探偵粛清アスカ

仁科 はばき

【パージ・ザ・ディテクティブ】

ニッポンの空は昼夜を問わず暗い。命を奪う毒の雨を含んだ分厚い雲が陽光を遮り、彼方にはニッポンをぐるりと囲う岩壁が聳える。闇の中にはWi-Fiを放つ魔物が跋扈し、人間を喰らう。『鎖国』より既に50年余りが過ぎ、しかし人々は当の昔に闇に順応していた。 1



過去、ニッポンに於いて重要な交通網のひとつに電車があった。駅には日夜数多くの人々が集まり、通り過ぎてゆく。故にこそ、『鎖国』の後、駅はランドマークとなった。動乱を生き延びた人々が寄り集まり、駅にコロニーを形成した。やがて駅は街となった。 2



企業は結託し、ニッポンに光を取り戻すべくコングロマリットを作った。トモシビグループと名付けられたそれは、駅を中心に開発し、地下に、地下に安住の地を広げる。そうして今日のニッポンに見られる多層窮極構造超絶巨大無敵地下最強都市が完成した。 3



地下都市の中で、ニッポン人は光を取り戻した。代償として、企業の発言力は肥大し、政府は企業の傀儡となった。資本主義の悪徳は極限によって増長し、民衆の中に踏破不能な経済格差を醸成した。トモシビの光と熱は富裕層に占有され、多くの民は闇に取り残される。 4



そこに、闇の中を暴こうとする者どもが現れた。捜索、調達、暴力、戦争。民草からの依頼によって、困難の解決を代行する者が。彼らは旧時代に存在した秘匿を詳らかにする者どもに準え、探偵と呼ばれた。 5



探偵は、無力な民草と比し、大きな武力を持つのが常である。であれば、それによって驕る探偵が現れるも自明。誰が看守を見張るのか? ……その答えは、既に出ている。ここに一人の少女がいる。探偵を探り偵う者。彼女の名は…。 6






探偵粛清アスカ

【パージ・ザ・ディテクティブ】






旧ナゴヤ港は『ニッポンで最も地獄に近い場所』の一つに数えられる(そう呼ばれる地域は多数存在する)。空間を完全に無視したコンテナ埠頭。人食い水族館。港に魂を奪われた生死者がそこかしこに徘徊し、命を寄越せと訪れた者を喰らう。それを喰い漁らんと、Wi-Fi怪物マルファクターが集まる。 7



まともな人間ならば近寄ろうとはしない、だからこそ、はみ出し者、或いは後ろ暗い者は、こぞってここに集まる。多くはナゴヤ港に呑まれ……一部は、闇を踏破する。そして、全てをその中に葬るのだ。 8



「ヨイショっと……」大型クルーザーの甲板に、麻袋が運び込まれた。もがくように動き続ける麻袋から垣間見えるのは……靴ではなかろうか?これには、人間が詰め込まれているのだ。「ムグー!モゴグー!」「あー、ウルセエウルセエ」 9



鑢探偵社社長・反町 健一郎は、手近なバケツに汲まれていた水を麻袋にぶちまけた。がぼがぼと湿った音を立てながらのたうち回る麻袋に、空になったバケツを苛立たし気にぶつける。健一郎の後ろに控えた部下たちが、ニヤニヤと笑った。 10



「竹田サンねェ、自分の立場わかッてる?」「…!…!」「あァ?情けねェ。水被った麻袋くらいでグロッキーになッてンじゃねェよ」健一郎は、呆れたように麻袋にナイフを突き立てた。中の人間の顔の横を刃が過ぎたか、ビクリと麻袋が震え、止まる。 11



「で、何だッて?」「こッ、こんなこと、許されるはずが無い!私は丸葉水産の部長だぞッ!」「トモシビグループ頂点10企業…『火守』の部長サマともあろう者が、探偵相手にカネ惜しんでちゃなァ」手の中でナイフを弄ぶ。船に据え付けられた電灯が、刃を…それ以上に彼の瞳を、酷薄に輝かせた。 12



