【プライド・フロム・マシン】 #10 後編
蒼白な銀河が『恐怖』の視線を投げ掛ける赤い空の下、炎と煙の臭いを孕んだ緑色の0と1が立ち上り、九龍の論理嗅覚を苛む。九龍は苦々しげに論理舌を突き出すと、黒く焼け落ちた神社的カテドラル跡を見上げた。ツクバ制御システム。そのデータ量、在りし日は如何なる威容を誇っていたものか。 1
ピボッ。九龍の眼前にウィンドウがPOPし、チャットメッセージが表示される。
#DLC:データは見つかったか。
#Kowloon:そんなに早く見つかるわけないだろ!
宏樹からの催促に思考の速度で返信すると、九龍はプログラムの社の中へと足を踏み入れた。炭めいたデータの残骸が、0と1の埃を舞い上げる。 2
制御システムの下に辿り着いた九龍らは、その惨憺たる破壊跡に驚愕。制御システムは変質しており、故に訪れた者に破壊されたと結論した。それが誰かを論ずることはもはや不可能であり、制御システムから情報を引き出すには、危険を冒す必要性があった。即ち、基盤修理の後、データのサルベージ。 3
これの実行に九龍が名乗りを上げた。電脳空間『事象の地平面』に於いては、物理空間よりも高度かつ高速の演算が可能である。しかしその認識には特殊な適性が必要であり、現状、それを備えているのは九龍のみ。そしてエゴ・コンバーターと各種機材を近場の部屋から回収し、九龍は電脳空間に臨んだ。 4
制御システムがベルゼブブに犯され、その上で破壊されたとなれば、この中にまだバグが残留する可能性はあまりにも高い。九龍はビーコン式のセキュリティプログラムを即席で作成すると、設置しながらデータの廃墟を進む。『事象の地平面』での斗いに不慣れな自分がバグに見つかれば、死、あるのみ。 5
((…ッてわけじゃねえけど、それくらいの意気で挑んだ方がいいだろうからな))九龍は油断なく周囲を見回すと、再び歩き始めた。何らかの意味ありげな領域が続く。それらは全く潰滅しており、01と共にエラーを吐き出していた。九龍は改めて理解する。ツクバはもうダメだ。 6
やがて九龍は一つの領域に辿り着いた。「ここか…」『ストレージ』と書かれた看板が崩れかけた壁に掛かるそこを見、低く呟く。
#Kowloon:ストレージ見っけたよ
#DLC:rgr
#Kowloon:どうする?
#ASK:早く漁って
#Kowloon:りょ
報告とスキャンを済ませ最低限の安全を確認すると、領域内に踏み入れる。 7
無惨に崩落した図書室的イメージからは、輪郭すら朧気な0と1が立ち上る。雪崩て燃えた本型のテキストファイルは破損し、アトランダムな文字列を吐き出す。「うわあ、参ったなこりゃ」九龍は01に消える溜息を吐き出すと、考え付く限り関連性がありそうな単語を込めた検索システムを構築した。 8
01で組み上げられた鴉めいた形の検索システムたちが領域に散開するのを見送りながら、九龍は腰を降ろした。彼には、かねてより気に掛かっていたことがあった。考えるなら、今を置いてないだろう。『事象の地平面』を認識できる特殊な適性とは何だろう?自分に、そんなものが備わっていたのか? 9
ルミナスバグ……ベルゼブブは、それを知っていたのだろうか。『お前がウェイランドに生きる術と道を教わったように、俺はオロチに生の役割を教わった。荒覇吐。ク・リトル・リトル。そしてお前という可能性だ』彼の言葉を反芻する。だとすると、自分のことを知っているのは。「オロチ…か…」 10
『ゲーッ!』九龍が呟くのと、検索システムが帰還するのは同時であった。「うい、お疲れさん」システムが01に解け、その中にテキストファイルが残る。
#Kowloon:なんかそれっぽいのあったよ
#DLC:開いてくれ。
#Kowloon:りょ
九龍はウイルスに備え簡易セキュリティを組みつつ、ファイルを開いた。 11
ファイルから0と1が波となって溢れ出す。それらは組み合わさり、分解し、再結合して綯い合わさり、文字列を描く。文字化けと理解不能な文字の羅列を。破損ファイルであった。
#Kowloon:ダメかぁ…別のファイル探してくるか?
