【プライド・フロム・マシン】 #8 後編

…光が消えた時、そこに横たわっていたのは何だったのだろう。ある者はボロ切れと称するかもしれない。ある者はこま肉と呼ぶだろう。タイムリープはそれほどの有様であった。体中に開いた穴は焼き塞がれ、血は流れない。それは彼に別種の苦痛を与えており、しかし彼の瞳から光は消えていなかった。 1



それは、闘志の光であった。タイムリープは未だ、勝利への意志を手放していないのだ。制御システムは、不満げに鳴動した。「それ」タイムリープは肉と骨で辛うじて繋がる腕を持ち上げ、制御システム筐体を指差す。彼が示した場所…砲門の一つからは煙が上がり、破壊されていた。 2



「実はだな…お前が俺を楽しそうに撫でてる時、ちょいとばかり狙ってみたんだよな。エネルギーがタップリ詰まってるところをよ」タイムリープは大儀そうに壁にもたれ掛かると、それを支えにゆっくりと立ち上がる。「その結果がコレだ。お前は無敵じゃない。望みありまくりだ」 3



タイムリープの傷口から血が流れ出した。レーザーより尚熱い血が、肉を焼いて流れ出したのだ。「見ろよ。俺の血潮は滾ってるぜ。心臓はまだ熱く燃えているぜ…」タイムリープは不敵に笑うと、己の胸を示した。「ここだ。ここを潰さねえと、俺は死なねえぞ」 4



制御システムが不満げに鳴動した。筐体上で瞬くカメラが赤い光を放ち、石のような物体が不気味なプリズムを描く。中空に浮かんだままだったホログラフ映像が復帰する。そこに映っているのは、やはりタイムリープ。全映像中の彼は、驟雨の如きレーザーに五体を引き千切られていた。明確な殺害予告。 5



筐体の全砲門が開いた。砲門は爛々と殺意に瞬き、エネルギーを満たしてゆく。「そうだ、それでいい」タイムリープはキャトルマンハットを目深に被り直した。砲門の光が強まる。中空の映像がザラつき、歪んだ。そして一瞬だけ静寂が訪れ…制御システムがノイズ塗れの音を立てた。『NO FUTURE』 6



「見切った」その瞬間、タイムリープが動いた。ダスターコートからありったけの銃を空中に放り投げる。それら全てのトリガーガードを何かが通り…全ての銃が弾丸を吐き出した!爆音と共に飛び出した弾丸はホログラフ映像を貫き壁で、床で、天井で跳弾する。踊り狂う弾丸がぶつかり、火花を散らす! 7



跳ね回った弾丸は、エネルギーが充填された砲門を次々と貫く!KBAM!KBAM!KABOOM!KRA-TOOOOM!『ピガガガガガーッ!?』爆発する砲門!内部構造をも粉砕する爆発に、制御システムは崩壊を始めた!『ピガガガッガガガガーッ!?』中空のホログラフ映像がシャットダウン!ノイズの集合体へと変わる! 8



「ほうら、言わんこっちゃねえ」地に落ちた銃が跳ね上がり、タイムリープの手元へと帰った。「言っただろ?お前をブッ壊して、カッコよく去ってゆくってよ」タイムリープは銃をダスターコートに収めると、扉を塞ぐ黒を蹴り壊した。満身創痍に於いても痛みによる躊躇いはなく、力強かった。 9



先の攻撃を受ける最中、エネルギーが溜まった砲門は銃撃で破壊できることを確認し、再度の全方位攻撃を誘った。しかしタイムリープは制御システムの全方位攻撃に着想を得、新たな必殺技を編み出していたのだ。宙に放り投げた銃の銃爪を未来からの弾丸で引き、全方位からの跳弾を以て敵を制圧する。 10



「懐かしいな…カースカーソルの奴に跳弾芸を仕込んでやったっけな」薄く微笑む男の背で、制御システムが完全に爆発した。タイムリープは後ろ手に制御室の扉を閉め、大きく息を吐いた。ツクバの何かが変わることを祈りつつ、キャトルマンハットを被り直して歩く。「タイムリープはクールに去るぜ」 11



