【コール・ミー・カオルーン】 #3 後編

鼻をくすぐる珈琲の匂いで、九龍は目を覚ました。アンティーク色の強い調度で固められた部屋。モスグリーンのソファに横たわる己を見出すと、ゆっくりと体を起こす。部屋は暖かく、柔らかい空気に満ちていた。己の深層に染み渡るようなそれを吸い込みながら立ち上がると、一人の女と目が合った。 1



「よお。おはよう、九龍」「…?」九龍は目を瞬かせた。「ええと、すんません。あなたは」「…………名乗る程のモンじゃあないよ」女はぽつりと漏らすように言った。火に掛けられた旧式サイフォンが、コポコポと音を立てながら漏斗へと湯を上げてゆく。その音だけが、二人の間に残る。 2



「ここは?」沈黙に耐えかねた九龍が切り出した。「俺は、その…もっと別な場所にいた筈」「ここは、そこさ。ロシュ限界の迷宮に、あたしが一時的に投影した虚像みたいなモンさ」「……あんた、何者なんだ」「あたしが何者かなんて……どうでも、いいさ」女は僅かに眉を顰めながら言った。 3



吸い上げられた湯は珈琲によって黒く染まり、ゆっくりと落ち始める。「重要なのは『何をするか』だ。あたしらの意志は、確かに何かを変える力がある。だが、意志だけでは何も変えることはできない。それには行動が必要だ。行動こそが、世界に自分を定義する。あたしはそう思うよ」 4



女はゆっくりと言った。九龍は、何も言わずにそれを聞いていた。彼女の言葉は、何故か染み入るようだった。やがてフラスコに珈琲が落ちきった。女は出来上がった珈琲をカップに注ぐと、九龍に差し出した。「これから、どうする?」九龍は珈琲を受け取ると、暫しの後に啜った。「俺は…」 5



苦味が口内を支配する。甘さなどとは無縁のそれが、体に染み渡ってゆく。だが、心地のよい苦さだった。魂の傷を埋め、癒やしてくれるかのような苦さ。九龍は黒い水に目を落とし、微笑んだ。「俺は、戻るよ」「…そうかい」女はばつが悪そうに笑った。それを見た九龍の胸が、僅かにざわついた。 6



「さあ、九龍。そうと決めたなら、ボヤボヤはできないぞ」「…ああ」九龍は珈琲を一息に流し込むと、カップを返して立ち上がった。「ありがとう。あんたのこと、覚えておくよ」「お帰りは、あちらだ」女は扉を示した。九龍が向かうと、扉は恭しく開き、蒼白の銀河と金色の星羅を詳らかにした。 7



九龍はロシュ限界の迷宮へと踏み出した。情報とWi-Fiの揺蕩う亜空間に、体が浮き上がる。その中で、自分が向かうべき場所は。「…ふふッ」小さな笑いが口から漏れた。自分で向かう場所を、自分で決める。たったそれだけのことが、何故か喜ばしい。「少し前までは、全部他人任せだったもんな…」 8



その時、違和感を覚えた。記憶の中に女の姿が浮上する。先の部屋にいた女の姿が。欠けていた己を埋めるように、暖かなものが広がってゆく。自分は彼女を知っている。明日香より分け与えられた情報には存在しなかった、彼女のことを知っている!「朝…」振り向き叫んだ九龍の目の前で、扉が閉じた。 9



…0と1に分解されゆく部屋の中で、石動 朝子はシニカルに笑った。手にしたカップに残る珈琲から立ち上るもまた01であり、そこにもはや芳しさなどない。彼女は、惜しむかのように黒い魂の残滓を啜っていた。 10



いつ頃からか、自身の大部分を占めていた情報…九龍に関する情報は最早1ビットも残っていない。己に深く食い込んでいたそれの喪失は、石動 朝子に関しての情報の喪失と同義であり、即ち彼女の真我そのものが消えることを意味する。 11



01崩壊の先には、作られた部屋の壁にしがみつき、叫ぶ九龍が見えた。「おいおい。ボヤボヤしてる暇はないって言ったばかりじゃないか」珈琲を飲み干し、苦笑する。01に散華するカップを置くと、朝子は大きく息を吐いた。「本当に、変わらないね。いっつもあたしやウェイランドのことばっかで…」 12



