【プライド・フロム・マシン】 #6
空は赤い。日没が近いのだ。偽物の空に描かれるそれは、地下の人間にとっては比較的に見慣れたものであった。しかして今、ツクバの空にはノイズが走り、世界そのものが斜陽であるかのように象徴的だ。ノイズは殊更に激しさが増し、電力か、或いは制御体系に何かの異常が起きたと叫んでいる。 1
明日香らは、ツクバ東部に向かい歩いていた。九龍がルミナスバグに何かの処置をされていた場所は、東部に存在する。彼らがそこに向かっているのは、握っているごく僅かな情報の中で、精査できそうなものがルミナスバグに纏わるものだけだった、という理由による。 2
「しかしだな、ガロよ」宏樹は苛立ちを隠しもせずに言った。「あれだけ勿体つけて『《ベルゼブブ》を斃してくれ』などと言っておいて、肝心要の場所を知らんとはどういう了見だ」「仕方ないだろう。僕は飽くまでツクバの管理AIで、外から来たものには無力なんだよ」「どうだかな」ガロを睨む宏樹。 3
「ならばあの巨大機械を黙らせたアレは何だ?労いを欲していただと。本当は貴様が全ての元凶で、奴では俺たちに勝てないから見限ったとでも考えた方がまだ自然だ」「…」「はっきり言うが、貴様は信用ならん。実際に民が虐げられていなければ、篠田が戻った時点で貴様への協力を打ち切っていたぞ」 4
「随分と明け透けに言ってくれるじゃない」「正直と誠実は信用への近道だからな」「アハハ」ガロは、宏樹の顔を覗き込むように睨め上げた。「僕が嘘つきって言ってるみたいじゃないか」「そう言ったつもりだが」宏樹は腕組み、ガロを見下ろす。「あー、その」止めようとした九龍を明日香が制した。 5
「実はね、僕は人間が嫌いなんだ」ガロは言った。「特に大人が嫌いだ。嘘をつき、都合の悪いことはひた隠す。僕のメンテに不備があった時の責任の擦り付け合いなんか、いま思い返しても最高に笑えるね」「木を見て森を知ったような気になるか」「当然、偏見だよ?そうじゃない人もいるよ、そりゃ」 6
ガロは宏樹から離れ、笑った。「あと、子供は嫌いじゃない。個体差はあるけど概ね純粋だし、僕らをよく信じてくれる。そりゃ、応えたくもなるさ」「要するに人間を見下しているだけか」「かも、ね」再びゆっくりと歩き出す。「それでも、仕事は仕事だ。好嫌は置いといて、ツクバの為に尽力するさ」 7
「やはり貴様は信用ならんな」「でも、斗ってくれるんでしょ?ツクバの為…いや、君たちの会社の信用の為に」宏樹は答えず、ガロらの後に続いた。「だから僕個人としては、君たちは嫌いじゃないよ」「貴様に好かれようが嫌われようが、知ったことか」「アハハ、手厳しい」 8
「止まって!」先頭を歩いていた明日香が制止を掛けた。「人間…殺ス…」彼女の視線の先、物陰から殺人機械が現れる。1体、2体、3体。「人間…殺ス…」別の場所からも現れる。「人間…殺ス…」別の場所から。「人間…殺ス…」現れる。「人間…殺ス…」現れ続ける!「おいおい」九龍が戦いた。 9
殺人機械の群れは、今や見えるところ全てを埋め尽くしていた。赤く光るカメラアイが、波のようにさざめく。「どうする、篠田」宏樹が言った。明日香は面を被ると、首を鳴らした。「当然、突破する」「猪め」宏樹は応じるようにナイフを抜いた。「えっ嘘?マジで?」九龍は目を瞬かせた。 10
「この程度、何億いようが一片の格闘の足しにもならないよ」「マジぃ…?」震える九龍の肩を宏樹が叩いた。「貴殿も早くそうなることだ」「いや無理でしょ」「いいから行くよ、九龍」明日香の手の中に、氷の刀が生まれた。「「「ピガーッ!」」」瞬間、機械の波が押し寄せた!「ふッ!」「しッ!」 11
︎︎ ────────────────