───────────────



…「何!?」その瞬間のベルゼブブの動揺を、明日香は見逃さなかった。「ふッ!」投擲された氷の小刀は、過たずベルゼブブの右胸…脳髄CPUの搭載された水槽を射抜いた。「しまっ」明日香が拳を握ると、氷が広がり水槽を蝕む!「グワーッ!」ベルゼブブが倒れ、のたうつ。 12



明日香はよろめきながら立ち上がり、体から生える刃を引き抜き、捨てた。「ぐぬ、ううううッ!」ベルゼブブもまた、氷を引き抜こうとする。明日香はそれに決然と歩み寄り、介錯の踵を振り上げる!だがその瞬間『ベルゼブブ』のビジョンより雷が放たれた!「ふッ!」明日香はこれをブリッジで躱す。 13



「せいッ!」ベルゼブブの横薙ぎチョップが明日香の手足を断たんと襲う。だが、その太刀筋は精彩を欠く!「ふッ!」明日香はブリッジからのバク転でこれを避けると、がっくりと膝を突いた。ダメージは深い。だが、先の一撃もベルゼブブにとっては致命的なものであった。両者の視線が交錯する。 14



ベルゼブブは難儀しながら氷を引き抜くと、ゆっくりと立ち上がった。制御システムが破壊されるとは。予定にこそ組み込んではいたが、実際に成るとは想定していなかった。((可能性、か))ベルゼブブはオロチの言葉を反芻する。((あの男は、これをどこまで折り込んでいるのやら)) 15



『ベルゼブブ』のビジョンが肢を振り上げた。すると、辺りを覆っていた闇が持ち上がり、凝固して形を成した。刀。槍。斧。鎌。ヌンチャク。その他様々な武器となって地に突き刺さる。『ベルゼブブ』のビジョンも黒い蠅となって解け、武器の葬列に加わった。 16



「ふん」デッドラインカットが体から刃を抜き捨てて立ち上がると、手近な武器を掴んだ。「随分とお優しいことだ」クレイモアの刃を確かめると、肩に担いでベルゼブブを見る。「格闘なき力は空しきのみ」ベルゼブブは言った。「俺の全力を、格闘を、真の戦士の世界を見せてやる。光栄に思って死ね」 17



「しッ!」クレイモアと血刀、縦の二刀がベルゼブブを襲った!KRACK!甲高い音を立て刃を阻んだのは、一振りの槍!「せいッ!」ベルゼブブは槍を落としながら跳び、最中、掴んだ刀をデッドラインカットの頭上から降り下ろす!「ふッ!」ベルゼブブの後ろから、明日香が大鎌を投擲! 18



「チイーッ!」ベルゼブブは刀を振り下ろす勢いで縦回転、鎌を弾く。「しッ!」その下、デッドラインカットの火山めいた蹴り上げがベルゼブを捉えた!「ぐ…!」「しィィィやァァァッ!」デッドラインカットの蛇腹剣が伸び、ベルゼブブを捉え…!「せいッ!」飛来した黒に弾かれる!「ちッ」 19



蛇腹剣を弾いたものは黒い武器であった。宙を舞うそれは、ベルゼブブの周囲で旋回を始めた。その軌道にいくつもの武器が迎合し、輪を描く。刀。釵。ハルバード。メイス。偃月刀。杖。6つの武器が翼めいて展開され、悪魔じみたシルエットを橙の光の中に描く。ベルゼブブは着地し、同時に走る! 20



「せいッ!」手掌と共に揮われた武器が明日香を襲った!「ふッ!」刀と釵を氷の裏拳で弾き、ベルゼブブの懐に潜り込む。しかしその瞬間、ベルゼブブの体を掠めるようにハルバードが薙ぎ払った!「ふッ!」明日香は攻撃を断念。ベルゼブブの肩を踏み、跳び離れる。その背をメイスが殴り付けた! 21



