【コール・ミー・カオルーン】 #1

ニッポン地表の空は暗黒そのものであり、通常、そこにあるものを視認することは叶わない。畢竟、何らかの軍事行動が行われる際、空は最も隠密に適した道だ。故に厳しい管制が常に敷かれている。その全てを握り潰し嘲笑うように、異界の殿堂・絶対終末要塞ラリエーは、鮮やかに浮かび上がっていた。 1



それを見上げながら、原 宏樹と川上 康生は接収バイクに火を入れた。「原殿。本当にいいのですか?」「エ・テメン・ヤポンの女王・キは町田にいる。そして魔界の警邏隊はニッポン警察ほど優秀ではありません。郊外を通れば、パスポートなど無用でしょう」「いえ。そうではなく」康生は言い淀んだ。 2



「絶対終末要塞ラリエー。アレへの対処です」「俺の仕事は、ラリエー浮上まで篠田を補佐すること。班長がそう言った以上、ラリエーが浮上した後は特に問題ない筈」「ディーサイドクロウ…未来を知っている、でしたか」「ええ。ですが班長は、知る未来へと状況を動かそうとしている節があります」 3



「つまり未来が変わる可能性もある」「恐らくは。ですが石動 朝子のことも含め、俺たちにできることは最早ないでしょう。そして今回の場合『班長の知る未来が変わる』それの意味するものは…」宏樹は天上の狂気を見据え、口惜しげに目を細めた。「そこにいるんだろう、篠田。後はお前次第だぞ…!」 4






探偵粛清アスカ

【コール・ミー・カオルーン】 #1






九龍は咆哮と同時に手首を切り裂いた。真っ赤な血が川のように流れ出うねくり、氾濫を始める。グレンマキナーは躊躇することなく踏み込み、血河を凍てつかせながら走る!「来ると思ったぜッ」真正面から迎え撃つように、九龍は衝撃を放った! 5



((威力が弱い))グレンマキナーは見抜く。ブラフだ。ならば、それに対してやることも一つ!「ふッ!」腕の一振りで襲い来る衝撃を弾くと、そのまま跳躍!鋭いバックスピンキックを見舞った!「ごゥッ…」首が折れる一撃!九龍は転がりながら吹き飛ぶ! 6



「如何に『智』を弄そうと、圧倒的な『暴』には敵わない」グレンマキナーは、強く拳を握った。冷気の欠片が零れ落ち、汚穢な大気を淡い白に塗った。「全て真正面から喰い破るのみッ!」そして再び走り出した!九龍は苦笑いを見せると、折れた首に血の杭を刺して固定。迎撃態勢を取る! 7



だが衝突の瞬間!「おグッ…!?」グレンマキナーは横合いより突撃した血の猛牛に撥ねられ、宙を舞った!「何の為にダバダバ血ィ出したと思ってんのさ」九龍は唇を舌で湿すと、さらに多量の血を河へと落としながら、闇の中へと向かう。「ちッ…」グレンマキナーは体勢を立て直し、その後を追う! 8



「バモォーッ!」さらにその後を追い、血の猛牛が再突撃!否、それだけではない。足元を満たす赤い河から、地より這い出る亡者めいて、血の獣が次々と現れ来たる!雲霞の如く犇めくそれらは全くグレンマキナーを取り囲み、百と八つに引き裂かんと牙剥き飛び掛かった! 9



グレンマキナーは、それらに一切の関心を向けず走り続けた。最中、彼女の纏う冷気は拡充し、瞬く間もなく血の獣を凍てつかせてゆく!拡充する冷気。液体たる血液は、凍てに抗うことはできない!能力の強弱ではない、相性の差であり、その前にはランチェスターの法則など意味を成さないのだ! 10



……そしてそれの故に、グレンマキナーは強い警戒を抱いていた。九龍は、それすらわからぬ間抜けでは断じてない。にも関わらずこの手を打つは、即ち何かの罠があると見るべきだ。だが情報は少なく、時間もない。ならば走り続けねばならぬ。追い付いて、始末せねばならぬ。この粛清の相棒を! 11



赤き氷の彫像を打ち砕き、グレンマキナーは闇へと身を躍らせた!未だ流れる赤き河を踏み、その源流へ、源流へ!先に広がる闇より血の鴉が飛び来たる。グレンマキナーは手袋より二挺の拳銃を抜き放つと、無慈悲にそれを撃ち落とす。速度で砕けるそれを掻き分けながら、尚も走る! 12



