第61話 合コン

 初舞台を踏んで以降、オレは着実に経験を積んでいった。死体役にしては珍しくファンもついていた。聞いて驚け、出待ちは二人! ……おいっ、そこのお前笑うなよ。これでも多いほうだかんな。


 上手くなるためにどんな役でもやった。演出家の先生に月代がいいとほのめかされればその場で剃り落したし、太ったほうがいいといわれれば採算度外視で太った。役作りのためならなんだってやる。いいものが作りたい、渋く光りたい、その一心だった。


 稽古をして、舞台、稽古をして、舞台。貪欲というのはこの頃の心情ととてもあっていて、飢えていたんだな。喰っても喰っても腹が減って堪らなかった。そして、生涯の伴侶となる美代子と会ったのもこの時期だった。


「立長センセ」


 確か岸本さん脚本の『焔の船』を演じていたころだから痩せていたと思う。帰り支度の時に同輩の劇団員に声をかけられて振り向くと相手がニカッと笑った。


「なんだよ、気持ちわりいな」


 モスグリーンのダウンを着込んで、ショルダーバッグを肩にかけて交わそうとするとそいつが腕を引き留めた。


「合コンするんだけどさ、こない?」

「いかねえ」

「いや、お前来るとさ賑やかしになるんだよ」

「客寄せパンダとか思ってねえだろな」


 そいつは手をパンっと合わせて、頼む頼む! と引き留めた。頼まれても大抵は断る。何度か参加したことはあるけれどちっとも面白いものではなかったし、生活のリズムは崩したくねえ。だからこの時も本当は断るつもりでいたんだ。


「なあ、頼む! 頼むから」

「ほかに人いねえの?」

「そうなんだよ、あのな美人看護婦だから」

「……看護婦?」


 耳をピクリと動かした。なんといった。もう一度いってくれ。そう、オレは看護婦フェチだった。以前、舞台から落ちて骨折した時に入院した病院に若くて可愛い看護師がいて、それ以降どうしても看護婦という言葉に弱い。あの白いストッキング、ナースキャップから垂れたおくれ毛……


「ちゃんとくるんだろうな」


 オレは声を落として確認した。


「ああ、もちろんだ。いこう、いこう。すぐの店だからさ」


 仕方ねえなんて言葉をこぼしながらもオレはほくそ笑んでいた。看護婦がくる、看護婦がくる!




「立長吉幸、全剃りやりまーす!」


 上半身裸でビールを一気飲みして、たまたま持っていた剃刀で頭頂部を剃る。髪の毛がじょりじょりとゴミ箱に落ちて、向かい合わせに座った看護師たちが手を叩いて笑っていた。今なら叱られるだろうが時代が時代だ。当時の居酒屋では破天荒な客が多く、店側もああ、あの劇団の人でしょうという感じだった。


「はー、すっきりした」


 騒ぎ終えるとすっきりした頭頂部をさらけ出しながら座ってビールを飲んだ。場は確実に盛り上がった。やり遂げたという気持ちだった。


 が、なんか違う。思っていたのとなんか違う。美人看護婦は同輩や先輩にかすめ取られて何故かぽつねんと残された男一人。捨て身で場を盛り上げたというのになんだよ、この末路は。


(ふう、やっぱ詰まんねえわ)


 心で吐き捨てて大ジョッキのビールを飲む。飲んで帰ろう、どうせ明日も稽古だ。


と、


 そのときたまたま前に座っていたのが美代子だった。まあ、今はべた惚れだけど、当時はそう思わなかったな。顔も中の中、胸はちょっとおっきいが普通。大根足でスタイルも良くねえ。髪は後ろでつまらなさそうに結んで、服も地味なグレー。でもなんだろう。話しかけなくちゃという気になった。


「こんちは!」


 間の悪い挨拶に美代子は奇妙だという顔をした


「ああ、いや。こんちはじゃないけど。あの、詰まんねえっすかね」


 そういやさっきのオレの月代にも一人笑っていなかったな。


「人数合わせなんです」

「あ、じゃあオレと一緒だ」


 そういってオレは美代子にメニューを渡した。

「えっ?」

「飲みもん」

「ああ」


 美代子は店員にオレンジジュースを注文するとメニューをそばに置いた。


「あんまりお酒飲まないんすか」

「明日仕事だから」

「はは、オレと一緒。オレも稽古なんすよ」


 すると少し間が開いて美代子が疑問を呈した。


「舞台役者さんって髪型自由なんですか」

「いや、まあ。やっちまったけどカツラ被るしかねえよな」


 そうすると美代子が初めてぷぷっと笑った。


「舞台好き?」


 問いかけると美代子が会話に応じてくれた。


「あんまり観たことないんですけど、友達に誘われて何度か観にいったことがあります」

「どんなの?」

「えっと、マリーアントワネットと漫画原作のやつとなんだったかな、忘れちゃった」

「ふうん、四天座かな。オレはね、メトロポリタンっていう劇団で死体役やってんの」

「死体役?」


 美代子はメトロポリタンの名を知らず、死体役という言葉に興味を示したようだった。


「まあ、出てる途中で死んだり、始めっから死んでたり。とりあえず死ぬの。ちょい役ばっか。面白いっしょ」


 すると目の色が変わったような気がした。


「……ごめん気分悪い、帰る」


 そういって身支度を始めたのでオレは慌てて腕を抑えたが彼女はそれを振り切った。オレはわけが分からず焦ったが、今なら察せる。死ぬと軽口を叩いたからだ。思えば美代子は看護婦だった。


「演技で死ななくてもこっちは日常茶飯事死体を見てるから」


 吐き捨てられた言葉に身を固くする。


「あっ、や。ごめん」


 オレは焦って頭を掻いたが髪はねえ。変なゴリゴリの感触を感じながらしどろもどろになった。


「あのさ、そうじゃなくって。オレ死体役に一生懸命で。別にふざけてるわけじゃなくて」


 間の悪い店員がオレンジジュースを持ってきたので受け取る。それを動揺で少しこぼしてしまったからそれを拭いて。そうこうしている間に美代子はその場から立ち去っていた。

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