第33話 デェト 後編
鎌倉デートを終えたオレたちは都内の焼肉屋さんへとなだれ込んだ。ひっつめ先輩は奥座敷に着くなり、メニューをチラ見して生の大ジョッキを注文する。好きだわ。かっけえなあ、かっけえ美人。
運ばれてきたビールで乾杯をしてぐぐっと流し込む。ホップの苦みが舌の上で踊って一日の疲れを流した。
「ぷはああ、マジ最高!」
オレが満悦したようにいうとひっつめ先輩はチラ見して、薄く焼けた肉にトングを伸ばした。ふたりで無造作にひっくり返しながらたぶんいろんなことを話してたと思う。世間話、部内のこと、旨かった飯屋。でも面白いのはふたりでいると最終的に演劇の話になってマジくそ熱く語り合う。こういうのはひっつめ先輩としか出来たことがねえ。卒業すれば彼女も舞台女優だもんなって頭に描きながら。
「ねえ、立長くん」
「なんすか」
オレは半焼けハラミを口に放り込んだ。とろける、味噌ダレがマジうめえ。
「わたし、すぐに役がもらえるなんて思ってない」
「まあそうっすよね。下積みが始まるんすからそうそう任せてもらえるもんじゃないっすよね」
「大部屋俳優ってたくさんいるのよ」
おれはごくりと生つばを飲み込んだ。もう夢叶うんじゃねえかと予感した。口の中は味噌味でいっぱいになっていた。
「どんな役者さんになりたいんすか」
「個性的な役を任せてもらえる女優になりたい。主演じゃなくてライバル役みたいな、シンデレラでいうとシンデレラじゃなくていじわるお姉さん」
「へええ、なんか意外というか。真ん中に立ちたい人かと思ってました」
「この道のプロには渋い演技するなあって思ってほしいの。息の長い女優になりたい」
「じゃあ、まあオレはハツカネズミっすかね」
ひっつめ先輩はぷっと吹いてなにそれと笑った。
「やっぱりモブがいいんだ」
「最高っすよ。主演みたいな台詞ないですし好き放題出来るんすからね」
「ああ、たしかに。目立っちゃ怒られるけど演技自体は個人の裁量にそうとう任されてる。だからある意味そういう見方は出来るよね」
「止められるか止められないかギリギリのところで駆け引きするんすよ。ここまでやっても大丈夫かって」
「誰と?」
「監督と」
ひっつめ先輩は今までのオレのやり様思い出したらしくケラケラと腹を抱えた。
「キミはまだ3年間ある。だからきっといい演技を身に着ける。でもわたしは卒業したらもう勝負。どんなわずかなチャンスだって逃さない。虎視眈々と狙ってやるわよ」
「日常生活で虎視眈々となんて力道山でも使わないっすよ。人生で初めて聞いたわ」
「わたしも初めて使った」
今度はオレが笑った。トングのままで豚タンを口に放り込む。咀嚼しながらひっつめ先輩を見ると少し酔っていて。ビールに、というより演劇にといった方が適切だろう。熱く、暑く、厚く。でもそれでももっと熱い人たちはいる。周りを見ていると仕事帰りのサラリーマンやら微妙なおしゃれをしたおばさんたち、男子学生の姿もあった。
「オレ、思うんすけどね」
「ん?」
「モブほど魅力的な役ないっすよ。あの瞬間から虜なんだわ」
「どの瞬間」
「演劇に恋した瞬間」
オレの頭のなかには中学の頃に武井先輩と村崎と演じた舞台の景色があった。派手に転んで失敗をして、でも結果的には拍手の海のなかで呆然としていた。でもそれを言葉にして伝えることはできなかった。最高の感動は言葉にするもんじゃないと思っていたから。
「キミの目指すところはよく分かんないよ。でも面白いね。だから好きなのかも」
皮膚が急に熱を持つ、酔った頭で言葉を探した。
「いっちゃった?」
「うん、いっちゃった」
これは恋じゃねえなと思いながら後ろ手をついて天井を見た。油まみれでくすんでいる。繁盛してる店だ。給仕のおばちゃんも忙しそうだった。
「お互い頑張ろうね」
返事はせずに頷いた。十分心に刻み込んだ。良かったな、デートして。
店を出ると帰宅する方向が逆なため店の前で解散した。炭の香りが服にしみついて取れない。焼肉堪能したな。ビールも美味かった。
「ひっつめ先輩!」
呼ぶとポニーテールを揺らしてひっつめ先輩が振り返った。
「ありがとうございました!」
伝えるべき言葉だと思っていたから頭を90度傾けてお辞儀した。今日のデートじゃない、そもそも出会えたことへの感謝だった。いい刺激をもらえた。彼女に出会わなければ道も開けなかったろう。
「いいよ」
そういうと彼女は身をひるがえして腕を天に突きあげるようにしてバイバイと空に手を振った。翌年の春、ひっつめ先輩は鮮やかに卒業していった。
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