記憶は、既に薄れ始めている。0と1に解ける朝子は、古ぼけて掠れてゆくそれを手放すまいと抗うように、叫ぶ九龍を見つめ続けた。九龍は、ただ、叫び続ける。「……九龍。お前は、今でもあたしらのことを…」朝子の目から涙が溢れた。「……九龍。ありがとう、そして…」最後の言葉は、01に消えた。 13



…九龍の目の前で部屋は消え、その中にあった金色の小さな星だけが残った。部屋と朝子を構成していた01すらも消失し、何らの情報も存在していない。ただ『そこに何かがあった』それだけを証すものでしかなかった。「朝子」九龍は呟いた。返事はなかった。「朝子、俺は…」 14



九龍は何かを言おうとしたが、口を噤んだ。何事かを考えるように目を伏せるが、やがて小さく息を吐き、朝子だったものを真っ直ぐに見た。「…行ってくるよ」一言だけ言うと、金色の星羅の狭間を縫い、飛んで行った。 15






探偵粛清アスカ

【コール・ミー・カオルーン】 #3 後編






明日香は大穴を離れると、がっくりと膝を突いた。血が足りない。体中が引き裂かれそうに痛い。体力はとうに底を破り、強く努めねば意識すらも掴んでいられない。だが、まだ倒れる訳には行かない。このラリエーを叩き落とさねばならない。己が格闘によって。明日香は自分を強い、立ち上がった。 16



その時、倒れ伏す一人の少年を発見した。わずかな光を血色に照り返す黒い髪。それを見た瞬間、明日香の全身の毛が逆立った。於炉血と全く同一の特徴。しかし、倒れてなお纏う邪気が、彼にはない。一般市民だろうか?何故こんなところに?何にせよ、救助しなければならない…! 17



「大丈夫ですか…!?」明日香が少年を抱え起こすと、彼はすぐに目を覚ました。「う…篠、田…?」譫言めいて少年は呟く。「何故、私の名を?」「え?あー…その、幼馴染かと思ってさ。アハハ」「笑ってる場合じゃありませんよ」明日香は呆れた。「詳しいことは、今は聞きません。ここは危険です」 18



「これから落とすから…だよな?」「貴方…何故、それを…?」明日香は警戒レベルを大きく引き上げた。手袋から銃を抜いて突きつけると、少年は大袈裟に両手を上げた。「待て待て待て!結論が早すぎるっての!」「時間がありませぬ故」「なら尚更お前は俺の話を聞くべきだ!」少年は叫んだ。 19



「いいか?ラリエーはロケットブースターで空を飛んでいる。なら燃料庫がある筈だ」「そこを叩けばいい、と?」明日香は拳銃の安全装置を確かめた。「貴方から得られるものはなさそうだ」「そこまでの道程はわかるのか?」「…」「俺は、わかるぞ」「…」「…」「…いいでしょう」 20



明日香はいくつかの疑問を飲み込みつつ、少年の後ろに回った。「案内してください」「ならその銃を降ろしてくんねえかなあ…!?」「……」「わかった、わかったよ畜生ッ」少年は苛立たしげに吐き、走り出した。明日香は極力距離を離さぬように、それに追従した。 21



疾走開始より1分。明日香の息は早くも上がり始めた。100m9秒ペース。ニッポン戦士の平均巡航速度程度であり、平時であれば一昼夜は走り続けることができよう。現在の明日香はそれだけの重篤なダメージを負っている、何よりの証左である。 22



それでも走らねばならない。どんなにひどい世界でも、守らねばならない。それが自分の仕事だ。「近いぜ!」少年が叫んだ。「なあ…大丈夫か…?」「ええ…問題ありません…!」絞り出す明日香。「それよりも走りなさい。時間はないのですから!」「わかってる…わかってるって」二人は扉を抜けた。 23



その先の部屋にあったのは、一人が入れる程度のカプセルだった。カプセルの下にはレールがあり、それは隔壁の向こうへと続いている。「これは…」「脱出ポッドだ」「何?」「はッ!」訝る明日香に向け、少年はボディブローを繰り出した。「おごッ…!?」拳は過たず明日香の水月を穿ち、崩す。 24



