【プライド・フロム・マシン】 #7 前編
鋼鉄の部屋は暗く、冷え切っていた。空調に異常があったのだろうか?否。あえて言うなら、ツクバ・シティの人工気象システムだろう。ツクバ全体の気温が、少しずつ低下を始めていた。夜が近づけば、気温は下がる。果たしてそれだけなのだろうか?明日香のニューロンは、何らかの何かを感じている。 1
人感センサーが反応し、照明が点灯した。九龍は後ろ手に扉を閉めると、溜息をついた。「どうしたの?」「ああ、いや」明日香の言葉に、九龍はぼんやりと答えた。「まさかまた戻って来るとはなあ」「思い出の場所みたいに言うね」「今となっちゃいい思い出だよ。拘束されて変なことされるなんて」 2
九龍は肩を竦めた。彼の顔は晴れず、部屋の隅に落ちた椀に目を向けている。然り。ここは、ルミナスバグが九龍に何らかの処置が施した部屋。彼らは殺人機械の群れを突破し、無事、到着したのだ。「苦労してここまで来たんだ」ガロが言った。「空振りなんて勘弁してくれよ」「そう言われましても」 3
明日香は顎を擦り、部屋を見渡した。部屋の中央に椅子と、併設された機械装置。そして隅に投げ捨てられた椀だけだ。「期待できるの、あの機械だけですよ」「だったら早いとこ、それを調べようぜ」ガロは機械に近づき、屈みこむ。「あ、無理だこれ」「諦め早ッ!」九龍がガロに突っ込んだ。 4
「チッ」ガロは舌打ち、気怠そうに機械を叩く素振りを見せた。「あのな、エゴコン単体で何かできる訳ないだろうが」「エゴコン?」「君らほんとに現代人?」首を傾げる九龍と明日香に、ガロは胡乱な視線を送った。「エゴ・コンバーター。人間とコンピューターの物理接続デバイス。一般教養だぞ」 5
「ああ、確か上司が使ってるのを何度か見たことがあります」「そこで質問しとけよ社会人。いいか、エゴコンだけで何かしようッてのは、キーボードやマウスだけで何かしようッてのと同じだ。無理だろそんなの」「成程なあ」九龍は頷いた。「じゃあ、俺と接続されていたコンピューターはどこだ?」 6
「確かに」明日香は屈みこんだ。「この部屋にそんなものがあった痕跡はない」「長期的な何かを期待してないから、終わり次第撤去したんだろ」ガロが言った。「何故、長期的なことでないとわかるのです?」「物の配置。ド真ん中に椅子とか、長期間使う部屋にそんなことしてたら頭悪すぎでしょ」 7
「まあ、確かにそうですが」「いや」憮然とする明日香の横で、九龍が頭を捻った。「最初からこうだったよ。俺がここで目を覚ました時もコンピューターは無かった」「目覚めたから撤去されたんじゃない?」「そんなことする理由がない」「ルミナスバグ」ガロが口を挟んだ。彼の顔には確信があった。 8
「彼はロボットだ。エゴコンを自分に接続して、九龍君と繋いだんじゃないかな」「…ありそうな話ですね」明日香が消極的に肯定した。「しかしそうすると、そも奴を捕まえなければ話にならないということに」「結局、振り出しか」ガロは肩を落とし、エゴ・コンバータの筐体を撫ぜた。 9
「けど何と言うかさ」九龍が筐体を叩く。「一般教養なんて言う位に普及してる機械だろ?2000年代初頭のコンピューターくらいのサイズあるぞコレ」「確かに言われてみれば…あっ」ガロは訝し気に機械を指し示す。彼の意図を汲み取った明日香は氷でドライバーを作ると、外装を外し、中を覗き込んだ。 10
「…コンピューター、併設されてますね」「されてるねえ」九龍は胡乱な表情のガロを睨み、しかしすぐに首を振った。「…OK、わかった。これを調べるにはどうすればいい」「まず君ら、何か外部接続できそうな端末持ってる?」「いや」「なら直接見てみるしかないな。九龍君、電極を頭に」「コレか」 11
ガロの指示に従う九龍。瞬間、彼の視界にノイズが走り、その先に、緑色の情報の羅列が浮かび上がった。「うおッ!」「接続できたみたいだね。後は、色々探してみてくれ」「探せッつってもよ」九龍は犬めいておたおたと空を搔き、何かに触ろうとしている。ガロは蔑むような視線と共に舌打ちした。 12