そして疾走の果てに、九龍の姿を捉えた!九龍は手首から血を流しながら走り、闇に苔むした地獄堂に赤を引いていた!グレンマキナーは、彼の足に銃を向け、撃った!「うおッ…!?」突如として足を貫き覆った氷に、九龍はつんのめり、転んだ!「ふッ!」グレンマキナーは槍を手袋から抜き、跳んだ! 13



仰向けにこちらを見た九龍と、視線が交錯する。彼の目は、その奥に見える光は、かつて見たものと殆ど変わっていない。ならば何故。((何故、私の…監査官の前に立ってしまったの?))グレンマキナーの中に芽生える疑問。戦場に於いては躊躇と捉えられるそれを、グレンマキナーは手放さなかった。 14



於炉血の動機より、この粛清は純然たる悪との斗いだ。そして於炉血の側に立った理由を言わぬのならば、ニッポン潰滅を幇助した大罪人として滅さねばならぬ。一週間を共に駆けた相棒をそうせねばならぬことが悔しい。だが、それでも。グレンマキナーは悔しさごと握り潰すように槍を握り…投げた! 15



放たれた紅蓮の槍は、過たずに九龍の心臓を貫いた。九龍は口から血を吐くと、撫でるように槍に触れた。貫いた傷口から九龍の体は緑色の0と1に解け、たちまち蒸発するように消えた。「何…」訝り着地するグレンマキナー。0と1は渦を巻いて一所に凝集し、九龍の姿を描き出す。二頭身の九龍を。 16



二頭身の九龍はグレンマキナーの膝丈程度の身長しかない、謂わばちび九龍とでも呼ぶべきものであった。逆巻く01から次々と生まれるちび九龍。その光景を見、グレンマキナーはたじろぐ。ちび九龍たちは何の躊躇もなくグレンマキナーに走り寄ると、しがみついて動きを止めた。「え」そして爆発した! 17



氷の鎧に守られダメージはない。しかしその衝撃はグレンマキナーをよろめかせるに十分であり、ちび九龍は尚も続々と生まれ、爆風に身を捧げては自爆を繰り返す!何度も!何度も!何度も!少し離れたところでは、通常頭身の九龍がちび九龍の連続特殺攻に冷ややかな視線を向けている! 18



爆風を払い、グレンマキナーが飛び出した。壁を蹴ってトライアングルリープを決め、最中、九龍の存在に気付き、残心する。ちび九龍の群れは動きを止めると、一斉に彼女を見、0と1に還元されていった。九龍が無言のままに手を揮った。彼の目の前に刺さった槍が、グレンマキナーの下へと飛び戻った。 19



「九龍殿。その力、貴殿の魔法とは違いますね」グレンマキナーは槍を引き抜き、手袋にしまった。「ガロ…いや、《セト・アン》が言ってたよ。電脳空間『事象の地平面』では全ては思うがままになるってな」九龍は、言葉と共に天へと指を滑らせた。グレンマキナーはそれを追い、目を見開いた。 20



遥か闇の先にあるのは、ラリエーの天井ではなく『恐怖』の視線を投げ降ろす蒼白な銀河であった。ニューロンめいて絡み合い伸びる黄金の星羅と共に燦然と輝くそれは、電脳空間『事象の地平面』そして次元の狭間『ロシュ限界の迷宮』で見られるものだ。ラリエーは、その下に存在していた。 21



「そんな馬鹿な…!」「あの銀河は、どんな『事象の地平面』からも見ることができる。スタンドアローン端末からも変わりない。何故、超次元亜空間と同じものが電脳空間から見られるのか?電脳とは、インターネットとは何だ?果たしてそれはいつからあるものなのか…?」九龍の手首から血が流れた。 22



「ならばここは、ハッカーの独壇場だッ!」広がった血が、二人をドーム状に覆い隠した!その天蓋を透けてさえ蒼白な銀河は視線を投げ、ドーム天頂より流れ落つる赤い滝は、さながら血涙の様相!「はァッ!」その瞬間、九龍が血の矢となって疾走した!グレンマキナーの裏から! 23



