【プライド・フロム・マシン】 #9

坂東 和真第1師団長は受話器を置くと、深く息を吐いた。突如として『落下』したツクバ。そこから現れ出る謎めいた怪物。Wi-Fiを放っていることからマルファクターと相対した際の行動を部隊に取らせているが、正規のWi-Fi戦士や異能部隊では歯が立たず、蹂躙されるがまま、と言うのが現状だ。 1



現状、それらに抗し得ているのはAAA≪エースリー≫の派兵のみである。よもやニッポン最大の武力がいち企業に後れを取るとは。坂東は頭を抱えた。ニッポン武力の面子を保つには、もはや戮殲科に頼る外はない。だが、あの狂戦士たちは、友軍と敵の区別などしない。部隊か面子かの瀬戸際であった。 2



その時、部屋のドアがノックされながら開けられた。「や。や。どーもどーも」坂東は眉を吊り上げて来訪者を見、次の瞬間に絶句した。訪ねて来た四十絡みのその男は、今回のツクバ殲滅戦の為に出向してきたAAA部隊の指揮官、鴫村 快。「こ…これは、鴫村殿」坂東は、努めて震えを隠しながら言った。 3



「如何されましたかな、こんなところまで」「や。や。ちょっとばかしね、裏切らせてもらおうかなー、と思いましてね」「…えっ」坂東は楽し気に笑う快を見、ぱちくりと目を瞬かせた。「その、裏切…」「そそ。展開中の自衛隊の皆様を鏖にしたいなって。その報告と、許可をね。欲しいなってね」 4



「な…」狼狽する坂東。快は、前髪を弄っていた。「で、どうなんでしょ」「い、いやいやいや…冗談は止してください、この局面で」「冗談?」快の声が冷えた。「や。や。流石のおじさんも師団長様に冗談言う度胸はありませんって。おじさん困っちゃいますよ」磨り潰さんばかりの圧力が坂東を襲う。 5



だが坂東は唾を飲み、その圧力に抗った。「何を言うのです…!ここで我々がいなくなれば、怪物が国土に溢れることとなる。かつてニッポンを死と恐慌に叩き落とした蚩尤戦争、その再来となるのかも知れんのですぞ」「ンー」坂東の言葉に、快は腕を組んで考え込む。「いいんじゃないすか?」 6



坂東は息を呑んだ。快は手を叩き、笑った。「AAAって分類上はPMC(民間軍事企業)だけど、軍需産業全般を担ってんのよ?戦争?あった方がいいに決まってんじゃん!儲かるもん!」坂東はよろめき、絞るように口を開いた。「狂ってる」「戦争屋に正気を問わないでもらえる?おじさん困っちゃうなぁ」 7



「全くですな」突如として掛けられた声は、部屋の中からであった。坂東がぎくりと身を固くしてそちらを見やると、壁に一人の妙齢の女性がもたれ掛かっていた。「き…貴様、どこから」狼狽する坂東の鼻先に、女は名刺を突き付けた。(株)ハイドアンドシーク諜報部長、パラパクタム。 8



パラパクタムは言った。「この男のイカれは今に始まったことではありませぬよ。よもやこの状況で冗談を言うほどとは、私も思ってはいませんでしたがね」「じょ、冗談…?」「ええ、冗談」震える坂東に目を向け、パラパクタムは悪戯っぽく笑った。快は、それを真っ直ぐに見ていた。 9



「汝平和を欲さば戦への備えをせよ。軍需産業とて企業、長い目で見れば戦争より平和の方が儲かるのですよ。AAAという会社を想うのなら、戦争など起こそう筈もない。だろう?」コートのファーを撫で付けながら、パラパクタムは挑発的に言った。快はしばし黙した後、口角を上げた。「半分正解」 10



「ほう」「ニッポンを戦争状態にしない為なのは正解。パクちゃん流石だねー。けどツクバはこのままだと戦争の火種になる。抑え込もうにも、暫くしたら物量に潰されるだろうしねー。早い内に全滅しとけば、本社はツクバを早期に『脅威』と認識して対策立てられるじゃん?」「その為の生贄か」 11



「や。や。言い方に悪意は感じるけど、そんなところ?」快は手を叩いて笑った。「即席で考えたにしちゃ悪くない案だと思うんだけどなー」「私もそう思うよ。いささか性急に過ぎるが」「ち、ちょっと…」快に同調したパラパクタムに坂東が言った。「それでは結局、部下たちがAAAに殺されます!」 12