「俺らに人を暗殺させといて、それで安く済ませようなンてのは通らねンじゃねェかね。私兵も持ってたクセによ」「そ、そうだ!ソイツらが来るぞ!」「来ねェよ。皆殺しにしたからな」「エ」袋の中で蒼白する竹田。 13



健一郎の部下が呼吸穴を大きく広げ、その中に携帯端末の写真を覗かせた。……写真の内容は、読者の精神健全性の為に描写はすまいが、あなた方の想像を遥かに超える残酷であることは間違いない。「あンたの為に命張るタマがいるたァ思えねェが…ま、念の為ナ」「ァ…ア…」 14



「ヨイショっと」部下の探偵が麻袋を抱えると、別の部下にそれを投げ渡した。竹田はぎゃあと悲鳴を上げてのたうった。彼らは船に入ると、麻袋を投げ渡しながらラウンジに向け歩いてゆく。健一郎は、笑いながら追従する。船の中は広く、豪奢で、血の臭いが満ちていた。 15



「た、助けてくれッ!カネなら払う、料金の倍……いや5倍払うッ!靴もナメる裸踊りもするッ、何でもするッ!」「あンたの隠し金庫は知ってる。網膜指紋舌紋脳波魂魄蛋白DNA、その他全部の鍵もこれから揃えまさ」「ひ、やめ、やめ……」 16



「な、何だテメエッ!」「あン?」先行した部下が上げた声に、健一郎は眉を顰めた。直後、尋常ならざる冷気がラウンジより叩き付けられる。「オイ、離れろッ!」「えンッ!」叫びも虚しく、先行した部下は急速冷凍され、ラウンジから飛び出した拳に砕かれて死んだ。襲撃である! 17



続く襲撃者に備え、瞬時に臨戦する探偵たち。投げ捨てられた竹田が情けない悲鳴を上げた。ラウンジから姿を表したのは、スーツの女であった。ガスマスクめいた面の下から覗く目は、あどけなさを残す。少女と呼んで差し支えない年齢か。彼女は長髪を靡かせ、霜を落としながら健一郎らに相対した。 18



「何者だ、テメエ。どこから入った。何が目的だ」「いきなり質問が多いですね」少女は呆れ、その後、名刺を構えた。「これを見れば全ての質問に合点はゆくと思いますが」「フン」健一郎も一歩前に出、名刺を構える。戦士の流儀、名刺交換の場が、ここに形成された。 19



シュカッ。互いの首に向けて名刺が殺意を持って投擲され、両者共、難なく摘み取った。ここで名刺に首を刎ねられるような弱者は畢竟、戦場に立つ資格なし。二人は、それをクリアした。少女は健一郎の名刺を懐にしまい、健一郎は受け取った名刺を確認し……取り落とした。そこには、明白な恐怖の色! 20



「殺せ!その女を殺せーッ!」悲鳴に近い叫びと共に拳銃を抜き撃った。それに釣られるように、部下たちも拳銃を、サブマシンガンを乱射する。熱い鉛は人型の氷を砕き、ダイヤモンドじみた輝きを舞い上げる。そこに少女の姿はない。「ど、どこに消えやがった!」狼狽する探偵。 21



張り詰めた空気の中、取り落とした筈の名刺が、突然健一郎の目の前に突き付けられる。「うわッ!?」「落とし物です」少女は、健一郎の背後にいた。健一郎は再び差し出された名刺を見る。(株)ハイドアンドシーク諜報部13班 篠田 明日香。そして几帳面な文字で書き加えられた『監査官代理』の文字。 22