ココイは周辺に油断なく視線を走らせると、残心を解いた。「もう大丈夫。出てきていいよ」その声に反応し、瓦礫の隙間から一人の少女が姿を現す。ココイは表情ディスプレイに笑顔を作り出すと、手を差し伸べた。少女は傷だらけのココイのボディを見、泣きそうな顔でその手を取った。 12
ココイを侵食するバグは、既に致命的なものとなっていた。手を取り歩む少女。自分はこんなに頑張っているのに彼女は何故、何もしないのか?そのような思考が生まれ、やがて憎しみと変わり始めている。ココイは衝動じみたそれを抑えんとし、その葛藤は戦に於いて致命的な遅延となっていた。 13
機体の活動限界が近い。もうじき、自分は機能を停止するだろう。その前に、この少女を避難所に送り届けねばならない。……もし、いま向かっている避難所が彼女を受け入れてくれなかったら?ココイは、ネガティブな想像を振り払った。これが最後のチャンス。進む以外に道は無いのだ。 14
「ピガーッ!」上方より奇襲!もはやココイに、それに即時対応するだけのエネルギーは残っていない。「ピガガーッ!」肩口に深々と鉄筋の槍が突き刺さった!「ココイ…!」少女が動揺する。守らねばならない…!「離れ…ろッ!」力づくで襲撃機械を引き剥がし、腕部マシンガンで銃撃破壊! 15
「ココイ…!大丈夫、ココイ!?」「アハハ…心配性だな、へっちゃらだって」握り潰してしまいたい衝動を抑えながら、ココイは涙目の少女の頭を撫でた。「避難所、もうすぐだよね?着いたらすぐに助けを呼んでくるから…!」「うん、ありがとう。近い場所こそ慎重に、行こうか」 16
再び歩き始めるココイたち。だが、その足は牛歩の如く遅い。自分を抑えることに精一杯で、満足に守ることすらできない自分がもどかしい。次に襲撃されれば成す術もないだろう。そんな自分に、何より腹が立った。ナナミよ、我が最後の相棒よ。君はこの気持ちと、どう折り合いを付けていたのだろう。 17
だがそれでも、何としても、この少女は守らねばならない。相棒から託された最後の仕事…否、ツクバ・ガーディアンとして生まれた自分の、最後の仕事。自分の相棒は皆、ガーディアンの役割を全うして死んだ。ならば自分も、全力でこれを遂行しなければならない…! 18
「見えた…」ココイは呟いた。目指す避難所、ツクバ総合運動センターだ。多少の損傷こそあるものの、内部には人間と思しき多数の胴体反応がある。避難所として機能している。「さ、着いたよ」ココイは少女の背を押した。「行きなよ」「うん…!」少女は頷いた。「すぐに人を呼んでくるから…!」 19
「うん、お願いね」ココイは表情ディスプレイに笑顔を作ると、走ってゆく少女の背を見送った。そして、安堵した。間に合った。彼女を殺さずに済んだ。もう一歩とて動ける気はしない。自分は、最後の仕事をやり遂げたのだ。((いや…まだか))少女が避難所に受け入れられるかを、確認しなければ。 20
幸いにも運動センターの扉は開かれ、少女はその中へと消えた。少女は受け入れられたのだ。「よかった…」ココイはがっくりと肩を落とした。今度こそ、自分の仕事は終わった。後は自分を完全に破壊し、人間の敵を減らすのみ。ぎこちない手でアックスを掴んだ。その時、センターの扉が開いた。 21
…運動センターのエントランスには、何人かの青年がいた。見張りであろうか。少女は彼らに届くよう、固く閉ざされた強化ガラスの扉を叩き叫んだ。「助けてください!助けてください!」青年の一人が気付き、ドアを開けた。「キミ、一人で逃げて来たのかい!?ご家族は…」 22
「お願いです!あの子を、ココイを助けてあげてください!」少女は外にいる機械を指差し、叫ぶ。青年は少女の様子から何事かを理解したか。「おい、誰かこの子を奥へ!後は全員出て来い!」指示を出すと、一人の女性を除き、見張りが全員飛び出してきた。彼らは全員、小銃を携帯していた。 23