「坂東殿。彼の画策は性急に過ぎると申しましたよ」パラパクタムは、再び壁にもたれた。「弊社の職員が2名、現在ツクバに潜入しています。彼らも当然、事態の収拾に当たります。その結果を待ってからでも遅くはない」「…随分手回しが早いね」快は、値踏みするように目を細めた。「D・Cの指示?」 13



「ただの偶然さ」「ふーん、そっか」快は頷いた。「ならいいよ。日付が変わる頃までは待とうか」そして肩を竦めると、部屋を後にした。胸を撫で下ろす坂東。しかしパラパクタムの胸中は穏やかではなかった。現在ツクバにいるのは、粛清業務遂行中の監査官代理である。果たして…本当に偶然なのか。 14






探偵粛清アスカ

【プライド・フロム・マシン】 #9






明日香は放たれた水平斬首チョップを躱しながら上体を沈めての上段後ろ回し蹴り、メイアルーアジコンパッソを叩き込んだ!死神の鎌じみた軌道の蹴りは、過たず六臂の怪物の首を刎ねる。飛んだ首を掴みながら別の怪物が跳躍。明日香に向けてルール崩壊反則殺戮スラムダンクじみて首を叩き付ける! 15



「ふッ!」明日香は再度のメイアルーアジコンパッソでこれを弾くと、即座に態勢を整え、対空パンチで続き襲い来る怪物本体を迎撃!だが怪物は、放たれた明日香のパンチの上に乗っていた。怪物はそのまま六本の腕で明日香の顔を刻まんとし…止まる。怪物の体は、凍り付いていた。 16



明日香は凍った怪物を砕くと、闇の中で残心した。音もなく降る黒い雪が、崩落したツクバを覆う。断続的に響く地鳴り。闇の帳の向こうには、光を照り返すかのような氷の平野がビル群を透かして見え、ツクバはそこに向かい落ちているのがわかった。即ち、ツクバ地獄落としは成ったのだ。 17



残心を解くと、ベルゼブブの亡骸を担ぎ上げた。現在ツクバに蔓延る怪物は、油断さえしなければ難しい相手ではないが、如何せん数が多い。宏樹らとの可及的速やかな合流が是とされており、そして宏樹が指定した合流ポイントは目と鼻の先だ。彼らも無事に辿り着いていればよいが。 18



目の前が開け、大きな建物が現れた。ツクバ中央病院。((1日もせずまた来ることになるとはね))自嘲気味に笑うと、傷だらけの体を押して病院に入り込んだ。暗い院内は凍て付きそうなほどに冷え、生命の不在を声高に叫ぶ。宏樹らはまだ、到達していないらしい。明日香は壁に背を預け、座り込んだ。 19



その時、廊下の先の闇を何かが横切った。「!」明日香は目を見開くと立ち上がり、臨戦した。闇より注がれる視線。それは明日香の全てを見透かしているようであり、明日香の心をささくれ立たせた。「そこの者。姿を現しなさい…!」明日香はゆっくりと歩き出した。「そこにいるのはお見通しだ…!」 20



「いや、そこじゃないよ」声は、明日香の背後からであった。反射的に振り向く明日香。そこに壁はなく、闇が広がる。その中に佇むのは、明日香自身であった。「貴方は…」「私は、貴方」闇の中の明日香は言った。「本当に不甲斐ないわね。あの時、ガロには肉があった。止めることもできた筈」 21



「彼の能力が未知数だった。無策に突っ込むわけにはいかない」「言い訳ね。単純に斗いたくなかっただけでしょ?彼が子供に見せた笑顔を根拠もなく信じたかっただけでしょ」もう一人の明日香の声には、確かな侮蔑があった。明日香は苛立たし気に目を細める。「黙って」 22



「昔の私なら、そんなヘマしなかったわ」「黙って!」「気付きなさい。私が憎しみを手放したら、何も残らないのよ」「黙れッ!」明日香は拳を振り上げ、目の前の自分に叩き付けた。ガラスの割れるような音と共に闇は砕け散った。その欠片の中で、もう一人の自分は亀裂めいた笑みを浮かべていた。 23



