第36話 祝卒業

「本当にやるのかい。後で文句いっても直せんよ」

「おっちゃん、いいからいいから」

「ほんとに知らんからね」

「責任は自分で取ります」

「ほんとにやるんかね」

「一思いにやってください」

「ほんとにほんとに……

「いいから!」


 オレは今床屋にいる。さっきから店主のおっちゃんと押し問答。人生初の完全な月代となるために覚悟を決めてきた。両金二千五百円、くそマジ高けえ。しかし、自分でバリカンで剃るのとはエクスタシーがまるで違う。青い、最上に青い、つるつるてん、つるつるてん。


「興奮するうう~」


 すっきりとした頭頂部を撫でながらにやけるオレの様子におっちゃんはげんなりとした顔をしている。


「ほんとにこの頭で卒業式にいくんかね」

「もちろんっすよ。これ以外にふさわしい髪型あります?」

「いっぱいあると思うけどね」


 最後に派手に散らかったクリームを流すために頭を洗ってもらうとすーすーとした。気持ちいい。卒業卒業、ビバ卒業だ。

 だが卒業式においてはまだやることがある。食傷気味におっちゃんへ言葉を注いだ。


「あのすんません、結ってください」




「マジか、立長! 一番目立ってるじゃん」


 金糸の陣羽織をレンタルし、頭をちょんまげに結って殿様スタイルだ。袴の女子学生も霞むこの目立ちよう。見た瞬間に爆笑してるやつもいた。


「ま。アレだな。オレの伝説の始まりというか」


 目の前にはすでにアカデミー賞のレッドカーペットが敷かれている。ここからレジェンドへの道が始まったといっても過言ではない、というのはいいすぎだが。

 友人たちと笑い話をして講堂へ向かうとインテリと偶然会った。こいつは大手企業へ就職が決まっている余裕ぶりからたっかそうなスーツを着ているが関係ねえ。何故ならオレの陣羽織のレンタルの方がたけえからな。


「人生の門出にふざけてるな」


 眼鏡をくいっと上げてインテリが吹いた。


「ふざけちゃいねえ、これがオレの真剣だ」


 ムカッとしていい返した。ちょっと語尾はふざけたがインテリはそれに乗らない。


「一緒にふざける気はないよ。キミは役者だろう」


 思わずカッとなって声を張り上げる。


「役者を馬鹿にしてるのか!」

「してる」


 インテリは白けた様子でそういうと階段を下りて席についてしまった。


 卒業式の間中も口論への腹の虫は収まらず、インテリへの復讐をオレは考えていた。あのすかした面をぐしゃぐしゃにしてやりてえ。笑いでぐしゃぐしゃにしてやりてえ。壇上では厳格な学長のありがたくも詰まらねえ話が続いていたけれど、サイドを見渡すとみんな話に飽きてやがる。ここからはインテリのつむじしか見えねえ。役者を馬鹿にするなよ!


 衆人環視の中オレは立ちあがると階段を一目散に降りて歌舞伎役者もびっくり、壇上にだんっと音を立てて飛び乗った。右手を突き出して聴衆に見栄を切る。


「あ、いざ尋常に勝負ぅううううううう!」

「キミは何をやってるんだ!」


 職員が総出で壇上に上がってきてオレを取り押さえる。その間中もオレは声を張り上げていた。


「お前ら役者を笑うなよ、真剣なんだこっちは!」


 インテリへ向けての本気だ。喉を掴まれて嗚咽しそうになっても言葉を止めない。


「人生ってのは何があるか分からねえから面白いんだ。サバイブしてみろよ!」

「いいかげんにしろ!」


 伸ばした指先にはインテリがいて、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。たぶんあの瞬間の表情を一生忘れねえ。


 別室に連れられたオレは大人たちからたんまり説教を喰らってその後の式には参加できなかった。解放されたころには講堂は伽藍洞だった。


 ひとり遅れて研究室にいくとみんな爆笑で教授さえも笑って迎えられた。インテリだけはすかした顔だったが普通やるかよとそっと呟いた。ああそうだよ、オレは普通じゃねえ。生まれて時からこうなんだよこっちは。大体てめえのせいだかんな。


 すねた顔をしていると教授がみんなに一冊の文庫本を配り始めた。大学に入って課題以外で本なんて一冊も読んだことがなかったから新鮮な気持ちだった。


「星の王子様……」


 超有名所だがオレは読んだことがなかった。そして教授の部屋の本棚の片隅に同じものがあった。


「素敵な人生を歩むんだよ」


 いつもちょっとけだるげな教授の珍しい一面だった。そうか、こういう本を大事にする人なんだな。急に感謝の気持ちが湧いてくる。


「せんせー、ありがとうござんした!」


 頭を下げると教授は最後もサムライスタイルかいと笑った。


 そのあとの研究室の追い出しコンパはよく覚えちゃいねえが腹から笑うほど楽しかった。後輩の用意してくれた安い店で記憶をなくすまで呑んで騒いで、気がつくと院生の先輩のコートをコートの上に羽織ってダブルコートで帰っていた。


「……飲み過ぎたわ」


 自宅のフローリングに横たわり酒臭い息で後悔の言葉を吐く。




 以上がオレっち立長吉幸のレジェンドへの前談だ。これからいよいよ役者道へと邁進していくが人生とはままならねえ。まあ、苦労するんだな。うまくいかねえことの連続だ。でも悪いことばっかりじゃねえんだな。いよいよ待望の地味顔ヒロイン、愛しの伴侶美代子の登場だ。


 人生は次のステージへ。天晴れ、オレに天晴れ。

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