女性が少女を促す。「行きましょう。飲み物も用意するわ」「待って!あの子は、ココイは違うの!」「大丈夫、ご家族なら絶対助ける」「やめて!」少女は女性を突き飛ばした。「あっ、ちょっと!」入口前では青年たちが列なし、銃口をココイへと向けていた!「待って!やめてええ!」「撃てーッ!」 24
号令と共に銃列が火を噴いた。次々と放たれる弾丸が、ココイのボディを抉ってゆく。「やめてええええ!撃たないで!撃たないでええええ!」少女の哀切は、銃の金切り声に消える。「何してるの、危ないわよ!」女性が少女を掴んだ。「やめて、放して!やめて!お願い、やめてええええええ!」 25
…ココイは、放たれる弾丸を避けなかった。今の自分に避けられるかは甚だ怪しいものだが、出来たとしても避ける気にはなれなかった。自分が自分のまま、死ぬ。人間の敵になる前に。そのことに安心していた。最期まで、ツクバ・ガーディアンとして胸を張れる。誇りを抱いて死ねる。 26
それは全て、あの少女のお陰だった。彼女のお陰で、自分たちはツクバ・ガーディアンでいられた。彼女を守っているつもりが、守られていたのは自分だったのだ。それはきっと、ナナミもだ。彼女がいればこそ。感謝の念が、ココイを満たした。惜しむらくは、それを彼女に伝えられないことか。 27
その時、銃火の向こうで少女が泣いているのが見えた。『やめて』『撃たないで』唇の動きで、そう言っているのがわかった。彼女は、自分の為に泣いているのだ。機械の為に。替えが効く存在の為に。ああ、だが、だが。それが少し、嬉しくもあった。人間が、自分のことを思ってくれている。 28
もしもツクバがこうでなかったら、別の出会い方もあっただろう。そうすれば、自分たちは彼女と友達になれただろうか?機械である自分が。機械と人間でも。もっと彼女と話したい。時間を共有したい。相棒と共に。((嫌だ))ココイは藻掻いた。((死にたくない))頭を銃弾から庇う。((死にたくない!)) 29
ココイのストレージで、様々な記憶が再生された。人間で言う走馬灯であった。数々の相棒と、その別れ。整備工場での目覚め。少女の心を開こうと、馬鹿な話を繰り返していた。《ルシファー》との出会い。自分たちに愛称を付けたのは彼女だった。相棒が死に、そして、そして…… 30
…「悩むことが可能性?欠陥ではなく?」ルミナスバグの言葉にオロチは頷いた。「ああ。それを試す為に、僕は絶対終末要塞ラリエーと九龍を作った」「大それたことを。『粛清』されるぞ」「それもまた、望むところ。そうでなければ、可能性の意味がないだろう」「…まあ、それもそうだが」… 31
((何だ、この記憶は!?))それはココイの知らぬ誰かの記憶であった。彼を蝕むバグの影響か、或いは全く別の要因か。ココイの中では、今や異なる誰かの記憶が次々と再生されていた。めくるめく陰謀、或いは斗争、絶望。それらはココイの想像を遥かに超越したものであり、彼の意識を釘付けにした。 32
…移植された機械の心臓が痛い。いや、それが血液を体に送り出す度、破れた体中の血管が痛むのだ。父の怒鳴り声があんなに怖いと思わなかった。母が自分に銃を向けるとは思わなかった。友達が自分に包丁を向けると思わなかった。体に機械を抱える、今のツクバでそれは、忌避の対象だ。 33
銃で穿たれた肩から、包丁でさされた腹から、棒で割られた額から、殺人ロボットに斧で断たれた肘先から血が流れ出る度、孤独を自覚する。心臓が黒くざわめく。嫌だ。痛いのも。苦しいのも。独りぼっちも嫌だ。その時、私の前に黒い人影が現れる。そうして私は、《ルシファー》へと変わっていく…… 34
…「お前、本当は人間が嫌いなんだろう?」《ベルゼブブ》は言った。「ならば俺がツクバを滅ぼすに異存はあるまいて」「けど、人間の隣人であることが僕の仕事だからね」ガロは肩を竦め、中央制御システムの前に立ちはだかる。「加えて、僕は機械だ。君と違って正直で誠実なんだよ」 35