「それは入力デバイスだ。さっきキーボードやマウスって例えただろ、それと一緒。思考で動かすんだよ」「思考で?」九龍の言葉と同時に、情報がスクロールする。「おお…!」嘆息する九龍。彼は楽し気にぐるりを見回しながら、情報を見る。明日香はそれを見、溜息をついた。「目的、忘れないでね」 13
「うん、わかってる…」「ホントかなあ」呆れる明日香を他所に、九龍は虚ろな目を虚空に向け、電子と現実の狭間に没頭していた。否、電子世界に寄っているか。九龍は涎を垂らし、もはや目から生気は感じられない。「班長が使ってた時は、こんなんじゃなかったけど」「慣れや個人差はあるよ」 14
「アバーッ!?」その時、九龍が叫んだ。体を大きく痙攣させ、泡を噴きながら倒れ込む。「九龍!?」明日香はすんでの所でそれを受け止めると、ガロに訊ねた。「これも個人差?」「そんな訳あるか!攻撃されてるんだよ!」「AAAAGH!」「クソ、防衛プログラムか?そりゃ仕込まれてるか、クソッ」 15
「待って、どういう事です?」「さっき九龍君、宙に何かを見ていただろう?人間が何かを感じるのは脳だ。それを応用して、彼の脳を攻撃したんだ」ガロは説明しながら、開かれたままの筐体を覗き込んだ。「よし、行ける」「どこに?」「九龍君の中だ」「九龍の、中?」「ああ」ガロは頷いた。 16
「僕は管理AIである以前に『メガロヴァニア』。つまりNEWO«ネオ»、つまりWi-Fiだ。このコンピューターに接続して、そこから九龍君に攻撃を仕掛けているプログラムを排除する」「待ってください」明日香は苦しみ藻掻く九龍を掻き抱き、押さえ込んだ。「AAAAGH!AAAAGH!」「危険です」 17
「その危険な物に考えなしに接続させたのは僕だ」「ですが、貴殿はツクバが正常化した後…」「ツクバが正常化?」ガロは目を細めた。その奥に横たわる深い拒絶が、明日香を睨み付ける。「何を以て正常と言うつもりだ?君は」「え…?」「…いや、いい。今はそれを論じている暇はない」 18
ガロの体が、末端から解け始め、0と1に変わり始めた。「九龍君は必ず連れ戻す。それまでしっかり見ていてくれよ」「…わかりました」明日香は力強く頷いた。ガロはそれを見届けると、完全に0と1になり、消えた。後に残されたのは、悶える九龍と、それを支える明日香のみ。 19
明日香には、ソフトウェアのことがわからぬ。今でさえ、九龍がコンピューター側から何らかの攻撃を受けた、ということしか理解が及ばなかった。「どーすんだ、これ…」がっくりと肩を落とす明日香。ガロが戻るまで、のたうつ九龍を押さえるくらいしかできることがない…。「ガロが戻るまで?」 20
首を傾げる明日香。ガロが、Wi-Fiが機械に入ったということは、この機械には電波を受信する装置が備わっていることになる。エゴ・コンバーターが入力デバイスならば、そんなものが必要だろうか?併設されたコンピューターの為と考えても、何かが不自然に思えた。つまり、何者かの作為。 21
「…駄目だ、わからん」明日香は息を吐いた。同時に、疲労が濃いことを自覚する。ツクバに来て以来、休まる時が乏しい。ならば、見張りをこなしつつ、体を休めるのだ。明日香は九龍をしっかりと抱くと、目を閉じ、思考を闇の中に葬った。意識だけを空間に満たし、全ての細胞に休息を与える。 22
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デッドラインカットから赤が伸びた。「しッ!」長大な弧を描き地を舐め、粉塵を巻き上げながらココイに迫る刃鞭。「ピガーッ!」蛇腹の剣が脚に達する寸前、粉塵に紛れココイは跳躍した。汚濁に塗れたアックスを振り上げ、高みよりデッドラインカットを襲う!「ピガーッ!」 23