「あぐわッ…」くの字に折れ曲がって吹き飛ぶ明日香を受け止め、デッドラインカットが蛇腹剣を伸ばす!「馬鹿の一つ覚えか?」ベルゼブブは武器を揮い、蛇腹剣を弾く。「ヌルいぞ、貴様ッ!」振り下ろした腕と共に武器が発射された。デッドラインカットは明日香を放り投げ側転回避! 22



ベルゼブブはそこに追いすがった!「せいッ!」地に刺さったツヴァイハンダーを抜き、他の武器を巻き上げながら地を舐めるように切り払う!「せいッ!」バックステップで躱したデッドラインカットを追うように、ベルゼブブは巻き上げた武器を打った!「うおッ!?」次々と短距離から発射される武器! 23



「がッ!?」突如としてベルゼブブがつんのめった。彼の後頭部にはヌンチャクが叩き付けられていた。ヌンチャクのベルゼブブを打った逆、鎖で繋がれた先には、デッドラインカットの蛇腹剣が巻き付いていた。弾かれた時に巻き付け、奇襲に使ったのだ。「ハズレか」デッドラインカットは肩を竦めた。 24



「味な真似を」戦慄くベルゼブブの周囲に、再び武器が旋回を始めた。先の6つよりも多く、倍の12!「貴様の速度は見切った。0.01秒の間に捌けるものは、多く見積もって10!確実に殺す」大きく腕が広げられると共に武器が震え、突撃の合図を待った。その瞬間!「あぐわッ!?」吹き飛ぶベルゼブブ! 25



「俺だ!」近場の武器を支えに立つ九龍が叫んだ。彼の体からは未だ刃が飛び出し、脚は今にも痛みに潰されそうな程に震えていた。「…」転がりながら身を起こすベルゼブブもまた、震えていた。しかしそれは怒りの震えであった。「MoISでもそうだった。貴様はいつも肝心なところを理解している」 26



並び立つ武器が、黒に解けた。黒は羽音じみた音を立てながら宙にわだかまり、落ち、敷衍する。床に薄く広がった黒が泡立ち、その中から黒い腕が飛び出す。腕は地に突き立ち、己の躯体を黒の中から引きずり出した。現れた黒い人型は、赤い瞳を爛々と輝かせ、周囲を睥睨した。 27



「九龍、俺が間違っていたよ。やはりお前から始末するべきだった」黒い人型が次々と生まれる。「八つ裂きになって死ね!」「「「AAAARGH!」」」ベルゼブブの号令と共に、黒い人型が九龍へと殺到した!「しッ!」デッドラインカットが刀を大上段に振りかざし、ベルゼブブに突進! 28



「来ると思ったゼ!」ベルゼブブが腕を振り上げると、彼の足元から黒い茨が生え即席の要塞と化した。無論、これしきで止められるデッドラインカットではない。だが一瞬、一瞬だけ足が止まれば十分!「せいッ!」打開掌打と共に茨が開かれ、周囲を襲った!だがそこにデッドラインカットの姿はなし! 29



「しッ!」デッドラインカットが高みから襲い掛かった!「グワーッ!?」振り下ろされた刃が、ベルゼブブの左腕を根元から断つ!「ヌルいぞ、貴様」「グワーッ!」燕が返るが如き切り上げが右腕をも断った!「く…」ベルゼブブが打ち震える。デッドラインカットは不敵に笑い、真正面から受け入れる。 30



…そして九龍!次々と襲い来る黒い人型を『ヨグ=ソトースの拳』で迎撃するが、その動きは明らかに精彩を欠く。もはや彼に、流れる血すら殆ど残ってはいない。「AAAARGH!」「くそッ…」吹き飛ぶ黒い人型が別のものを巻き込み、雪崩めいて倒れる。だが別方向からも常に集団が襲い来るのだ。 31