「一度、憎しみを掴んだ者は、必ずそれに飲み込まれる。忘れないことね」脳髄に不快な残滓を傷跡めいて残しながら、闇は消えた。後に残っているのは暗い病院の待合室と、窓ガラスを叩き割った己のみ。明日香は、ガラスを割ったままの己の拳を見た。何かを確かめるように、開き、握り、また開く。 24



「お前は何をしているんだ」背後から声が投げ掛けられたのは、その瞬間だった。「わひゃあッ!?」明日香は跳ね上がって倒れ込んだ。「いっだァ!」「お前は何をしているんだ」声のあるじは呆れ、手を差し伸べる。「あ…原?」「ああ。原 宏樹だ」「それと九龍な」「……びっくりしたぁ」 25



「何がお前をそこまで夢中にさせていたかは知らんが、無事で何よりだ」宏樹は明日香を助け起こすと、大きく息を吐いた。「時間が惜しい。今後の方針を立てるぞ」「ッて言われてもな」九龍が腕を組む。何かを言い澱み、しかし意を決したように再び口を開いた。「ガロを斃す。それ以外にあるのか?」 26



「ベルゼブブとガロの繋がりがよくわからん」「あと、私はガロの行動は何かが不自然な気がする。言葉にできないけど…何か腑に落ちないよ」「だそうだ。ここに潜む何かを見落とせば、今より悪い状況に転がる可能性がある」「成程」九龍は得心した。「と言っても、何から考えるか…」 27



明日香が口火を切った。「ガロがいつから私たちを騙していたか…まずはそこからかな」「ふむ」顎を擦る宏樹。「『5474N』…もとい『SATAN』のWi-Fiは俺たちがツクバに入る前からあった」「ガロが最初から《セト・アン》で、私たちを騙してたって根拠の一つにはなるけど、断定するには足りないよ」 28



「わかっている」「なあ」九龍が口を挟んだ。「確かガロって『メガロヴァニア』なんだよな?そもそも何でそんなのがウロウロしてたんだ?」九龍の疑問を、宏樹は説明した。ガロはあのように人と接するのが業務の一つであること。ベルゼブブの侵食から逃れるためにスタンドアロン状態だったこと。 29



「ちょっと待て。スタンドアロンだと?」九龍が訝った。「誰が言ってた」「本人だけど」「それを鵜呑みにしたのか!?」九龍は呆れた。「アイツは俺たちと接している。窓があり、情報をやり取りしている。それのどこがスタンドアロンだ。ホログラフ映像から本体に影響する方法なんざごまんとあるぞ」 30



「…言われてみれば、聞いたことあるな。ボディの動きをトレースしたホログラフからの感覚共有。TR技術とか言ったか」頷く宏樹。九龍は苦々しい顔をして続けた。「あと、ガロは『自分を維持する電力は生産できない』ッて言ってた。なら、アイツの電源はどこから来ている?」 31



「専用電源が無いなら共有…」明日香は言い、目を見開いた。「…ラリエーネット。この街の電源ケーブル、ベルゼブブのNEWO≪ネオ≫にやられてるじゃん」「アイツはベルゼブブと物理的に接触する機会があったってことだ」「何てことだ」宏樹が首を振った。「あらゆるセキュリティが無意味だぞ」 32



「ガロが《セト・アン》なら、先にあったのはベルゼブブだろう。ベルゼブブがツクバを狙うなら、過程や下準備をすっ飛ばしてガロ…管理AIを叩ける。やらない理由はない」「…つまりガロは、最初から私たちを騙していた」「そしてその事実そのものが、ガロとベルゼブブの繋がりとなる、か」 33



宏樹は息を吐いた。「そして恐らく、ベルゼブブの力がガロの中で僅かに変質して『5474N』…『SATAN』、つまり《セト・アン》となり、その力を以てガロ自身がツクバを狂わせたか」「そこまでする理由がわからないよ」「ああ」九龍が同調した。「何かがあるとしたら、ここだな」 34



「それについてだが、気になることがある」宏樹が言った。「ガロは俺たちがベルゼブブを斃したことに並んで『制御システムが破壊された』と言っていた」「確かに気になるな。そんなことしなくてもツクバを崩壊させられるのに、何でそんなことする必要があったんだ?」「調べる価値はあるかな」 35