グレンマキナーは側転でそれを躱すが、その時、既に前方からも赤の一閃が迫っている!否、側方からもだ!「ふッ!」側転をツカハラ跳躍と変え躱すグレンマキナー。その時、彼女は気付く。九龍の変わりし飛翔する血の矢は、既に100を超える数がドーム中に満ち、01を散らしながら乱反射している! 24



「ふゥアァァァッ!」跳躍の中から繰り出した回転蹴りが、飛来する血の矢を次々と叩き落とす!如何に高速と言えど、一流の戦士ならば光速以下を見切ることは可能!しかし血の矢は速度を伴い、それによって得た熱を孕む。故に凍結は極めて困難であり、グレンマキナーに決死の領域を強い続ける! 25



グレンマキナーは回転着地からブレイクダンス的回転蹴りへとシームレス移行。迫る赤を払いつつ立ち上がると、即座に疾走を始めた!0と1を撒き散らし跳ね回る血の矢。ドーム内で跳弾を繰り返し、しかし最終的に己の急所を狙うそれを弾き、ドーム外縁へと向かい走った! 26



…だが目算距離にしておよそ20m、グレンマキナーの脚力ならば一跳びで踏破できる筈のそこに、3秒走っても辿り着かぬ!奇妙!僅かに警鐘を鳴らし始めた第六感に従って立ち止まる。するとその瞬間、互いに弾き周遊していた血の矢が全て、グレンマキナーへと殺到した!「ちッ…!」 27



殺到する赤を、手袋から抜いた槍を回すようにして叩き落とす!だが、その数はあまりにも多い!((予測はしてたけど、実際やるとなると…意外とキツい…!))全神経を研ぎ澄ませる。集中が途切れれば、赤は瞬く間に全身を貫くだろう!「ふゥアァァァァッ!」裂帛と共に赤が弾け、弾け、弾ける! 28



凄まじきまでの集中。今のグレンマキナーには時すらも見えるだろう。だが故に彼女は、それが自分の脚にしがみ付く瞬間まで気付かなかった。突如、脚に絡む感覚に目を見開き、視線を落とす。そこにいたのはちび九龍であった。ちび九龍は金色の瞳で、グレンマキナーを睨め上げていた。「しまっ…」 29



ちび九龍は爆発した。「うあああッ…!」右脚を爆散させ、血を撒き散らしながら吹き飛ぶグレンマキナー。そこを、赤い一閃は容赦なく襲う。彼女の鍛え抜かれた身体を貫き、貫き、全身を瞬く間に穴だらけにした。グレンマキナーは痙攣しながら倒れ伏し、動かなくなった。血のドームが割れた。 30



ガラスめいて零れ落ちるそれを掻き分けながら、九龍がグレンマキナーに歩み寄った。「篠田」九龍の口から、消え入るような声がかつての相棒に落ちた。「ごめん…本当にごめん。お前はいつも俺を助けてくれたのに、俺はこんな形でしかお前を助けられねえ」静かに傅き、彼女の身体を抱え上げた。 31



そして振り返り、闇を見上げた。闇の中、深遠なる玉座にいたのは、数百メートルに達そうかという巨大な人型であった。ぬらぬらした鱗、或いはゴム状の何かに包まれたそれは、吐き気を催すような触腕を無数に下げた頭足類が如き頭部を持ち、奈落じみた6つの瞳を、グレンマキナーへと向けていた。 32



「ク・リトル・リトル」九龍は、ラリエーにて夢見るままに待ちいたる、深淵のあるじの名を口にした。それこそが、彼の目の前にいるものだ。「ク・ク・ク…」暗黒の玉座の傍らから、どす黒い気が発散された。ク・リトル・リトルの陰から現れたのは、九龍と同じ姿。しかしその気は、邪悪そのもの。 33



「於炉血」「供物の用意はできたようだな」於炉血と呼ばれた鏡の写しは言った。「さあ、それをク・リトル・リトルに捧げるがいい。そして目覚める偽りの神と一つになるのだ。そこまでやって、ようやく君は僕と同じ土俵に立てるんだぞ」「はッ。よく言うぜ」九龍は切って捨てた。 34



