【エピローグ:ジ・エンド・イズ・ア・ニュー・ビギニング】
闇の空の下、過ぎ行く人々はまばらで、どこか不安げな表情であった。赤い提灯が落とす柔らかな光が、辛うじて彼らの顔に生気を与えている。武と力の都、町田。しかしてそこには血の闘争とは無縁な者も多く、彼らはエ・テメン・ヤポンとの開戦の機運に浮足立っているのだ。 1
ディーサイドクロウは安宿の机で茶を飲みながら、それを眺めていた。じきに始まる戦は、極めて凄惨なものとなる。その末路を知る者としては避難の勧告でも出したいところだが、それが未来にどのような影響を及ぼすか定かではない。第一、蚩尤の威光に胡座を掻く者共に、それが通じるものだろうか。 2
『キミでもアンニュイになることあるんだねえ』机上の携帯端末から声が飛んだ。画面の中では監査官総監督・レテがニヤニヤとした笑いを向けていた。「当たり前だろ。オマエおれを何だと思ってんだ」『弊社の誇る殺戮マシーン』「…」頭を抱えるディーサイドクロウ。残っていた茶を一息に飲み干す。 3
『思い煩うのもいいけど、資料はきちんと読んでくれたかい?明日香ちゃんが死ぬ思いで纏めてくれてんだぜ』「読んだ、読んだよちゃんと」ディーサイドクロウは湯呑みを置くと、右サイバネアイにインストールされた情報を、再度確認した。「於炉血…ウェイランドが死に、粛清は終了。ね」 4
『明らかになった彼の動機、所業。弊社はそれらを鑑み、爾後ではあるけどウェイランドを使徒«イーノック»と認定した』「……」『D・C。明日香ちゃんと宏樹くんにそれぞれ勝手に役職与えたらしいけど、彼女らに終焉意思メタトロンについては?』「話してねえ。アレは自分で触れるべきモンだ」 5
『そうだね。その通りだ』レテは同調した。『現在、弊社が使徒と認定しているのは二人。暗黒電脳教会教祖、マクシーム ルキーチ ソコロフ。そして…こっちは言わないでおこう。誰が聞いてるか、わからないしね』「…」『思えば全員キミの関係者だ。過去に相対した使徒もキミに関係していた』「…」 6
『…私は時々思うんだよ。キミこそがメタトロンの化身…シン・メタトロンなんじゃないかって』「…」『キミといたら、いつか私も世界の破滅を志すようになってしまうのか?自分でも気付かぬ内に、決定的な何かを変えられてしまうのか?』「だったら何なんだ」『いや別に?それも面白そうだなって』 7
「笑えない冗談はやめな」『ク・ク・ク!ごめんごめん。それより笑えない冗談と言えば、だ』画面の中で身を乗り出すレテ。『キミ、今年度で退職するつもりなんだって?』「ああ。70過ぎてから、どうにも色々キツくてな」『キミの功績を考えれば、退社処理は省略されるだろうが…』「が?」 8
『寂しくなるなあ、と思ってサ』頬杖を突き、レテは顔を逸らした。ディーサイドクロウは湯呑みを手に取り、空だったことを思い出し、置いた。「…まあ、未来ある若者が何人もいるんだ。どうとでもなるよ」『その辺は別に心配してないさ。キミがどっかで野垂れ死ぬんじゃないかって方が気になる』 9
「おれ生活力は結構あるんだぞ」『そういうことじゃなくて』レテは再びディーサイドクロウを見た。『なんか、キミの最近の行動見てるとザ・終活って感じがしてね。近々死ぬ気があるんじゃないかと思っちゃうのさ』「ンな訳ねえだろ。心残りだってあるんだ」『それが終わったら?』 10
「その時のことは、その時考えるよ」ディーサイドクロウはキャンディを取り出し、舐めた。「とにかく、報告書は確認した。他には何かあるか?」『そうさね…』レテは腕組み思案し、薄く笑って言った。『くれぐれも生きて帰って来いよ』「勿論だ。それじゃな」通話が切れた。 11
ディーサイドクロウは大きく伸び、立ち上がった。「生きて帰る、か…これからの戦争は大丈夫だが、それから先はどうなるだろうな…ネクローシス達が動かんとは思えんし」キャンディを噛み砕き、外を見やる。どこか投げやりな、形ばかりの不安に動かされる者共。彼は肩を竦め、ベッドに身を投げた。 12
────────────────