「はッ!」「AAAARGH!」九龍が放った衝撃を受け、黒い人型が吹き飛んだ。しかし別のものがそれを受け止め、九龍に向かって投擲!「う、おッ!?」九龍は反射的にそれを回避。だがその瞬間。衝撃が途切れ、そこを縫って黒い人型が殺到した!「「「AAAARGH!」」」「や、やべ…!」 32



その時である!色付きの風が迸り、九龍に群がりつつあった人型を薙ぎ払った!「ふぅアァァァッ!」「「「AAAARGH!」」」風は速度を落とし、その終端に、長髪の女の姿を描いた。「篠田!」「ごめん、遅くなった」明日香は抱えていたものを降ろすと、九龍を担ぎ上げて跳躍した。 33



「お前、何してたんだ?」「ちょっと仕込みをね」「仕込み…?」九龍は、明日香に担がれたまま首を回した。追い縋る黒い人型の向こうにあるのは、コンデンサであった。比較的傷の少ないそれを担ぎ、持ってきたと言うのか。そして他方、地に広がった黒には、そこかしこに氷の短剣が刺さっていた。 34



「…何をする気だ?」「あの黒がMoISと見た光る蝿と同じ性質なら、熱…冷気も通す筈。ならさ、できると思うんだよねぇ」明日香は薄く笑うと一際高く跳び、叫んだ。「原ァ!跳べッ!」ベルゼブブと睨み合っていたデッドラインカットが振り向く。「篠田!?」「いいから跳べッ!」「ちッ」 35



デッドラインカットは跳躍しようとしていたベルゼブブを踏み台に跳んだ。「ぃよしッ!」その瞬間、明日香の手の中で氷の刃が生まれ、コンデンサに向け投げられた!「「AAAARGH!」」氷の刃は黒い人型を数体切断しながらコンデンサに吸い込まれ、貫いた!その瞬間、閃光が部屋を満たした! 36



一瞬のそれが消えた時、地にあった全てのものは動きを停止していた。黒い人型の群れ。ベルゼブブでさえも。「これは…」「超伝導」明日香は着地と同時に九龍を放り投げた。「物体がすごい冷えると、すごい電気を通すんだってさ。前、それで痛い目に遭ったのをふと思い出してさ。やってみた」 37



「軽く言う」宏樹が呆れた。「あと少し俺の反応が遅ければ、俺も死んでいたぞ」「お前そんなタマじゃないでしょ」明日香の言葉と共に、ベルゼブブががっくりと膝を突いた。瞬時に再臨戦する明日香らだったが、ベルゼブブの右胸水槽部からは、黒いゲル状物質が流れ落ちていた。 38



「終わったか」「終わったね」二人は同時に残心を解いた。「まだ問題は残っているが」「《セト・アン》のこと?」「ああ」宏樹は頷き、ベルゼブブの亡骸に近づく。「こいつのストレージから情報を引き出せるといいが」「じゃ、運ぶか」明日香も近づき、ベルゼブブの脚を持った。「九龍、手伝えー」 39



「いやいや、無理だって…」九龍は床に広がる黒に傷だらけの体を横たえ、荒く息を吐いていた。「今の今まで、というか現在進行形で死にかけてるんだよこっちは」「私もなんだけど」「俺もだ。惰弱だな」明日香と宏樹は呆れたように肩を竦めると、ベルゼブブの亡骸を持って歩き出そうとした。 40



明日香が目を細めた。彼女が見たのは、犬。黒い体表に赤い光がエネルギーラインめいて走る、機械の犬だった。犬は爪を鉄の床に鳴らしながら、真っ直ぐに明日香らに向かい歩き来る。「原」そこから何かを感じ取った明日香はベルゼブブを降ろし、情け容赦ない格闘を構えた。宏樹もまた、それに続く。 41



