【コール・ミー・カオルーン】 #2

覇王九頭龍の鉤爪が、砕凄鉄騎アラハバキの顔面を抉った。鋼鉄のマスクじみた装甲は、しかし刻まれた傷を瞬く間に再生し、上体を起こす勢いを乗せたアッパーカットを放つ。触腕群れる九頭龍の顎に白金の拳は吸い込まれ、吐き気を催すような巨体を大きく仰け反らせた。 1



しかし九頭龍は倒れず、バネじかけめいて体を起こすと、アラハバキの角に自らの頭を突き刺すように、大質量頭突きを見舞った。やはりよろめくアラハバキ。しかし九頭龍から、その距離は離隔しない。青黄色い血が角を伝って、アラハバキの目を汚す。九頭龍は、畳み掛けるようにフックを放つ。 2



空間にヒビが走る。激突より数十秒。闇から闇へ、無限遠と見紛うような玉座の間は、既に空間のヒビが蜘蛛の巣めいて這い回っていた。蒼白な銀河が落とす『恐怖』の視線を浴びながら、巨大魔神は眼前の敵を睨み続けた。そこに一切の躊躇はなく、ただ、敵を打倒する意志のみがある。 3



アラハバキの目が光った。鼻先で危険なエネルギーが収束するのを見た九頭龍は、自らの頭が割れるも構わずしゃがみこんだ。その上を、赤い光の線が焼いた。地球を貫いて余りある莫大なエネルギーは、無限のような闇の中へと呑まれてゆく。焼け解けた空気を散らすように、九頭龍はアッパーを放った。 4



白金の拳が落ち、抉るようなアッパーを押し留めた。衝撃が拡散する。空間のヒビから、欠片のように世界が崩れ落ちる。それを散らすかのように、アラハバキは拳をねじり、九頭龍を跪かせた。金属の中で、何かが反響するような音が漏れる。アラハバキが、於炉血が笑っているのだ。 5



九頭龍は、押さえ込む力に敢えて従った。それを逸らすかのように仰向けに倒れ込み、のしかかり来たる白金の巨体を足で受け止め流すようにして投げた!柔術アーツがひとつ、巴投げ!極めてポピュラーなアーツだが、理性なき獣に成せる技ではなく、未だ九頭龍が人としての心を持つ証左であった! 6



宙を舞い倒れ込むアラハバキ。九頭龍は後転してその背に跨ると、アラハバキの両足を脇に抱え、エビめいてアラハバキの体を反らさせた!暗黒武術の奥義、ボストンクラブ!返すことは極めて困難なフィニッシュホールド。尚も空間にヒビは走り続けるが、しかしそれはアラハバキの体にも伝播していた! 7



アラハバキのヒビから赤い光が漏れた。破滅的な熱量を孕むそれは瞬く間に膨張し、爆発した!弾け飛ぶ装甲。九頭龍はその暴威に吹き飛ばされる。刹那、闇に穿たれた光が名残惜しげに消える。そこには、全く装甲を復元されたアラハバキの姿!九頭龍は空中で体勢を立て直すと、強く睨み付けた。 8



九頭龍の背が隆起し、小さな翼が生えた。それをはためかせて着地すると、即座に動いた!空間のヒビを蹴散らすように走る!世界が揺れる!その激動に身を任せるように、巨大魔神は再び接敵し、激突した! 9






探偵粛清アスカ

【コール・ミー・カオルーン】 #2






闇の中に、蒼白な銀河が『恐怖』の視線を投げ落とす。それを受け止めるのは、網のように縦横無尽に伸びゆく黄金の星羅。その一つ一つが世界であり、或いは生ける者の魂である。過去、現在、未来。あらゆる時間、あらゆる存在を内包する。ロシュ限界の迷宮。しかし本来、世界とはここだけを指す。 10



明日香は三人の男女と対峙していた。亜麻色の髪の少年…いや、青年。闇より昏き黒のアオザイ纏いし少年。そして、黒いセーラー服の少女。特異点。明日香の頭に、そのような言葉が浮かんだ。しばし睨み合った後、少女は亜麻色の髪の青年を伴い、何処かへと歩き去って行った。 11



アオザイの少年は、彼女らを目で追っていた。しかし彼も、やがて空間に掻き消えて行った。これは、未来に起こる何事かの暗示だ。明日香はそう直感した。あらゆる時間と存在を内包するここならば、そのようなことも起こり得るだろう。 12



見渡せば、ある一つの星の中で、九頭龍とアラハバキが死合っていた。彼らの斗いによる巨大情報質量は、じきに自分たちの世界と、そこから連なる三千世界…否、全ての世界を圧潰するだろう。それは畢竟、真の世界たるロシュ限界の迷宮の終焉を意味する。それほどまでに、ここには空き容量がない。 13



無論、明日香はそれを黙って見ているつもりはなかった。だがク・リトル・リトルの捕食により、物理肉体を失っている。新たな肉体基盤となるものも存在しない。「どうしたモンかな…」明日香は独り言つと、迷宮を漂い始めた。金色の中に数多の生命の全てが、世界が流れ去って征く。 14



「あ…」明日香は一つの星の前で止まった。その中には探偵たちに嬲られる少女の姿。そして、光を赤に照り返す奇怪な髪の男に稽古を付けられる少女の姿。「この星、私だ…」真の世界に存在する真の己を、明日香は撫でた。魂魄、或いは真我と呼ばれるものだ。三次元世界の自分は、ここから落ちた影。 15