少年は明日香を担ぎ上げると、ポッドに歩み寄る。「な…何を…」「…燃料庫を叩くだなんてことすりゃどうなるか、火を見るより明らかだろ」少年は言った。「この期に及んで、何でお前がそんな危ない橋を渡らなきゃならねえ?篠田。もう十分頑張っただろ、お前はさ」「放しなさい…放せ…!」 25



抵抗する明日香。しかしもはや、それは虚しいのみであった。「早く放しなさい!もう時間が…」「ああ。いいぜ」少年がコンソールを数度叩くと、脱出ポッドはスチーム吐いて口を開いた。一人分のシートと数日分の生命維持装置が据え付けられたポッドを見、明日香は狼狽した。「ちょっと…!」「…」 26



少年は暫し躊躇うような表情を見せたが、すぐに明日香をシートに座らせ、固定し始めた。「駄目だ…やめなさい…!」明日香は首を振って否定するが、もはやそれしかできなかった。「私が、やらなきゃ…」「俺がやる」明日香の固定を終えた少年が、決然と言った。「後は俺に任せておけ」 27



強い意志が、明日香を打った。真っ直ぐに自分を見つめる少年の目には、己が意志で何かを変えんという強さが宿っていた。「…」「…あー、そんなに見つめられると…照れるぜ」少年はばつが悪そうにはにかむと、しかしその目を伏せた。「九龍」「…?」「俺の名前だ。自己紹介……まだ、だったよな」 28



「……」「良かったら……一度でいい。俺の名前……呼んでくれないか」少年の、九龍の頼みに、明日香は目を瞬かせた。彼は何を言っている?己の理解が及ばぬ何かを、九龍は抱えているようであった。そしてそれが、自分には考え付かぬような重荷であるようにも感じられた。 29



「…九龍」明日香は呟いた。「九龍」繰り返す。「九龍」もう一度。それを言った時、九龍の顔が動いた。彼は物憂げに目を伏せ、僅かの後、くしゃりと笑った。「……ありがとうよ」その瞬間、明日香の中に何かが滲んだ。決定的な何かを規定的に違えてしまったような。「九龍!」ポッドが閉められた。 30



小さな丸窓から見える九龍が、外部に備え付けられたコンソールを叩き、ポッドを厳重にロックしていく。「…最期の最期に名前だけ呼んでもらえりゃ、それで未練はなくなると思ってた」スピーカーから声が響く。「けど、けどよう……」九龍の瞳から涙が零れた。それはすぐに、決壊するように溢れた。 31



「畜生ォォォォッ!何で、何で俺ばっかこんな目に遭わなきゃいけねえんだよッ!?」「九龍!開けなさい!開けろッ!」明日香は叫んだ。だが九龍はロックを続行する。「死にたくねえ!死にたくねえよッ!まだ一年しか生きてねえんだよッ!」「なら開けろよ!言ってることとやってること逆だぞバカ!」 32



ポッドの後ろで隔壁が開いた。闇の空、ニッポンの闇が広がり、生温い風が吹き込む。明日香にそれは届かない。「おい九龍!聞いてんのかよッ!」「やりてえことだっていっぱいあるんだよッ!何で…何で俺なんだよ、畜生ォォォォッ!」九龍はコンソールに拳を叩き付けた。ポッドが射出された。 33



「九龍ォォォォ…………!」明日香の叫びは、ポッドと共に闇の中へと消えて行った。九龍は、そちらに決して目を向けることはなかった。「畜生ぉ、死にたくねえよぉ……助けてくれよ……篠田ぁ……」九龍は、しばしそのままに啜り泣いた。だがやがて立ち上がり、走り出した。 34



足が重い。待ち受ける死へと向かってゆくのが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。ヒロイズムに浸り全てを失うことが、こんなにも愚かしいことだとは思わなかった。だが、そうすることを選んだのは自分自身だ。立ち止まる訳にはいかない。流れる涙を袖口で拭い、九龍は走り続けた。 35



やがて、九龍は一つの広間に辿り着いた。何某かの機械に半ば埋め込まれるような、鼠色の無骨な立方体が立ち並ぶ。燃料タンクの群れだ。九龍はしばしそれを見つめると、躊躇いがちに手首を切った。「ああ、クソ…覚悟、決めた筈なのになあ」滴る血が、九龍の腕を覆う刃となる。 36