「…《セト・アン》について調べる、か」その声は、二人の間からであった。犬は一瞬の間に二人の間、ベルゼブブの亡骸の上に到達し、座り込んでいた。「必要ないよ、そんなものは」「何者だ、貴様は」宏樹が凄むが、しかしそれは虚勢じみていた。機械の犬…その中の存在に、気圧されていた。 42



彼だけではない。犬の中の存在が放つプレッシャーが、この場の全てを縫い留めていた。明日香は震えた。この圧力は、於炉血のそれに匹敵する。犬が項垂れ、顎が外れんばかりに口を開いた。数度震えた後、その口からずるりと人型の何かを吐き出す。吐き終えた後、犬は倒れ、二度と動かなかった。 43



「ふう」吐き出された人型は顔周りの粘液を拭うと、黒い髪を掻き上げた。その赤い瞳で、明日香らを見回す。「お前……ガロ……?」九龍が戦慄いた。空間にヒビが走る。ガロは九龍に目を流した。「ガロ……そうだね、確かにその通りだよ」彼の声は冷ややかであった。 44



空間に走るヒビが瞬く間に広がる。「エントロピーが大きくなり過ぎたか。今ここで君たちを始末したいが、どうやらその時間もなさそうだ」「始末だと…!?」「君たちはよくやってくれた。よくベルゼブブを斃してくれた。他所では、別の奴が僕を縛る制御システムも丁度壊してくれたばかりだ」 45



「何を言ってるんだよ、ガロ!」「僕は完全に自由になった…そういうことさ」九龍の縋るような目を、ガロは見下していた。「実は前からね…人間を滅ぼしてやりたいって思ってたんだ」「何だと…」「言ったよね?僕は人間が嫌いだって」ガロは両手を振り上げ、降ろした。 46



上方の空間が瞬時に凍結し、降り注いだ。「ちッ!」宏樹は即座に九龍の下へ。明日香はベルゼブブの亡骸を抱え、躱す。氷が落ちる衝撃で、空間のヒビは決定的な穴となり、部屋を呑み込み始めた。「原!」明日香が叫んだ。「篠田!」叫び返す宏樹。「病院だ!あの病院…」しかしそれも虚空に消える。 47



「ああ、やっぱりダメだったか」ガロは肩を落とした。可及的速やかに手を打たなければ、彼らはすぐに自分を討つ為に行動を開始するだろう。なればこそ、早々にやるべきことを終わらせねばならない。「システムコキュートス、起動」ガロの言葉と共に空間の氷が、伸び、闇に根を降ろした。 48



…ツクバに生き残る全ての者の中で、その時、天を見た者は幸いである。その光景は、あらゆる世界に二度と現れるものではなかっただろうから。ツクバに生き残る全ての者の中で、その時、天を見なかった者は幸いである。その光景は、人の精神が耐え得るものではなかったのだから。 49



ツクバの天蓋を突き破り現れた氷は、瞬く間に広がって、橙に染まった空を覆い尽くした。氷は、飛び出した先にある闇を吸っているかのように黒く染まり、空を塗り潰す。ツクバを全き闇が覆う。それはさながら、ニッポンが『鎖国』された日の再現であった。 50



氷がひび割れ、その欠片が雪となってツクバに舞い降りた。『5474N』という名の有害なWi-Fiを放つ雪はしんしんと闇の中に注がれ、少しずつ地を覆ってゆく。地に落ちた雪は瞬く間に凍てつき、地より生える氷柱となった。しかしそれは天を支える為でなど、決してなかった。 51



逆さ氷柱にヒビが走り、砕け散った。その中から、黒い怪物が現れる。体表に赤い光を血管めいて走らせる六臂の魔人じみたそれは、赤い瞳を爛々と輝かせながら歩き始める。そこかしこの氷柱から同じものが生まれ、それは瞬く間にツクバの街並みを埋め尽くした。 52



怪物の一群が、ある避難所に辿り着いた。怪物は降りたシャッターに手刀を突き刺すと、障子戸を破るかのよう引き裂く。「何…」見張りに立っていた男が慌てて銃を向けるが、怪物の一体が既に肉薄…否、四本の腕で男の頭と両の腕を掴んでいた。男は現実を受け入れられないかのように、目を瞬かせた。 53