「しッ!」デッドラインカットはその下を潜り抜けた。結合した刀を地に突き立てると、それを蹴る反動でココイの背に空中回し蹴りを浴びせる!「しィィィやァァァッ!」「ピガガガガガーッ!」一発、二発、三発、四発!瞬間的に四度の打撃を受け、ココイは装甲を大きく凹ませながら吹き飛んだ! 24
「しッ!」刀を掴み、デッドラインカットは追撃を仕掛ける。「しィィィやァァァッ!」振り上げられた血刀は地を断ち割りながらセグメント分割、地中よりココイを打たんとす!「ピガーッ!」肥大した左腕で制動したココイは、逆腕に握った斧でそれを弾く。真紅の火花が散り、二者の視線が交錯する。 25
「しッ!」デッドラインカットは再び蛇腹剣を揮う。「ピガーッ!」それを弾くココイ。デッドラインカットは伝わった衝撃を己の中で反射し、得物を揮う速度に転化する。ココイはそれを視認し再構築、速度に対応していた。加速する鞭打。弾く斧。衝撃の嵐が、二者の間に生まれようとしていた! 26
……だが、デッドラインカットはそれを拒否した!「ピガーッ!」ココイが襲い来る赤を弾いた瞬間、刃は武器ではなく液体となって散華した。デッドラインカットがブーブスの血液武装を解除したのだ。散った血はココイの視界を一瞬だけ塞ぎ、刹那、死神は肉薄していた!「しッ!」「ピガガーッ!」 27
低きより放たれるアッパーカットが、ココイの腹に突き刺さった。先まで血刀を発振していたカランビットナイフの湾曲した刃を伴うアッパーは、鉤爪めいてココイの腹を抉り、その巨体ごと吹き飛ばす!「ふん」どうと音を立てて倒れ込むココイを見るデッドラインカットの手で、再び血刀が形成された。 28
「ピガッ」仰向けに倒れるココイの左腕が、肩を軸に回転した。持つ斧が地面に突き刺さり、そこを支点に再び肩…否、体が回転。地に足を付けた。「ピガガガガ」ココイはそのまま力を込めた。すると見よ。蜘蛛の巣めいた亀裂が地に走る。抉られた地面は切り取られ、斧の先に持ち上がったではないか! 29
「ピガ…」巨塊を担ぎ、ココイはよろめいた。彼のボディの隙間から、耳障りな羽音じみた音と共に黒が溢れ出す。溢れた黒は二つに分かれ、一つはココイの足元にわだかまり、彼を支えた。もう一つは巨塊に集まり、圧し潰し…南無阿弥陀仏…刃渡り20mを超える、大虐殺ブレードと変じた…! 30
ココイはブレードをより深く担ぎ、身を低く沈めた。デッドラインカットは、ここに死線を見た。あとたった一太刀で全ての勝負が決する。次に放たれるのは、ここまでの優勢を己が命ごと無に帰すような一撃。そして一太刀の死線を超えられなかったが為に死んだ戦士たちで、墓場は常に満席なのだ。 31
だが彼の心は禅の境地めいて凪ぎ、一片の揺らぎもなかった。この程度の死線は、既に幾度となく潜り抜けて来たのだ。それは慢心ではない。確固たる自信である。自分はここを踏破できる。デッドラインカットは、血刀を脇に構えた。戦に乾いた唇を舌で湿すと、デッドラインカットは地を蹴った! 32
「ピガーッ!」ココイが横薙ぎにブレードを揮った。デッドラインカットは迷いなく、その軌跡に踏み込んでゆく。一歩、二歩、三歩。速い。デッドラインカットは刀を握る手に力を込めた。その時、ブレードが黒を噴出し、加速した!刃は尚も早く死神の首に迫り…瞬間、死神の足元が弾けた!「しッ!」 33
……ブレードを振り抜くココイの後ろに、デッドラインカットは膝を突いて着地した。彼の背で、ココイは刃を振った姿勢のまま、凍り付いたように動かない。「エボル陰陽道最終奥義」デッドラインカットはゆっくりと立ち上がると、祈るように刀を立て、目を見開いた。「…ディーサイドクロウ!」 34
「ピガガガガガーッ!」体内で何かが暴れ狂っているかの如く、ココイは大きく痙攣した!エボル陰陽道最終奥義、ディーサイドクロウ。戦斗の最中に刺した衝撃の『楔』を深くまで打ち込み、肉体をズタズタに引き裂く処刑奥義である。先のアッパーでココイに刺した『楔』を今、打ち込んだのだ。 35