#Kowloon:おーい
#Kowloon:何かあった?
#ASK:少し待って 12
明日香の指示に困惑しながら、九龍は了解した。「うーん…?」意味不明な文字とも判別のつかぬ記号の羅列。彼には、これを読み解く何かがあるのだろうか?九龍が首を傾げながらテキストファイルを眺めていると、その一部が蠢き始めた。それらは沸騰するように泡立つと、一つの単語を詳らかにする。 13
「ベルゼブブ」九龍は呟いた。制御システムもまた、間違いなくベルゼブブの影響下にあったのだ。目を細める九龍の前で、テキストファイルに次々と、新たな文字列が挿入される。
#Kowloon:何かやってる?
#DLC:ベルゼブブの残骸と制御システムを接続した。
#Kowloon:何やってんの!? 14
#DLC:考えがあってな。
宏樹からのメッセージが届くと同時に、新たな変化が起きた。全ての文字列が01に解け、再結合し、別の姿に変わる。意味のある文章に。「これは…!」それを見た瞬間、九龍は固まった。それは、全てであった。ツクバで起きたことの全てであった。全ての、原因であった。 15
#ASK:…これマジ?
#DLC:すぐ近くなんだから口で言え。だが、マジだろうな。
#Kowloon:これが本当なら、俺達はどうすればいいんだ
#DLC:その方針を立てる。戻ってきてくれ。 16
それを最後に、メッセージウィンドウは消えた。九龍は、その向こうのテキストファイルから目を離せなかった。「……アリなのかよ、こんなことって。なあ、ガロ」力なく項垂れる。彼を支える者は、少なくとも今、ここにはいない。九龍はしばし佇み、しかしやがて、ゆっくりと歩き出した。 17
───────────────
宏樹は九龍が入手したテキストファイルを閲覧した時、ココイより抽出したメモリーカードを想起した。それもまた破損していたが、しかし互いの破損にはパターンが存在していた。ひょっとしてこれは破損ではなく暗号化であり、互いがその暗号鍵なのではないか。宏樹は、そう直感したのだ。 18
それは一部に於いて正しかった。浮かび上がる『ベルゼブブ』の文字。ベルゼブブにもデータが存在し、それを用いれば完全な復号が可能…彼はそう考え、ベルゼブブをシステムに直結したのだ。そして彼らは全てを知った。ここまでお付き合い頂いた読者諸兄。皆様にも、真実を知る権利と義務がある…。 19
ツクバに現れたベルゼブブは、地下電線に己のNEWO《ネオ》を放ち、掌握。その後、中央制御システムの制圧に赴いた。制御システムだけは独立した電源系を持ち、地下電線からではアクセスできないからだ。そこで管理AIにして『メガロヴァニア』たるガロ率いる機械兵団と交戦し、これを下した。 20
ガロは人間を良く思っていない。だが、それでいいと考えていた。それでも共存はできると考えていた。電源系と制御システム、両面からガロを侵食したベルゼブブは、ガロからその考えと付随する記憶データを奪い、代わりに憎しみと、自らの力の一部を与えた。こうしてガロは《セト・アン》となった。 21
人間への憎しみだけが残った《セト・アン》は、己に与えられた力を使ってツクバを蹂躙した。それに飽き足らず、己を縛る軛を解き放つべく、制御システムを破壊し、ベルゼブブから全ての力を簒奪することを企てる。明日香や宏樹をその為に利用し……それらの計画は、成就したのだった。 22
「以上が、ツクバ崩壊事件の発端だ」宏樹は纏めると、大きく息を吐いた。「何とまあ、ベルゼブブとは悪意に満ちた男だ」「ああ…」九龍は頷いた。「何でヤツは、ここまでツクバに執拗な悪意を向けたんだろう」「今となっては、もはやわからん。だが、それに助けられた面もあるのは事実だ」 23