「畜生ォォォォッ!」咆哮と共に、それをタンクに突き刺した。深く捻り込むと血液がタンクに流れ込み、汚染してゆく。「はァァァッ!」彼はそのまま走り、居並ぶタンクを次々と連続切断汚染!「頼む頼む頼む頼む落ちるな落ちるな落ちるな落ちるなッ!死にたくねえんだよ畜生ッ!」 37



最後のタンクを両断すると同時に、地を食い割くような轟音が響いた。「ああ、クソ……落ちやがる……」九龍は呟いた。タンクから燃料と血の混合物が溢れ出、青黒く苔むした床を汚してゆく。九龍は、その中に力なく座り込んだ。「俺の人生……マジで何だったんだろうなあ、畜生……」 38



その時だ。胸を悪くするように臭いの液体を分け、歩み寄る者があった。「…隣、いいかな」九龍が顔を上げると、そこには自分と同じ顔があった。「於炉血…!」九龍は驚愕に目を見開くが、しかしすぐに溜息をついた。彼もまた、死に逝く者の一人。その傷は、どう見ても致命傷だ。「…好きにしろよ」 39



「ありがとう」於炉血は一言だけ言うと、大義そうに座り込み、タンクの残骸に身を預けた。九龍は、その姿を訝しげに見ていた。「…少し聞いていいか?」「いいとも。ただしこっちも聞きたいことがあるし、一問一答で行こう」於炉血は快諾した。彼にはもはや、何の敵意も気迫もありはしなかった。 40



「脱出ポッドなんて用意してたのは何故だ?」「勝者には敬意が必要だろ。ラリエーを落としたけど一緒に死にました、じゃ味気ない。九龍、君が燃料タンクの破壊に来たのは何故だ?」「篠田はこの一週間、十分辛い目に遭っただろ。これ以上背負わせるのもアレだ…。まあ、今はスゲー後悔してる」 41



「君らしいね。探偵の仕事してる時も、いつも肝心な時に余計な良心発揮して、いらん苦労を背負い込んでた」「うるせえよ。ラリエーを落とされたとして、国土に落ちるようにしなかった理由は?」「さっきと一緒。勝者への敬意さ」於炉血は言葉を切った。彼は何かを躊躇っているようだった。 42



だがやがて、ゆっくりと口を開いた。「君は、楽しかったか?」「……あ?」ぱちくりと目を瞬かせる九龍。この期に及んで彼は何を言っているのか?というか、いつからいつまでを言っている?疑問が過るが、一問一答は交互に問い、答えるがマナー。しかしそれも、芽生えたある気持ちの前に霞んだ。 43



「……何だかんだ言って、俺の人生そう悪くなかったと思う。だからこそ、やり残したこともできちゃったし、死にたくねえ」「…………そうか」「ウェイランド」九龍は於炉血をかつての名で呼んだ。「あんたは俺のこと……どう、思ってたんだ?」 44



沈黙が落ちた。於炉血は何度か大きく息を吸い、吐く。絶対終末要塞が揺れ始めた。慣性が重力に負け、落下を始めた。「……最初は、僕の好奇心を満たす為の駒としか。そうとしか思ってなかった。けど、監査官にトドメを刺される直前……何故か、頭を過ぎったのは、君のことだった」「……」 45



「何と言うんだろうな。この気持ちは。僕にはわからない」「父親」九龍は言い切った。「多分、それが一番近いんじゃねえかな」「……父親。僕が」「そもそもあんたがいなきゃ、俺は生まれてない訳だしな。尤も、あんたの仕打ちを絶対に許すつもりはねえ」「そうか」於炉血は言った。「それでいい」 46



「偉そうに言うぜ」「すまんね」九龍は苦笑した。於炉血もまた、笑い返した。九龍は真正面からそれを受け止めると、気恥ずかしそうに目を逸らした。「…一問一答だ」「まだやんの?息子相手に恥ずかしくねえのか」「こっちが質問する番だぞ」「う」「九龍。この一週間の話を聞かせてくれないか?」 47



九龍はまたしても目を瞬かせると、於炉血を見た。於炉血は、九龍を真っ直ぐに見ていた。九龍は小さく息を吐くと、少しずつ話し始めた。牙の襲撃。監査官との出会い。石動 朝子との斗い。MoIS。ツクバ。明日香との別れと、カワサキでの死闘。そして、ナゴヤでの動乱。時間を掛け、ゆっくりと語る。 48