「嘘つきのセリフだな」「何とでも言えよ」その時、制御室の扉が開き、多量の警備機械が雪崩れ込んでくる。「フン、雑兵共が」「おいおい、彼らはツクバの精鋭だぜ?」ガロは笑い、機械に語り掛ける。「済まないね、危険な目に合わせて。けどこれも仕事だ。頑張ろうぜ!」… 36
…《ルシファー》となった少女。《ベルゼブブ》とガロの斗い。ココイは尚も誰かの記憶の大河を遡行し、全てを知った。《ベルゼブブ》とは。ガロとは。オロチとは。ツクバとは。粛清とは。そして現在、ツクバと斗う二人の人間を知った。原 宏樹と監査官代理・篠田 明日香。 37
強き人間たちに伝えなければならない。託さなければならない。コキュートス・エクス・マキナを顕現させてはならないと。それはやがて絶対終末要塞ラリエーの浮上を導き、ニッポンを終焉させるのだと。自分の存在は、その為にあったのだ。最早ココイから死の恐怖は消え、使命感のみが残っていた。 38
「SMASH!」叩き付ける弾丸を払い除けると、機械は跳躍した。手近なビルディングを駆け上がり、跳び渡る。その後を追うように弾丸がコンクリを抉り、埃を舞い上げた。だが埃すらも、機械の動きを捉えることはできなかった。やがて機械は遠くに消え、後には困惑する青年たちと、少女。「ココイ…」 39
黒をパーティクルじみて散らしながら、ココイは疾走する。彼の速度は、生まれて以来最高速をマークしていた。平時であれば、それを自分自身称賛する素振りも見せただろう。だが、今は走り続けなければならない。自分が自分であるうちに。強き人間に、全てを伝え、託す為に。 40
ビルの陰から、ココイの前に流星じみた銀髪の少女が姿を現した。少女は緑の瞳に並々ならぬ力を湛え、ココイを見据えていた。「邪魔立てするか…!」ココイは即決で腕部機関銃を乱射した。少女は放たれる弾丸をジグザグに走って躱し肉薄。アックスを抜こうとするココイをの腕を抑え、殴り飛ばした。 41
「ピガガーッ!」ココイは地面を抉りながら数度バウンドし、転がった。少女はそれに追随しており、起き上がろうとしたココイを踏みつけて押し留めた。ココイは少女の脚を握り潰そうとするが、少女はそれを払い除け、ココイの胸に手を置く。「スゥーッ、ハァーッ」深く呼吸する少女。 42
少女の中に走る電気が胎動を始めた。呼吸と共にそれは励起され、遂には体の外でスパークを始める。「スゥーッ!ハァーッ!」「ピガガガガガガ」電気はココイを苛み、その神経回路を焼いた。少女とココイの間で電気が循環する。流れる電気が、ココイの底に溜まった黒いものを焼き、洗い流してゆく。 43
「はァァァァッ!」「ピガガガガガガーッ!」裂帛と共に、一際大きい雷撃がココイを襲った。光と衝撃がココイを満たし、それが消えた時、ココイは動かなくなった。「ふう」少女……《ルシファー》はココイから降りると、タオルで顔を拭った。彼女の額からは、汗が滝めいて流れていた。 44
ブン。ココイの表情ディスプレイが点灯した。再起動プロセスが終了したのだ。「う…え、あれ?僕は…」「流石、最新型は再起動も早いわね」ココイはタオルを捨てた《ルシファー》を見上げ、表情ディスプレイに怒り顔を映した。「…《ルシファー》」彼女は、ココイから顔を背けた。 45
「僕を助けたつもりか?」「…いいえ。あなたを蝕むバグは、完全には除去できていないわ」「僕やナナミが感染したバグが君に由来するものだからか?」ココイは敵愾心と共に言い切った。彼が感染したバグはナナミからのものであり、それが放つWi-Fi名は『LUCIFER』…目の前の彼女だ。 46