明日香の言葉に二人は頷き、立ち上がった。宏樹はベルゼブブの亡骸を背負うと、言った。「よし、行くぞ」「それ持ってくの?」「検証がまだだからな」「オッケ。露払いは任せろ」明日香は首を鳴らした。「九龍もやるぞ」「まあ…頑張るよ。うん。できる限りは」 36



────────────────



落ち続けるツクバの底。この世ならざる冷気に満ちた深淵なる玉座は黒く、そこに座す王は、倦んだ瞳で遥か彼方、下方に広がる氷の平野を睥睨する。無限遠の氷の獄。ツクバがここに融合したとき、全ては始まるのだ。コキュートス・エクス・マキナ。機械より生まれし地獄が。 37



ジュデッカよ。我が子らよ。ツクバに生きる全ての人間を鏖殺し、その苗床とすべし。「…と、思ったのだけどな…」《セト・アン》の目の前に、ツクバに於ける人類完殺率のグラフが現れる。「99%ねえ…」次いでツクバ制圧マップがPOP。ある一点を中心に、ぽっかりと穴が開いているようだった。 38



ツクバ総合運動センター。《セト・アン》は眉を顰めた。何故、こんなところをジュデッカは避けて通るのか?((何らかの防衛力が存在しているとかではない筈だ。万一あったとて、ジュデッカたちが『寄り付きすらしない』のはおかしい))直々に出向いて調査する必要があるやも知れぬ。だが、その前に。 39



「君、ツクバ総合運動センターについて何か知らないかな?」《セト・アン》は背後に声を掛けた。黒の玉座がぐるりと回り、広い部屋を歩き来る存在を見据える。流星めいて流れる銀髪の下で決意に光る緑の瞳が、《セト・アン》を見据えていた。「…《ルシファー》か」《セト・アン》は落胆した。 40



「その目。せっかく僕が助けてあげた命を無駄にしに来た…って解釈でいいのかな?」「聞いたことがなかったと思って」《ルシファー》は言った。「なぜ私を助けたの?」「そんなこと」肩を竦める《セト・アン》。「君は同胞たる人間から随分と酷い目に遭わされていただろう。僕にも慈悲くらいある」 41



「その慈悲を多くの人間に分けてあげようと思わなかったの?」「思わないね。例外は一人でいい。僕と同じ景色を見られる者は…僕の伴侶となるのは、同じ『裏切り』という痛みを持つ一人でいい」「…そう」《ルシファー》は目を伏せた。重苦しい沈黙の後、再び口を開く。「哀れね、《セト・アン》」 42



「…………何?」《セト・アン》の眉根が寄った。「僕が哀れ、だと?」「ええ。貴方は、とても、哀れよ」「…」「真実を見ることすら許されず踊り続ける貴方は、見るに堪えない」「はッ」吐き捨てる《セト・アン》の手の中で冷気がわだかまり、氷の刀となった。「元人間風情が、僕を憐れむな」 43



「…そう」《ルシファー》は再び目を伏せ、しかしすぐに《セト・アン》を見返した。彼女の両手にエネルギーが漲り、稲妻が迸った。その手が拝むように合わせられ、ゆっくりと離れる。掌の狭間には黒い鎖が伸び、短い鎖の両端には二本の棒が接続されていた。それは、高重力のヌンチャクであった。 44



ヒュン。ヒュン。《ルシファー》の体をヌンチャクが舐めた。蛇めいた音を立てながら、彼女の躯体に絡みつく。それは瞬く間に加速し、空気摩擦で稲妻を迸らせ始めた。やがてヌンチャクは嵐となり、彼女はゆっくりと浮き上がった。ヌンチャクは残像を残し、彼女の背に12の翼のシルエットを描く。 45



ヌンチャクワークが減速し、《ルシファー》は再び地に舞い降りた。《ルシファー》は数度、威圧的にヌンチャクを鳴らすと、右腋にヌンチャクを挟み、左手を前に突き出して残心した。睨み合う《セト・アン》と《ルシファー》。それぞれの手の中に、氷と高重力の黒で、名刺が象られる。 46



シュカッ。次の瞬間、互いの名刺は、相手の手の中に収まっていた。名刺交換は、誇りある戦士のマナーである。二人はこれをクリアし、そして、冷たい程に熱い斗志を既に漲らせていた。名刺は、二人の斗志のせめぎ合いに耐えられなかったかのように自壊した。その瞬間、二人は同時に動いた! 47






(つづく)

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