「ピガガガガガーッ!」痙攣するココイの体は、荒れ狂う衝撃でネジが外れ、或いは引き裂かれてゆく。「このような結末を迎えたこと、至極残念だ」宏樹は低く言った。「機械に魂があるかは知らんが、せめて安らかに眠るがいい」「ピガガガガガーッ!」一際大きく痙攣し、ココイは爆発四散した。 36
爆風と共に飛び散る鉄片。宏樹はその中に、異質なものを見つけた。まるで布切れのようなそれを拾い上げる。「…リボン?」目を細める宏樹。何かを包むように固められたリボンの塊を、宏樹は見つめた。明らかに作為的な形状。ココイは、これを守ろうとしていたのだ。宏樹は、リボンを解き始めた。 37
「…」リボンの中に収められていたのは、果たしてSDカードであった。『彼はあなたを待っていたわ。ツクバの全てを伝える為に』《ルシファー》の言葉がリフレインする。この中に、それがあるのだ。「…データが生きているといいが」宏樹は再びカードをリボンで包むと、懐にしまって、歩き去った。 38
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0…101… 39
11…01011…00… 40
九龍が目を覚ま1したのは、灰色の10図書館であった。立ち並ぶ本棚1も、収0められた本1も1行き交う職0員も、何もか1もがくすんだ灰色だ。1そ0の中で、己と1天1井を透かした先で回る0蒼白な銀河だけが、鮮やかに1描かれて0いる。銀河から降り注ぐの1は…0微かだが、『恐怖』を1帯びた視線じみた光。 41
意識が定まるにつれ、本棚から、否、この空間を構成する全てから、緑色の0と1が、揺らぎながら立ち上っているのがわかった。「ここは…」呟く九龍。その吐息も、僅かながら01のノイズを含んでいる。((確か俺は、ツクバでエゴコンに接続して、それから…))九龍は記憶をたどり始める。 42
エゴ・コンバーターと接続し、その後、意識がどこかに消え、ここで目覚めた。そして、この非現実的な光景。九龍は、これにひとつ心当たりがあった。電脳空間『事象の地平面』。コンピューター上に構築されたデータを空間として認識した領域だ。かつて、ウェイランドはそう語っていた。 43
ブガー!ブガー!突如として鳴り響くサイレンに、九龍は体を縮こまらせた。周辺の職員と思しきデータ群が、慌ただしく走り始める。「何だ何だ何だ…?」九龍は訝るようにそれらを見送った。長い廊下の先に走ってゆく職員データ。その向こうから武器を手に手に、走り来る者共あり。その数、3。 44
パチクリと目を瞬かせる九龍に、先頭のデータが襲い掛かった。「…!」「ぎゃあ!?」槍を振りかざし、九龍を手ひどく打ち据える。「…!」そこに別のデータが飛び掛かり、九龍の胸にジャンプパンチを叩き込んだ。「ぐぶ…!」0と1の血を吐く九龍。攻撃されている。ブザーは、自分の為のものだ! 45
さらに、刀を持ったデータが突っ込む。モノトーンの刃が閃き、光を01に反射しながら九龍の首を狙った。「う、おわっ」九龍はよろめき、尻餅を突いた。頭上を刃が通過し、刀のデータはその胴部を晒す。「はッ!」九龍はそれを蹴り上げると立ち上がり、襲撃者に背を向け走り出した。 46
「何なんだよ畜生ッ!」毒づく彼の背をデータの群れが追う。淡々とした殺意を背に受けながら、九龍は思案した。ここが電脳空間『事象の地平面』ならば、自分は体を明日香らの下に残し、意識だけがここに来たことになる。……電脳空間で意識が死ねば、肉体はどうなるのだろう?「…考えたくねえ!」 47
𝙰𝚂𝚄𝙺𝙰:𝙿𝚞𝚛𝚐𝚎 𝚝𝚑𝚎 𝙳𝚎𝚝𝚎𝚌𝚝𝚒𝚟𝚎
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