《ルシファー》は押し黙ったまま、何も言わなかった。「…けど、君の事情は理解した。信じていた人からも虐げられ、自分の意志とは無関係にマルファクターにさせられ…辛い思いをしたんだね。同情もするよ。けど君は、僕の相棒を殺したんだ」「……」「僕は、君を赦さない」「…ごめんなさい」 47
「それだけじゃない。君はツクバから…来るべきコキュートス・エクス・マキナから逃れる為に、僕をも捨て石にしただろう」「…ごめんなさい」《ルシファー》は呟いた。「けど、嫌なの…嫌なのよ。もう苦しいのは、痛いのは嫌なの。アイツから逃げたいの」「…」《ルシファー》の目には涙があった。 48
今のココイには、その涙の意味が理解できた。恐怖と後悔、そして悲しみ。それと同時に、彼女なりに自分たちに友情を感じていたことを知った。それがどれだけ短い時間であろうと、彼女にとっては愛すべき時間だったことを知った。「…泣きたいのはこっちだっての」ココイは吐き捨てるように言った。 49
再び機体の底で黒が蠢き始める。ココイはそこから目を背け、《ルシファー》を見据えた。「ふたつ、約束してくれ」「…」《ルシファー》の目は、縋るようであった。「ひとつ。あの強き人間たちに全てを託すまで、僕を手助けしろ。それがひとつ」「…」「そしてふたつ」ココイは一度、言葉を切った。 50
「もし、もしも」否、切ったのではなく、詰まったのだ。その先を言うのは何故だか憚られた。妬ましいのだ。だがそれでも、《ルシファー》はあの子を僅かでも支えてくれた。ならば、《ルシファー》にも救いが必要だ。ココイは目を上げた。「君が自由になっても、人間の友であり続けると。そう誓え」 51
「え…」「誓え!」ココイの叫びに《ルシファー》は身をびくりと震わせた。彼女の頬は涙の跡引き、そのままにココイを見つめる。ココイは見返し、無言のままに彼女の心の裡を問う。「う…ひっく」やがて《ルシファー》は再び涙を流し、嗚咽しながら何度も頷いた。「ごめんなさい、ごめんなさい…」 52
「今さら謝られても困るって」ココイは表情ディスプレイに笑顔を作ると、大儀そうに立ち上がり、泣きじゃくる《ルシファー》を背負った。「じゃ、行こうか。僕の体と心……任せたよ」ココイは言い聞かせるように言うと、地面が抉れる程に力を籠め、走り出した。 53
───────────────
ガロが険しい表情で何処かを見ていたのを、戦の中にあっても宏樹は見落とさなかった。物理肉体による戦斗に於いてホログラフである彼が全くの役立たずであるのはその通りだが、だとしても何かがおかしい。「何だ!?何かあったか!」「ああ、いや!」宏樹の声に一瞬だけ、ガロはギクリと硬直した。 54
それを見逃す宏樹ではない。ガロが見ていた方に素早く目を向ける。ビルディング上、戦線を離れんとする機械の一団あり。「あれは…」「ちッ」ガロは舌を打ち、叫んだ。「わからない!けど目的意識がありそうだ!」「そういうのはすぐ報告しろ!」「しようとした矢先に君が怒鳴ったんだろうが!」 55
「原ァ!サボんな!」明日香が氷壁で殺人機械を粉砕しながら叫んだ。「しッ!」宏樹は跳躍。殺人機械を薙ぎ倒しながら、明日香の傍らに着地。「向こうの方、妙な動きをしている機械共がいる」「マジ?」「確認してくる」「了解!私らは突破して先に目的地に向かってるから!」「OK!」 56
宏樹は再度跳躍した。機械の群れをストンプ破壊跳躍殺を繰り返し、異常行動機械群を追跡する。その距離は100mほどであったが、彼ほどの戦士にとってはあまりにも容易い距離だ。「しッ!」宏樹はビルディングを駆け上がると、更なる跳躍で宏樹は高みに至った。ぐるりを見渡し、周辺を確認する。 57
ガロや自分が見たもの以外にも、戦線を離れようとする機械群が多数存在した。それらは同じ方向に向かっているようであり、かつ、数ブロック離れた個所にも、同様の方向に向かう機械たちがあった。「成程」宏樹は頷くと、離脱機械の群れの只中に着地。一刀の下に鏖殺し、そのまま走り始めた。 58
