかすると犯人の歯牙にかかり……


「なにか、隠しているんじゃありませんか」


 漠然とした質問に女の肩の震えが大きくなる。


「知りません!」


 小さな女は勢いよくそういうと現場を去っていった。


 近隣住民への聞き込みを始めると不審な男が浮かび上がった。娼婦の真向かいに住む男だ。男は普段隣近所とも付き合いがなく、一日の大半を自宅で過ごしている。年齢は五十六歳、無職。家族はなくヘビーなネットユーザーで刑事は彼に違和を覚えた。


 盗撮癖だ。彼が偶然にもレースカーテンの隙間からガラス戸越しに娼婦の自宅を撮影しているところを発見してしまったのだ。犯行時刻にもなにか撮ったんじゃないかと疑り自宅を訪れると彼は薄暗い顔でありのままを語りだした。


「彼女はよくお客を自宅に招いていましたよ。近所の人とかみんな知ってるでしょ、別にオレだけじゃないんですよ」

「盗撮は犯罪です、必要なら令状もとります」


 男は脅されてパソコン内に保存してあった膨大なデータを提供した。署で事件のあった日の朝からの記録を探る。娼婦の宅には客が入れ替わり立ち代わり来ている。刑事は「よくやるよ」と呟いてある時刻の映像に目を留めた。

 犯行の時刻の映像だ。

 犯人が映っていないかと目を凝らしているとあるものが映り込んでいた。


 牛乳を置き引きする或る男の姿だ。



——男はみすぼらしい姿で早朝の閑散とした住宅街を徘徊していた。良い物ないかなとぼやいて軒先を物色している。すれ違う新聞配達員を警戒し神経を尖らせて、過ぎるとまた元の調子に戻る。しかし心躍る、スキップでもしてみるかと足を踏んだ。普段から世間の人々から蔑視されているのだ、これほどに楽しいことはない。


「おっ」


 男はあるものを発見した。青い牛乳箱だ。左右を軽く警戒し、慣れた所作で住宅の敷地へと侵入する。抜き足、差し足、忍び足。音を立てぬようにそっと開けて確認する。目を輝かせた。今朝配達されたばかりの冷えた牛乳瓶が二本入っていた。


「ラッキー」


 男は良心の呵責なく牛乳瓶を開封した。キャップを外すとガラス瓶をくわえるようにして喉を嚥下させた。貧乏で枯れた喉に白いまろやかさが広がってゆく。豪快に音を鳴らせて一気に飲み切ると瓶を口からキュポンと離した。


「ああ、最高」


 感嘆の声が漏れた。人生の喜びを得たかのような声だ。公園の水道じゃこうはならない。一週間ぶりの感動に気をよくしてもう一本、と手を伸ばしたところで住宅のなかから裂くような悲鳴が聞こえる——



「映ってるのはここまでですね」

「なにか見ているな」

「おそらく」


 最後には男が顔面蒼白で脱兎のように駆け出す姿が映っている。科捜研の捜査官はパソコンを叩いて男の詳しい分析を始めた。


 まもなく身元が割れた。彼は近くの河川敷に住む五十四歳のホームレスだ。だが、彼は事件の二日後に近くの公園で刺殺れている。たんなる偶然とはいいにくい。おそらく娼婦の事件と同一犯の犯行だ。

 冒頭と娼婦殺し、ようやく二つの事件が結びついた。


 その後、事件とは関係ない証言がぼろぼろと出始めてそれに警察は捜査を攪乱される。娼婦のヒモ、牛乳配達の男の不倫相手、殺人犯を脅す謎の電話の主。ホームレスとは無関係のところで事件は次第に膨らみ様々な様相を見せ始める……




 オレはすべての出番を終えて静かに舞台を眺めていた。

 煌びやかな舞台上でバトンが渡されてゆく。自分のような若手が演じてベテランがそれを引き継いで。

 舞台という水平面に立って一つの作品を作り上げる上で、先輩と後輩というアドバンテージはない。経験の差はあるがそれは実力の差だろう。先輩だから上手いとか後輩だから下手だとか、そういう世間の風潮を打ち捨ててみんな純粋に実力だけで観客に向き合っている。

 目前では迫真の演技が繰り広げられて、物語を切るようにかき混ぜながら、時に飛沫さえ弾き飛ばして、熱く魂の込もった演技している。


 舞台ってチームなんだな、それを自覚した瞬間だった。チーム、ずっとライバル関係なんかと思ってたが実質は違う。みんなで切磋琢磨して励ましあって。奪った役も逃してしまったチャンスも関係ねえ。作品という一つの大きなものを作り上げているのだ。

 汗は引き、少し疲労していて、でもそれを心地いいと感じている。煌々と照明が降り注ぐなか、登場人物はどんどんと入れ替わりして佳境へと向かっていく。舞台袖から役者が走り出て、迫真の演技で悲劇という名の最後の協奏を奏で始めた。


 娼婦と牛乳配達の男は共謀者だった。二人は過去にひっそりとした山のなかで客の男を殺した。汗をいやらしく掻き、呼気を乱して、人を一人殺したという恐怖に抗おうとしている。ひっつめ先輩の額にはリアルな汗が光っていた。

 ラスト、盗撮犯が二人の犯行を始終見ていたこと自供する。娼婦と牛乳配達の男から金を脅し取ろうとしていたこと。自首するかしないで仲違いし、牛乳配達の男が娼婦を殺したのが事の顛末だ。盗撮男が粘着質な独白のなかでヘドロのような感情をまき散らしながら物語は終焉を迎えた。


(終わったか)


 静かに奥に下がる。まるでシリーズ物の長編映画を観終えたような達成感だった。舞台袖にはみんなが集まっていて誰一人言葉を発しない。

 拍手喝采を聴いているのだ。会場が揺れて耳が打ち震える。おそらくこの称賛は舞台にかかわったすべてのスタッフと演者へ向けてのものだ。照明のついたころには感動が劇場内を席巻し、締めの演技をした役者が頭をひたすら下げていた。


「立長くん、いくよ」

 

 すっかり笑顔になった薄汚れのひっつめ先輩に引っ張られる。最後のカーテンコールだ。おおう、と動揺して駆け足で向かうとそこで初めて客席の全顔が見えた。満足そうにしている人もいれば、少し考え込むような人もいる。でもそれがきっと舞台というものを観終えたときの正直な感想だろう。

 オレは嬉し恥ずかしの感情のなかで父の姿を探した。あの薄らハゲそうじゃねえか、違うな。あのジャケットは。隅々まで見たつもりだが姿は見つからなかった。がっかりすんなよ。これ告白な、父ちゃんはいなかったんじゃなくてちゃんと来てくれてたんだ。じつをいうと泣いてたらしい。

 でも観客席は探せないほどに満員御礼だったんだ、オレはその最高の栄誉の中で初舞台を終えた。

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