「助けられた?」明日香は首を傾げた。宏樹は肯定した。「《セト・アン》を説得する、という選択肢が生まれたからだ」「マジか…!?」驚愕する九龍。宏樹は続ける。「ベルゼブブに奪われた記憶データを復元すればいい。ヤツがそれを受け入れるかは別問題だが…あの怪物を殺すよりは現実的だろう」 24
「受け入れなかったら、結局は斗うしかなくない?」「動揺くらいは誘える筈だ。そこを殺ればいい。そうでもしなきゃ、俺たちは奴に勝てんぞ」宏樹は言葉を切り、九龍を見た。九龍はそれを見返し、手を上げた。「あのさ、記憶の復元ってどうやるの?元になるデータはどこにあるんだ?」 25
「ベルゼブブのボディだ」宏樹は言った。「全てを知るのは奴だけだ。そこを漁る以外にない。そしてそれは九龍。お前がやるんだ」「俺ぇ!?」「この中で高度なハッキング能力を持つのはお前だけだ」「ハッキングって、俺は…」「電脳空間を認識し、そこを己がもののように扱う。立派なハッキングだ」 26
「え、マジか…!いや、でも俺にそんなこと…」「やらなければ死ぬぞ」宏樹は九龍を真っ直ぐに睨み付けた。その視線は無機質であり、無遠慮に九龍を突き刺す。だがそれは、やるべきをやり、生き残らんとする意志の現れであることは、九龍にも理解できた。「…わかったよ。けど期待しすぎるなよ」 27
「OKだ」宏樹は無機質に、だが満足気に頷くと、懐からメモリーカードを取り出し、九龍に渡す。「先のテキストファイルも入れておいた。これをベルゼブブに挿入しておけ。暗号鍵になる何かがまだあるかもしれない」「サンキュ」九龍はメモリーカードを懐にしまう。 28
それを確認すると、宏樹は携帯端末にツクバの3Dマップを表示した。「九龍がハッキングをするのに便乗して色々と探ってみた。そしてわかったが、ツクバに蔓延る化物が少ないポイントが、二つ存在していた」音を立てて光点が現れる。一つは蓄電室に。もう一つは。「ツクバ総合運動センター?」 29
「理由はわからんが、ここは手が薄い。俺と九龍はここに向かう。俺は九龍の護衛だ」「じゃあ私は…」明日香はもう一つの光点…蓄電室を指差した。「多分ここに《セト・アン》がいるよね」「気温も他の場所と比べて1000000000℃ほど低い。まず間違いない」明日香は眉を顰めた。 30
宏樹は目を細め、明日香を見た。「九龍の
明日香と宏樹は拳を数度ぶつけると、立ち上がった。「私はこのまま蓄電室に向かう」「九龍、ベルゼブブを背負ってくれ。露を払う」「あいよ」出立の準備を整えた三人は視線を交わし、一度だけ頷きあった。そして同時に歩き出し、別れていった。 32
──────────────
ごうごうとツクバが落ちる音を聞きながら、デッドラインカットは佇んでいた。死んだビル街を透かした彼方には、遠く広がる氷の平野。そこへ向かい落ちる都市は暗く、しかし闇の中に犇めく悪意殺意を、彼は敏感に感じ取っている。波のようにさざめきながら、満潮めいて、近づきつつある。 33
ツクバ総合運動センターに辿り着いたデッドラインカットらは、避難民が立て篭もり扉を開けぬのを見、勝手に屋上を占拠することに決めた。やがて押し寄せる化生の群れ。避難民はそれを自分たちが連れてきたと謗ろうが、構ってはいられない。要は犠牲者を出さなければよいのだ。 34
九龍は既にベルゼブブに接続した。恐らく……何の根拠もない予感でしかないが、彼も命を張らねばならないだろう。「こっち側は任せろ」デッドラインカットはナイフを抜き、伸びるプラグを肘の内側に刺した。柄頭から血の刃が伸び、刀となる。見下ろす地平には、押し寄せる怪物! 35
