第34話 それから

 部長もひっつめ先輩も四年はみんな卒業していって残されたオレたちは岸本先輩の置き土産を必死に演じた。偉大な先輩の残してくれた大事な作品だ。これを汚すわけにはいかねえ。時にはぶつかり合いもある。同じ演目を演じているが事情は毎年同じじゃねえ。年度ごとに悩みがあって切磋琢磨しながら三年間頑張った。


 そうそう四年では部長も務めたしな。わーってるか? オレ部長だぞ。月代部長だぞ。なめた一年からは落ち武者先輩って呼ばれて、ジェネレーションギャップ感じたわ。オレたちの年代じゃ恐ろしくて間違いなくそんな口利けなかった。いや利いてたか、ひっつめ先輩だもんな。十分無礼だったわ。


 そしてそんなオレもいよいよ卒業……といいたいところだが。


「立長、お前卒業する気あるんかいな」


 眼鏡をかけた老齢の教授が苦り切った顔をした。狭い教授の部屋にはオレと教授しかいない。今、面談やってんのね。


「いや、先生。ほんとマジで勘弁してください。レポートでもなんでもやりますから」

「僕はね、別に落としたくてやってるんじゃないんだよ。実験にも来ない。セミナーの声かけも無視。演劇の方じゃレジェンドみたいだけれど、お前アレだよ。こっちからしたらただの落ちこぼれだからね、落ち武者だけに。あ、僕今上手い事いったね」

「いや、先生上手くないです」


 遠慮がちにいうとそれを無視して教授はとんっと小瓶を面談机の上に置いた。


「カラムで分離したまえ。王さんに指導してもらいなさい」

「……へい」


 首をうなだれて小瓶を持つと教授の部屋を後にした。


「なあーんで工学部にしちまったんかな」


 単位とるのもジリ貧でなんとか四年までたどり着いたがこんな最後に卒業研究というモンスターが潜んでいたとは。適当に卒業論文書けばいいって話じゃねえんだな。

 足取りは極めて重い。ぼやきながらコンクリート階段を上って三階の院生室を叩いた。


「すんません、ちわーっす。王さんいらっしゃいますか」

「タテナガさんオツカレサマデース」


 数度しか会ってねえのにオレのことを覚えていた。当たり前か、このミテクレだもんな。


「あっ。ご無沙汰しておりまーす。すんません、先生にいわれて。実験手伝ってくれないっすかね」


 引いて遠慮がちにいうと王さんはぎょろりとした目を柔和にさせて笑った。


「キにしなーい、キにしなーい。実験室にイキましょうか」


 この先輩は研究室の学部生の世話まとめてみている。人使いの粗い教授にも逆らわずに異国の地でえらいこったね。本国じゃ実家はお金持ちらしい。

 さて、売店で買ったばかりの真新しい白衣を着るとゴーグルをかけた。映るガラスを見てにんまり、落ち武者が白衣とか爆笑だわ。髪もゆるく束ねてやった。

 想像もつかねえかもしれねえがこの時代だからセキュリティなんてない。化学薬品たんまりなのに実験室には入り放題、薬品庫は普通のカギで管理してやがった。欲しい人なんてわんさかだろうに。


「あ、これMeOHってメタノールっすか。これ飲んで酒盛りとか出来そうっすよね」

「いや、メタノール飲んだら失明だから」


 ふっと声がして振り返ると実験中だった同期のインテリがいた。名前何だったかな、覚えちゃいねえ。こっそりインテリって呼んで小馬鹿にしてたからな。


「冗談通じねえヤツだな、オレは笑いを誘ったんよ」

「いや寒いから」


 むむむ、と唸って目を伸ばすと視線の先に黒いビンがあった。おお、これがうわさの。


「コレ、アレだ。ミステリーで出てくる薬品っしょ。嗅がせると気絶するやつ」


 ビンを開けて嗅ごうとするとインテリがぷっと笑った。


「クロロホルムで気絶しないよ、アレ完全な嘘だから」

「え、まじ?」

「気絶するほど臭いけど気絶しないから。そもそも発がん性だから嗅がない方がいいよね」

「うわっ、吸っちまったぞ」

「キミほんと化学専攻?」


 気まずい空気が流れて静まり返った実験室に王さんの明るい声が木霊する。


「タテナガさーん。分離しマース」

「すんません、はい、お願いします!」


 そこからごくジミーな分離作業が始まって二時間、テキテキ、テキテキテキ。スデにアキタワ、おっとあぶねえ王さんうつっちまった。

 三角フラスコを交換しながらここぞというタイミングで分離する。こういうのは長年の感が大事だってくどくどいわれたな。たった一日そこらで出来るもんじゃねえ。え、オレの今年の卒業絶望的?


 夕方までかかって分離するとそのあとは乾燥作業。ナスフラスコに移してドラフトの中でオイルバスにつけて……まあいいや。要は乾かしたんだよ、頭疲れたわ。そして外には真っ赤な夕日が輝いていた。脱力して気味でキャンパスを歩いているとそこかしこで声がする。グラウンドでロケットを飛ばしているのは知能機械科の連中だ。あいつらも実験か。ずいぶん楽しそうだな。


 ひゅうううっという鋭い音とともにロケットが放物線を描いてしばらくして落ちた。これから飛行データを細かく分析するのだろう。

 突如、頭にごんっとボールが当たってしゃがみこむ。くそっくそっ!


「ぶっつけやがったやつはどいつだああああああ!!!!!」

「うわ、げ、落ち武者だ。逃げろおー」


 野球部が走って逃げていく。三人で楽しくキャッチボールか、緩さといい上等じゃねえか。全力疾走、走りながら思った。……オレ、まだ走る元気あるやん。


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