「…大変だったんだな」「原因あんただろ」「それもそうだ」「まあ、怨みはあるけど悪くない一週間だったと思うよ」九龍は話を締めると、遠くを見やるように顔を上げた。絶対終末要塞が揺れる。墜落の時は近い。「九龍」やがて於炉血が言った。「監査官ちゃんに告白はしたのか?」「はァッ!?」 49



九龍は勢いよく立ち上がった。「い、いやいや!あいつとはそんなんじゃねえから!」「……適当に言ってみただけだったんだけど」「だあッ、もう」九龍はどっかと座ると、膝に顔を埋めるようにしながら頭をガリガリと掻き始めた。「……あいつ、彼氏いるんだってよ」「ライバルは一人だけか」 50



「……篠田に必要なのは共に斗えるヤツより、帰るべき場所だ。半端とはいえ斗える俺に、それは担えない」「そう決め付けて身を引くから何も手に入らないんじゃあないか?」「そうは言ってもよ…」九龍は言い淀んだ。「あいつの彼氏、自分より強い奴にも平気で立ち向かえるんだ。俺は違う」「ふむ」 51



「……今ならわかる。俺が燃料タンクの破壊に来た理由。訂正するよ」九龍は言った。「俺、篠田から逃げたんだよ。あいつの彼氏に敵わねえって知ってるのに、あいつの顔見るのが辛いから。ずっと隣に立ってるのは俺だって思うのが、その醜い嫉妬が嫌で嫌で、逃げて来たんだよ」「ふむ」 52



「けど…けどよう…!」「ふむ」「俺、忘れられねえんだよ。あいつが時々見せた笑顔が、あいつの手の、体の暖かさが、感触が…ずっと俺から離れてくれねえんだ…!」絶終末要塞ラリエーの揺れが激しさを増す。既に終端速度に達し、速度から生じる圧倒的な風圧により、少しずつ破壊されているのか。 53



「ウェイランド、一問一答だ。何もかんも抜きにした俺の欲望……言っていいか」「……言いなさい。悔いのないように、大きな声でな」九龍は頷いた。その手を見つめ、好きな人を思い出す。その感触は今でもリアルであり、九龍を煩悶させた。「俺……俺は……!」やがて九龍は、叫んだ! 54



「篠田とセックスしてェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ────────────────────────────────────ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!」 55




……超極大質量の墜落は、反応兵器にすら匹敵するエネルギーを生み出した。絶対終末要塞が引き起こした津波は現在の技術を以てしても防ぎ切れぬものであり、湾岸防衛隊に多くの犠牲を強いた外、多数の海生マルファクターの都市への侵入を許し、大きな被害をもたらすこととなる。 56



明日香が乗った脱出ポッドは、津波と共に郊外の浜辺へ打ち上げられていた。ロックはその頃には解除される設定だったようで、明日香が内部コンソールを数度叩くと、脱出ポッドは大きく開き、彼女を解放した。潮の匂い。湿った風。立ち上がった明日香を、再び穏やかになった潮騒が迎える。 57



ニッポンの空は暗い。故に海も暗く、深い闇を孕んでいる。明日香は、奈落のような海を見つめていた。ある少年が終焉と共に消えて行った海を。果たして彼女の涙は、慰めになるだろうか?吹き荒ぶ風がそれをさらい、小さな雫は海へと消えて行った。闇は全てを受け入れる。生も死も、歓びも悲しみも。 58



「九龍」明日香の声もまた、等しく闇に飲み込まれて行った。明日香はそれを認めると、踵を返し、立ち去って行った。後に残されたのは闇と、それに背を向けた足跡。そして、嘆くように口を開いたポッドのみ。ポッドのLEDコンソールの光が涙めいて明滅していたが、やかて、静かに消えた。 59






粛清完了:歯車、星空


×鱗 ×風切羽 ×車裂き ×錆 ×白無垢 ×土蜘蛛 ×天秤 ×滲み ×包帯 ×水底 ×鑢

×鎖 ×歯車 ×星空


粛清終了



探偵粛清アスカ

【コール・ミー・カオルーン】

おわり

(【エピローグ:ジ・エンド・イズ・ア・ニュー・ビギニング】につづく)

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