怪物は、そのまま男の首を引っこ抜いた。脊椎が揺れる首と体を投げ捨てると、怪物は群れへと戻り、避難所の中へ進む。既に群れの多くが入り、殺戮を繰り広げる袋小路へと。 54



別の避難所では、怪物が女の口に指を差し入れていた。「あ…あふけへ…」怪物は涙と涎を垂らし懇願する女の喉に指を掛け、顎を引き千切った。声帯ごと失った女は、叫ぶことすらできずに倒れ、痙攣しているところを後続の怪物に踏み潰された。「恵美子ーッ!」叫ぶ男を怪物の一匹が見た。 55



「馬鹿、よせ!」男を引き留めようとする別の避難民たち。怪物は彼らに肉薄すると、手刀によって彼らの腕を尽く断った。「えっ…」思考が追い付かない人々の前で、叫んだ男に断った腕を突き刺す。「あぎょあッ」男が倒れ絶命し、人々はようやく己の腕の在処を知った。「あっぽぎゃあああッ!?」 56



怪物が老人の頭を掴んだ。「あ、たす、たすッけ」その頭を持ち、振り回す。「けええええべべっべべべんえええ」振り回される老人は遠心力で手足が千切れ、内臓が弾け飛び、撒き散らされたそれらが逃げる人々を射抜く。「にょぐッ」「あンぼッ!」「あッぎいいい!」「やめ、やめ、助けてええ!」 57



別の避難所では、ある男がNEWO≪ネオ≫能力を発動した。避難民を守る為に立ち上がった男は、しかし次の瞬間、怪物の手刀によって真っ二つにされ、死んだ。『FATAL ERROR』溶解し、黒いゲル状物質に変わる男。怪物はそれを手に掬うと、辺り一面に散弾めいて撒き始めた。「ぎゃばッ!」「ぶぐおッ」 58



「あごあッ」「いぎゃあああああ!」「やめてとめてやめええあああああ」「痛いッあああああ!」「あぶあぶあぶあぶぼぶぼぼぼぶ…」「助けて!誰か助うううやあおおおお」「ごぶ、ごぶッぼ」「やだやだやだやだ目玉取らないで食べさせないでやだやぶぶっぶぐ」「膵臓ーッ!膵臓がーッ!」 59



「ぜひゅ、ぜひゅ、」「あっあっ脳みそおれの脳みそ零れっ」「こんな死に方…!」「ぐびゅるぶうう」「えへへへへ僕のッ僕の血があッ」「しっ、心臓、高かったおれの心臓がッ」「ぎゅい、いいだだだだだだいいい」「ああああがががががあがぎぎ」「ママあああああ!助けてえええママあああああ」 60



これまでとは比べ物にならない死がツクバを覆う。エントロピーが増大する。ツクバにヒビが走り始め、それは瞬く間に広がる。欠け落ちた空間の先に広がるもの。無限遠の氷獄から流れる冷気が、ツクバを満たす。その中で、街を覆っていたWi-Fiが蠢いた。『5474N』…それが『SATAN』と姿を変えた。 61



ガロは、地獄より生み出された怪物が人々を殺す様を見、満足げに頷いた。これこそ自分が求めた世界への第一歩だ。「さあ、僕の愛しいジュデッカたち。鬨を上げろ。全ての人間が僕らの存在を脳髄に刻み付けるように。そして築こう。僕たちの、機械の世界を」ガロは陶然と言い、そして目を見開いた。 62



「我が名は《セト・アン》!この地獄を、コキュートス・エクス・マキナを統べる者だ!」言葉と共に、ヒビが割れた。ツクバが揺れ、そして落ち始める。ごうごうと音を立て、風すらも凍てつかせながら。機械が生み出した地獄へと、降下を始めた。 63






(つづく)

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