機械たちは、どこかに集結しようとしているように見えた。彼らの目指す方向には著名な構造物…ツクバ・スタジアムがある。チラと見えた機械たちの進軍方向からして、まず間違いないだろう。そこに一体、何がある?宏樹はビルディング上を風めいて駆け、跳び…スタジアム天蓋を蹴り破った。 59
暗いスタジアムには機械の残骸が散乱していた。客席、ベンチ、フィールド。至る所に、無残な鉄屑が転がっている。巨大な獣、かつて人が恐れた神の使いによるものとさえ思える程に荒々しい傷だった。宏樹は意識を闇に敷衍しながら、ダイヤモンド上に着地した。破れた屋根から、梯子めいて光が差す。 60
「ようこそ…あら」その声が掛けられる前に、宏樹は振り向いていた。「つれないわね。折角、雰囲気を出そうとしたのに」流星のような銀髪の少女が肩を竦めた。宏樹は、僅かに反応を始めたWi-Fi検知器を確認した。『LUCIFER』。その名には、覚えがあった。 61
「貴殿がナナミ殿やココイ殿が話していた《ルシファー》殿か」「…彼らと知り合いなのね」《ルシファー》は俯いた。「彼らは死んだわ。いえ、ココイの方は…機体自体はまだ、生きてるけど」「どういうことだ」「彼はあなたを待っていたわ。ツクバの全てを伝える為に」 62
宏樹は目を細めた。彼女は、とても慎重に言葉を選んでいる。何としてでも、こちらの信用を得なければならないと言った風情であった。そういったものは一切の信用に値しないが、散乱する残骸。そして恐らく、ここに向かい来る機械たち。確かめない訳にはいかない。「いいだろう」宏樹は頷いた。 63
「ココイ殿と会おう。彼はどこにいる」「いるわ」「何?」「さっきからずっと」《ルシファー》は闇の中を示した。その先に、二つの赤い光が浮かぶ。それは、カメラアイが放つ光であった。「…」宏樹は口惜し気に眉を顰めると、目を凝らし、闇の中を見通す。 64
そこにあったのは、警備機械とはかけ離れた異形であった。大きく右に傾いた機体からは結晶化した黒が生え踊り、剣山じみた棘を形成していた。左腕は黒く、肥大し捻じれ、黒い棘に侵食されたアックスを握る拳が小さく見える。動かなくなった左脚に代わり、節足じみた棘が三本、左半身を支えていた。 65
「これがココイ殿か」押さえ込んでいたものが別の場所から吹き出してしまったような姿に、宏樹は大きく息を吐いた。「何故、こうなるまで放っておいた」「彼を破壊したら、彼の持つものを私が守らなければならなくなる。私を支配しているヤツは、そこを逃しはしないわ」「奴?」「《セト・アン》」 66
《ルシファー》は言った。「ツクバの支配者よ」「何だと!?」宏樹は瞠目した。「おい、待て!どういうこと…」宏樹が再び《ルシファー》に目を向けようとした時、既に彼女は消えていた。「……くそッ!」宏樹は舌を打ち、考え込む。どうやら因果の根は、想像よりも遥かに深く、重いらしい。 67
ガロは《ベルゼブブ》がツクバにバグが蔓延した元凶だと語った。だが、ここに来て新たな名前が浮かび上がった。どちらが正しい?自分は何を信じるべきか?…宏樹は頭を振り、それらの思考を追い払った。今はまだ、考える時ではない。ココイを破壊し、ストレージを調査する。まずすべきは、それだ。 68
ナイフからコードを引き出すと、数度腕に巻き、肘の内側に刺した。血流が加速し、自分に力を与える。逆手に持ったナイフの柄頭から血の刃が伸び、刀となる。宏樹はそれを霞に構えると、異形の機械と相対した。「ココイ殿。悪く思うなよ」宏樹は低く身を沈めると、矢のように走り出した。 69
(つづく)
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