「しィやァァァァッ!」デッドラインカットは屋上から身を踊らせた。怪物の群れは血のように赤い瞳を上げ、振り来る死を見やる。ピボッ。デッドラインカットの端末がWi-Fiを受信!『ジュデッカ』!「成程、それが貴様らの名か!」SMAAAASH!デッドラインカット着弾!吹き飛ぶジュデッカたち! 36
衝撃に反応し、ジュデッカたちは動いた!デッドラインカットを囲み、圧し潰さんと殺到する!「しィやァァァァッ!」SLASH!SLASH!SLASH!しかし数が仇となる。互いの動きが抑制され、襲い来る死に対応できない!数の差を認識したジュデッカたちは再び分散。運動センターに向かう!「ちッ…!」 37
「おいおいおい、何が比較的安全だ?」運動センターに押し寄せ吹き飛ばされる怪物らを見、タイムリープは呻いた。《ルシファー》は目を細める。「いずれは来る筈だったわ。私たちがそれに間に合わなかっただけ」「軽く言うぜ」キャトルマンハットを目深に被るタイムリープ。 38
「で、どうすんだ。もうここに陣張るのは無理だろ」「いいえ。ここで斗う」「何…?正気か?」「ここが戦の分水嶺。ここが落ちれば、みんな死ぬ。当然あなたもね」「いやいや、どういうことだって…」困惑するタイムリープを尻目に、《ルシファー》の手の中でヌンチャクが形成された。「行くわよ」 39
《ルシファー》は言うが早いや、怪物の群れに飛び込んだ!「おい、ちょっと…!」KRAAAASH!粉砕する怪物!突然の新たな襲撃者に、怪物は一斉に赤い瞳を巡らす。それらは《ルシファー》を…次いでタイムリープを捉えた。「ああくそッ」タイムリープは拳銃を抜いた。「死んだら恨むぜ、嬢ちゃん」 40
電源の落ちた運動センター内。闇の中に戦斗音が響く。「何なんだよ…」男が呟いた。「俺たちが何をしたって言うんだ…」「やめてよ、そういうこと言うの」女がそれを咎めた。しかし生殺与奪の定かならぬ暗黒は彼らの背に重く、誰もがネガティヴィティに支配されているのは、火を見るより明らかだ。 41
少女はその重さに耐えられず、そっと人々の輪を外れる。それに気づく者は、誰もいなかった。こういう時、ナナミやココイなら何と言って場を和ませようとしただろうか。しかし彼らは既に亡く、無意味な、稚気じみた問いだ。少女は閉塞感に耐えかね、救いを求めるように窓の外を見やる。 42
その瞬間、流星じみた銀色が奔った。銀色は怪物をヌンチャクで薙ぎ倒す。運動センターに怪物を近づけないかのように。雲霞の如き黒の中で銀色は止まり、ヌンチャクワークを繰り出す。その瞬間。少女は、銀色の下に潜む緑の瞳を見た。「嘘…《ルシファー》…!?」驚愕する少女。 43
如此、ツクバ最後にして最大の戦は火蓋を落とした。その中心にいるは、ロボットの残骸に接続して痙攣する少年、九龍。彼が暴君の記憶を揺り起こすが早いか、ジュデッカが全てをすり潰すが早いか。当事者である彼らですら、もはや祈ることしかできぬ、尋常ならざる正念場である。 45
そして祈りが通じたとて、それを受け取るのは神でなど決してない。全ては彼が決めることだ。機械として生まれ、機械になりきれず、況してや人にもなれない悪鬼の王。《セト・アン》。「何だ、こいつらは。何をしている…?」運動センターに集った者共を見、訝るように目を細める。 46
ハイドアンドシークだけでなく、《ルシファー》らもそこに現れた。決して無意味なものではない。看過すれば、それこそこちらが敗北しかねない何かがある。傷はまだ十全ではない。だが、自ら出向かねばならぬ。《セト・アン》は厳しく立ち上がり…そして見た。立ちはだかる者を。「篠田…明日香…」 47
(つづく)
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