粛清が終わり、2日が過ぎた。激しい闘争の果てに束の間の休息を得た明日香は、己の家で傷を癒やしていた。同棲中の恋人は就活の為、家を空けがちだ。開いた心の傷は埋まらず、ぼんやりと微睡むだけの日々が続いていた。白無垢探偵社社長・川上 康生が彼女の家を訪ねたのは、そんな時期だった。 13
「成程。そちらも随分と大変だったのですね」康生は紅茶のカップを置いた。「しかし、感服致しました。本当にあの於炉血を下してしまうとは」「私の実力を疑ってたんですか?」「……そういう訳ではなく」眼鏡を押し上げる康生。「兎にも角にも、あなたも無事に帰還されて何よりです」 14
「ええ。そう……ですね。ありがとうございます」「…?」康生は、明日香の態度に何某かを感じ取った。もう一口紅茶を啜り、切り出す。「どなたかが帰還されなかったので?」「…」「言えぬことでしたら」「いえ、大丈夫です」康生はそのまま、明日香が話し出すのを待った。 15
「……九龍、という少年に覚えはありますか」「ええ。この粛清中、篠田さんと共に行動していた方ですよね」「……やはり、そうだったんですね」明日香は目を伏せた。「如何なる事情か、私は彼のことを全く覚えていないのです。もし良かったら、川上さんの知る彼のこと……聞かせて頂けませんか」 16
康生は頷くと、少しずつ話し始めた。MoISでの斗い。ナゴヤでの共闘。彼が知る九龍はそれだけだったが、九龍に内在する立ち向かう強さが、確かにその中にあった。「……ありがとうございます」「いえいえ。しかし彼も薄情な男だ。全てが終わった後、自分の相棒に挨拶もしないとは」「……」「…?」 17
「……彼なんです」明日香はぽつりと言った。「ラリエーから戻らなかったの、彼なんです……!私が……私が弱いばかりに、彼を助けられなかった……!」明日香の目から、大粒の涙が零れた。康生は俯いて肩を震わせる彼女から目を逸らし、怪訝そうな表情のまま紅茶を啜る。 18
やがて彼は、気まずそうに口を開いた。「あー、篠田さん」「……はい」「九龍君、昨日うちに来ましたよ?」間があった。明日香は涙を袖口で拭うと、ぱちくりと目を瞬かせた。「……今、何と?」「九龍君、昨日うちに来て履歴書を出して行きましたよ」「…………」「…………」「……はァ〜ッ!?」 19
───────────────
郊外。ニッポン都市外部、光の及ばぬそこは人間の生存不能領域である。通行することさえ自殺と見做され得るそこを征くのは、人外魔境の住人だけだ。即ちWi-Fi怪物マルファクターと、戦場を駆ける戦士。明日香と康生の茶会より数刻。一台のバイクが、唸りと共に闇を切り裂いていた。 20
篠田 明日香はバイクを操りながら、方角を確認した。住処のあるキチジョウジより西へ。コクブンジ、ハチオウジを回り、そこから南東へ向かう。安全性と早さを天秤に掛け、策定したルートである。方角の正しさを確かめると、アスファルトだったものの亀裂を飛び越え、バイクを走らせ続ける。 21
康生の曰く、九龍は昨日、白無垢探偵社へと入社するべく履歴書を提出した。康生に九龍を袖にする理由はなく即座に採用したが、なんと彼は武者修行の旅に出たいなどとほざき、何かを感じ取った康生は、それを承諾してしまったという。 22
明日香は苛立ち、康生から九龍の行き先を聞き出すと、恋人に書き置きを残して飛び出した。「ッたく。相棒だったってえ美少女に挨拶もせず、何やってんだか」小さく毒づくと、加速する。九龍に会ったらどうしてくれよう?色々あるが、やはりまずは一発殴り、こう言ってやるのだ。 23
「白無垢探偵社、九龍殿…貴殿を粛清いたします!」冗談めかして笑う明日香の鼻を、炎の臭いがくすぐった。小さくむせる彼女の目に、赤い光が飛び込む。それを確かめると、さらにバイクを加速した。赤と金の壁に縁取られた魔界。武と力の都、町田。彼女を待ち受ける、新たなる戦と死の巷だ。 24
Produced by Habaki Nishina
時空統制者モイライ検閲済
探偵粛清アスカ
ここに完結す
探偵粛清アスカ 仁科 はばき @habaki_247
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます