第60話 舞台デビュー後編

 父とじっくり語り合えたのは初舞台を踏んだ週の木曜だった。公演は月末まで約一か月間続くけれど、この日は休演日で電話であの日の余韻を分け合った。


「ほう、じゃああそこのシーンはそういう意図があったわけだな」

「そうそう、岸本さんの脚本だとあんまり直的な台詞を書かないわけよ。娼婦は殺そうっていったわけじゃないけど、仕草やイヤな態度で示すんよ。それに殺しましょうっつってみろよ。完全にコントになっちまう」

「ああ、そうだな。新喜劇だ。違いねえ」


 父ちゃんはケラケラと笑った。とても愉快そうだった。あっちも酒飲んでるわ。電話で話すのは久しぶりで、なんかこういうの親孝行だなとじんわり感じ入っていると父もやっぱりそう思ってたらしく。


「吉幸よ、親孝行だと思っとるぞ」

「いうなよ、オレも今感じてたとこだわ」


 恥ずかしくもあり嬉しくもあって、床に置いていたカップ酒をくいっと飲んだ。


「しかし名演だったな、冒頭でクライマックスかと思ったんだが」

贔屓ひいきしすぎだよ。ハズいじゃんか。どんだけ息子評価してんだよ」

「いや、感動に感動だったぞ。あの演技。冒頭でもう舞台終わったかと勘違いしたからな」


 喜んでくれたんだろうけどな。でもそれじゃトップバッターとしてはやりすぎだ。内省しつつ今後に生かしますと伝えて受話器を持ったまま頭を下げた。


「父ちゃん、あんがとな。今まで」


 間が開く。得もいわれぬメッセージが伝わったらしく電話の向こうからひと言だけ「おう」と返ってきた。


 電話を切ると気持ちがこみ上げて叫びたくなり、窓辺に走ってガラス戸を勢いよく開けた。が、叫べなかった。眼下に望む都会の光が今日はあまりに温かく、都会ってこんなもんかと思って生きてきたオレの曲解を変えてくれるような綺麗な夜だったから。


「オレ、プロになれたんだな。なれたんだわ」


 ベランダでちびちびとカップ酒を飲んでほくそ笑んだ。仲間たちももう眠っているころ。明日に備えなくちゃと喜びの気持ちを抑えながら床に着いた。




 公演も半ばに差し掛かるころには村崎も来てくれた。出待ちしてくれていて、人気俳優でもないくせにパンフレットに下手なサインをした。


「いや、立長ほんと良かったわ。あの演技見てるとチャップリン思い出したぞ」

「なんでだよ」


 オレたちはケラケラと笑って小突き合った。


「いやさ、メトロポリタンすげえわ。脚本も面白かったよな。役者に演じる幅を持たせてるっていうの」

「すんません。ちょっとなんのこといってるか分かりません」


 首をかしげておどけると村崎も素人が語っちゃったわ~、やめろよと笑った。オレも笑顔になる。


「脚本は大学の先輩が書いてるんよ」

「へええ、才能ある人なんだな」

「学生時代に作家でプロデビューした人だけどさ、今は劇団の脚本メリメリ書いてるんよ。姫喰いとかすごかったわ。学生演劇の域、超えてるもんな」

「ええ、まじ。観たかったわ~」


 それから少し楽しく話して、村崎は次の作品も楽しみにしてるといい置いて帰っていった。




 一か月はこうして順調に過ぎ、でも細かい面では苦労した。踏んで分かったのだが同じ舞台というのは二度とない。同じセリフを吐いて同じように演じても日々出来が違うし、それは自分だけじゃなくて周りの演者やスタッフにもいえることで、すべてが細微なバランスで組み上げられていることを改めて実感した。


 月末に迎えた千秋楽は感無量だった。或る男を演じるのはこれで最後、牛乳を飲むのだって気持ちが入ったし、最後の台詞を吐いたときには思わず死ぬという男の恐怖が乗り移って逃走しながらしっかり泣いた。出番を終えて舞台袖に引くと気持ちが下りて竦みそうになったが堪えて、みんなが無事演技するのを待つ。腹の前で腕を組んで大丈夫、大丈夫だ、なんて呟きながら見守った。


 カーテンコールでは夢にまで見たスタンディングオベーションが起こり、その音を鼓膜に焼き付けながら己の幕を静かに下ろした。心の奥からありがとう、という気持ちが自然とこみ上げてきた。手を振る。オレはこの拍手に支えられて生きていくんだと思うと熱いものがあった。




 その夜、劇団関係者で打ち上げをした。公演中は緊張しきりだった表情も緩んでみんな酒を飲む。結構大酒のみが多く楽しそうにしていた。


 一番はっちゃけていたのは真の主人公、盗撮男の役の前島さん。劇中ではヘドロみたいな演技をしていたが普段の彼は気のいいぽっちゃりさんだった。普通のどこにでもいるような人に見えるがテレビにも出たことあるすげえ人らしいぜ。


 賑やかにする一方で固まって演劇論を語り合う人たちもいて、ああ、なんか役者だなという気持ちになった。


「吉幸くん。どうだった、一か月とても大変だっただろう」


 語りかけてくれたのは広場さんだった。千秋楽を観に来てくれたらしく打ち上げにも参加していた。たびたび気にかけてくれるありがたい大先輩だ。大変、か。ふと考える。大変だったんすけど、といい置いてオレはこういった。


「舞台って生き物だって思いました」

「ほう」


 と広場さんは興味深そうにした。


「日々成長していくんすよね、演じることによって作品が」

「修練されたということだよね」

「はい」


 オレは広場さんにビールを継いだ。そうするとあろうことか先輩の広場さんが注ぎ返してくれた。


「大変だけど頑張ってね」


 そう気さくにいい置いてウィンクすると広場さんはビール瓶片手に別の輪へと加わった。なんとなくその姿勢を見て、人ってこうやって育てていくんだなって生意気なことも思ったっけ。


 残った手羽先をつまみながら考えた。長いひと月だったなって。怒涛のように過ぎた日々のなかにはいくつもの小さなつまずきと大きな達成感があって、舞台というのを味わったのも初めてだったし、役者として真に評価してもらったのも初めてだった。一ついえるのは演じるという一連の過程においてオレは確実に成長している。

 オレは上手くなる、もっと上手くなる。そう念じてビールを流し込んだ。

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