「テメエ…!」「3等探偵社とは言え、流石にご存じのようですね」明日香の手の中で、名刺が凍り付いて砕けた。砕けた欠片は舞い上がり、プリズムめいて光を散らした。散った光が鏡めいて明日香の像を映す。鋭き刃のような少女を。大気に重圧が掛かった。「貴社を粛清に参りました、ウジ虫の皆様」 23



「ウジ虫だとォ…」健一郎が唸った瞬間、舞い上がった氷の粒が凝集し、氷柱の群れとなって降り注いだ。「あゴ!」「ぎゃ!」「でッ!」体を裂かれ、絶命する探偵たち。「チイーッ!」健一郎は前方へ飛び離れながら、自らを狙う氷柱を撃ち落す。明日香の手の中で、氷が育まれて刀となった。 24



「じぇいッ!」その背後から、生き残った探偵の一人がナイフを突き出した。「ふッ!」明日香は、蠍の尾を模すような蹴り上げでナイフを弾く。同時に床に突き刺された刀から氷が伸び、探偵の足を捉えた。「ひ、あ、あ」氷は彼を蝕み、恐怖の表情を覆い固めた。 25



「ざけんなァァッ!」探偵たちが叫んだ。構えられた銃から弾幕が展開される。明日香は銃弾に抉られる氷結探偵を踏み台に跳躍。高みより弾幕展開探偵布陣を急襲する!「ふッ!」「あぎゃッ!」一人を両断殺。銃をもぎ取り、銃爪を引いた!「マ!」「ぶェ!」「ひア!」血と脳漿が飛沫き、凍て付く。 26



吹き出したそれらは、氷の刃となって明日香の手に納まった。「ふッ!」そして健一郎に投擲!「ムチャクチャかよッ」健一郎は、飛来する赤き刃を無比なる拳銃狙撃で撃ち落す。残弾はある。これをしのぎ切り、次ぐ追撃を「ふッ!」明日香は、投げた刃より先に健一郎に肉薄した!「うぐわッ!?」 27



退きガードしようとするが、明日香の斬り下ろしは、それよりも速い。鼻から下顎に縦一文字の傷が刻まれ、数瞬後に、飛来した血のナイフが肩口に刺さった。その痛みと冷気を、湧き上がる怒りが塗り潰す。「俺らがウジ虫だとォ?」「ええ。他者に寄生し、貪り食らうウジ虫と言いました」「テメエ…」 28



健一郎はナイフを抜き、斬り掛かった。「くうッ!?」明日香はそれを刀で受けるが、想定よりも重い。「そうしねえと俺らが生きられないようにしたのはテメエら企業、トモシビだろうがッ!」更なる斬撃が明日香の命を狙う。情報の修正が終わる前に仕留める腹積もりだ。 29



「テメエらはいつも俺らを踏み付ける!切り捨てて顧みることがねえ!ニッポンを腐らせたのはテメエらトモシビグループだッ!」「うッ…!」明日香の態勢が崩れた!健一郎はナイフを振り上げ…「ぐわッ!?」その腕に、氷柱が降り、貫いた。健一郎はナイフを取り落とす。「責任転嫁も甚だしい!」 30



明日香は氷柱を掴んだ。氷が瞬く間に健一郎の腕を蝕み、押し固める。肉が裂け、隙間から血が吹き出し、凍る。「ふッ!」「うがーッ!」KRAAAASH!! 健一郎の右腕が、煌めきながら砕け散った。「下層にもトモシビによる配給は行き届いています。生存は可能な筈」よろめく健一郎を明日香は見下した。 31



「うおおおッ!」横合いから飛び掛かった男が散弾銃を撃ち放った。放たれた弾丸は硝煙ごと凍り、銃口から開く氷の花となって固まる。「ひ…」「ふッ!」裏拳が散弾銃を砕き、そのまま男の首を掴んだ。男の首は瞬く間に凍り、紙筒めいて握り潰された。明日香は崩れ落ちる体を蹴り、首を投げ捨てる。 32