「ク・リトル・リトルの器たる俺と、荒覇吐の器たるお前。真の姿を完全に顕現させて斗いなんぞしたら、その情報量が世界にトドメを刺す」「…」「それが、狙いなんだろ?」於炉血は、九龍の挑戦とも言うべき言葉を真正面から受け止めた。彼の顔に笑みはなく、どこまでも深い闇のようであった。 35



「……そこまでわかってるなら、何故それに手を貸す?」暫しの後、於炉血は低く言った。「世界を崩壊させると知りながら、そんな行為をする理由。そしてそれをこそ『相棒を助ける』などと嘯く理由。僕には理解しかねるね。全く以て矛盾している…と思う。ある前提がなければね」「……」 36



「九龍。ひょっとして君、この世界が嫌いなんじゃないかな?」於炉血は不満げに目を細めた。九龍は何も応えなかった。「父と慕った男に裏切られ。母と慕った女に利用されそうになり。世界の支配者たる企業には、出自だけを理由に消されそうになり。この世界の全ては、君に都合が悪い」 37



於炉血は嘲笑うように言った。魂に鑢を掛け、神経を櫛るような声音であった。だが九龍は、その全てを聞き終えた後でせせら笑った。「だから嫌いなのか…ってか?ンなわけねえだろ。自分をコントロールできないガキじゃねえんだぞ、俺は」「……」 38



「ウェイランドは俺に命と、生きる術をくれた。朝子は俺に生き方を教えてくれた。企業は、俺の力を真正面から見定めようとしてくれている。そして……」九龍は視線を落とし、グレンマキナーを見た。力なく己に体を預ける女を。「……俺は、俺のいる世界が好きだよ。どんなクソみたいな世界でもな」 39



「ならば何故、世界を壊そうとする?」「それに答えることはできねえな。何故なら俺は…」九龍はグレンマキナーの体を掲げた。闇の中より汚穢なるク・リトル・リトルの鉤爪が伸び、摘み上げた。「この世界を守るからだ」 40



ク・リトル・リトルの触腕に、グレンマキナーの体が消えた。その数秒後、空間に邪悪が膨張した。ク・リトル・リトル、目覚めの胎動であった。九龍の体が浮き上がった。彼の体を青い、氷のように冷たい光が包む。それに呼応するように、ク・リトル・リトルは細い血管のような光に還元されていった。 41



光は九龍へと伸びた。彼を中心として絡み合い、交錯し、形を成してゆく。邪悪そのもの、ク・リトル・リトルの形へと。やがて光が消えた時、そこにいたのはク・リトル・リトルそのものであった。しかしその6つ目は黄金に輝き、誇り高き魂を宿す獣のようであった。 42



名状しがたき声でク・リトル・リトル…否、覇王九頭龍は吠えた。魂をも挽き潰し、世界そのものを揺るがす咆哮が絶対終末要塞に谺する。空間にヒビが走る。圧倒的情報量に耐えかねた世界の声が共鳴する。「ク・ハ・ハ…!」それを受け、於炉血は高揚し、笑った。 43



「何だか知らんが、とにかくよしッ!その全霊…受け止めて、打ち砕くッ!」於炉血の体が宙に浮かび上がった。彼は血のように赤い光に包まれると、そこから血管めいて細い光が伸びてゆく。光は絡み合い、交雑し、ク・リトル・リトルに匹敵する巨大な人型を描き出した。 44



光が消えた。そこにいたのは、白金の鉄人であった。太い手足に力が漲り、全ての邪悪を打ち倒さんと自身の体を支えている。トリコーンじみた兜から一角の生えた頭部はマスク的装甲に覆われ、しかしその狭間より、金色の瞳光を放っていた。全てを堕落させ、破滅へと導くかのような光を。 45



荒覇吐…否、砕凄鉄騎アラハバキは、全身の装甲をスライドさせた。プラズマ化するほどに圧縮された空気が吐き出され、赤い可視光線が血管めいてアラハバキを覆った。だが、アラハバキと覇王九頭龍の間に横たわる空気は、それすらも凌駕するほどに圧縮され、或いはたわみ、或いは張り詰めていた。 46



世界が揺らぐ。空間のヒビが瞬く間に世界を侵す。ポイント・オブ・ノーリターンを目指して転がり始めた崩壊。それに身を任せるかのように、九頭龍とアラハバキは同時に動いた!巨大魔神…激突! 47






(つづく)

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