「わ…わかった。わかったよ」健一郎は左手を上げた。斗える者は残っていない。「俺たちの負けだ。カネならある。ソイツで手打ちにしねェかィ」命があればやり直せる。明日香が汗や視線から真実を読み取っていることは気付いている。カネは竹田からこれから絞るものだが、それ以外に嘘偽りはない。 33



明日香は無言のままに手を掲げた。彼女の手の中で、空気が凝固して氷の短刀となる。健一郎の顔に緊張が走る。明日香の目は、冷たい。鋭いまでの冷気…否、怖気が健一郎の血を凝らせる。明日香は短刀を手でしばし弄ぶと、それを健一郎目掛け投擲した。 34



「ぎゃああッ!」放たれた刃は健一郎の右目を穿った。のたうつ健一郎を明日香は呆れるように見下ろす。「粛清に来たのに、手打ちにする訳がないでしょう。だからあなたはウジ虫なのです」「クソックソッ!毎日あったけえメシ食えてる分際でッ!テメエら企業の犬が奪ったものを奪い返す、それの…」 35



健一郎は明日香に拳銃を向けた。「何が悪いッ!」「全てです」銃声が鳴ることはなかった。それよりも前に、明日香の投げた氷の刃が、健一郎の額に突き立っていた。残った左目が裏返り、健一郎は前のめりに斃れた。瞬く間に彼の体に霜が降り、そして、氷の像へと姿を変える。 36



明日香はそれを見届けると、携帯端末を取り出し、三回タップした。数秒の後、階下から爆音が轟く。セットしていた爆弾が起爆したのだ。このクルーザーを沈め、闇に葬る為に。明日香は静かに歩き出した。 37



「き…キミ!」ラウンジの隣で、麻袋に覆われたまま転がっていた竹田が震える声を上げた。明日香は足を止め、静かにそれを見る。見下すかのように。「キミ、トモシビの者だね!私を助けに来てくれたのか、ありがとう!」「…丸葉水産営業部部長、竹田 誠一殿ですね」 38



明日香の声は、あくまで冷ややかであった。「あなたの悪行は、我々ハイドアンドシークの耳にも届いています。下層の悪漢がウジ虫なら、不当な搾取で腐敗を助長し、民を凶行に至らせるあなたはさしずめ血栓…存在するだけでトモシビグループ全体の格を落としかねません」「エ…」竹田は絶句した。 39



「ここでお沈みくださいませ」明日香は切り捨て、歩き出した。「な…待て!私は丸葉水産の部長だぞ!こんなことが許されると思ってるのかッ!」唾を撒き散らす竹田。「カネならやる、リアルフードも山ほどくれてやるッ!だから助けてくれ!謝る、土下座する!死にたくない!死にたくない!」 40



もはや竹田の叫びを聞き届けるのは、凍り付いた亡骸だけであった。いまだ空気は冷たく、湿った麻袋を苛む。その中で流された涙と鼻水は、濡れた麻袋に吸われ、凍てついてゆく。竹田は、それでも叫び続けた。船が傾き、壁に叩き付けられても尚、彼は叫び続けた。 41



麻袋の狭い闇の中に、昔の出来事が過ぎ去ってゆく。食物の根回し。豪遊。生産ライン製造の為の強制退去。暗殺。下層民から労働力の徴収。提携先への恐喝。それを、それを悪行などと断ぜられるものか。企業の発展こそが、暗黒に閉ざされたニッポンを生き永らえさせるのだから。 42



竹田の無念を聞く者はいない。氷でさえも、沈黙を貫いていた。船が沈む。光届かぬ空の下、更なる深き闇、深海へ。 43






粛清完了:鑢探偵社


鱗 風切羽 車裂き 錆 白無垢 土蜘蛛 天秤 滲み 包帯 水底 ×鑢


残粛清対象:10




探偵粛清アスカ

【パージ・ザ・ディテクティブ】

おわり

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