「全ての私はここから来た。だから私は私のまま…か」明日香は名残惜しげに呟くと、辺りを散策し始めた。自分がここにいるならば、自分の周りのものも近くにあるかも知れない。「あ…コレ、原だ」一つの星を覗き込んだ。「え、マジ…?昔のアイツ、こんな尖ってたのかよ。私のこと言えねえだろ」 16



明日香は悪戯っぽく笑うと、再び周遊する。そこで彼女は様々なものを見、知った。ディーサイドクロウとサンゼンレイブンの関係。蚩尤の真実。オーディンの正体。於炉血は、ウェイランド サーストンの真我から来たこと。1+1は何故2なのか。そして…いくら探せど、九龍の真我はどこにも無かった。 17



あらゆる生命に真我は存在する。当然、クローン体にもある筈だ。「…だが、意外とそうでもねえんだよな」突如、背後から投げ掛けられた声。振り向くと、そこには光を赤に照り返す黒い髪と、金色の瞳を持つ少年がいた。「九龍」「ああ」彼は、ばつが悪そうにはにかんだ。「俺だ」 18



「九龍」隙を与えないかのように、明日香は切り込んだ。「聞かせて。どうして於炉血に付いたの?」「別にそういうわけじゃないんだ。寧ろ逆さ」「…」「着いてきてくれ」言うが早いや、九龍は背を向けた。明日香は何も言わずに追従した。数多の世界が、生命が、金色に煌めきながら流れてゆく。 19



「世界は情報でできている。当然、真実の世界であるロシュ限界の迷宮も然りだ」九龍は言った。「俺たちの認識する三次元世界は、ここから落ちた影でしかないからだ。じゃあ、ある物体が三次元世界にはあるのに、ここにはない…そんなことは起こり得るか?」「…」 20



「答えはYESだ。例えばコキュートス・エクス・マキナ。例えば絶対終末要塞ラリエー。例えば…クローン人間」九龍は止まり、明日香を振り返った。「俺みたいなクローン人間は、真我がない。ロシュ限界の迷宮に、本当の世界に存在しない、蜃気楼みたいなものでしかないんだ。けどよ…」 21



九龍は傍らの小さな星を掴んだ。そこには地下の雨、星空探偵社そして明日香の記憶があった。「…見てくれよ。これは、俺だ」「…九龍の、真我」「ああ…!」九龍は明日香の肩を掴んだ。「見てくれよ…俺はこんなちっぽけで、儚くて…けど、確かにいるんだよ。この世界に、認められたんだよ…!」 22



九龍は引くように笑い始めた。彼の目から、涙が溢れる。「…九龍」明日香は呟いた。九龍の手が、力なく落ちた。「…生命体の複製に関する法律。俺が粛清に同行した切欠だ。覚えてるか」「複製元を含め、同一の生命体がニッポン標準時において168時間以上、同時に存在することを禁ずる…」 23



「これが制定された本当の理由、漸くわかったよ。こうなるからだ。俺のような奴が生まれるからだ」「…」「真我もまた情報だ。クローンが際限なく作られたら、本来存在しない筈の真我がどんどん生まれることになる。そして…世界の情報許容量を超える」「九龍!あんたまさか…」「ああ」 24



胸倉を掴もうとした明日香の手を、九龍は躱した。「だから俺は……芽生えた俺の真我ごと、消えることにするよ」「九龍!」明日香は叫び、九龍に近付こうとした。だが、いつの間にか、彼は目の前にいるのに、間には無限のような距離が隔たっているようであった。 25



「九龍!」「実際のところ、情報許容量の限界はそこまで大きく越えてる訳じゃない。俺が消えれば、崩壊までに猶予が生まれる筈だ。その間に…於炉血を斃してくれ。お前にそれを託す為に、ここに導かなきゃならなかった。お前の問に対する答がそれさ」「…九龍」彼は、目元を袖口で拭った。 26



「……俺は、俺のいた世界が好きだよ。どんなクソみたいな世界でも」九龍の体が、0と1に解け始めた。「篠田。俺が本当に生まれることが出来たのは、多分お前のお陰だ。お前と過ごした一週間弱は、辛いことも多かったけど…実りある時間だった。それがきっと、俺を…俺の、真我を、魂を……」「…」 27



「ありがとう、篠田。お前と会えて、本当に良かった」九龍の体が消えた。「俺のいた世界を頼んだぜ、相棒」九龍を構成していた最後の01が、世界の彼方へと散って行った。それきり、彼の声が聞こえることはなかった。後に残されたのは、小さな星。薄らぎ消えんとするそれを、明日香は見つめていた。 28



小さな星は鼓動めいて瞬く。その光の中に、九龍が粛清の中で感じた痛み。悲しみ。そして喜びがあった。明日香は強く拳を握った。九龍はこんな斗いの中で、何に喜びを感じていたのだろう?わからない。理解できない。推測する材料もない。だが、彼の感じていたそれは、紛れもない本物であった。 29



「…九龍」やがて明日香は呟いた。「あんたともあろう奴が、随分と短絡的じゃんか。普段から色々考えまくってる癖してさ」呆れたように言うと、明日香はその場を後にした。内なる囁きに従い、真っ直ぐに迷宮を飛翔する。そしてすぐに、明日香自身の真我を前にした。 30



瞬く星は、悲しみ、怒り、絶望し、昏い光を放っている。しかしそれは、確かに光であった。冷たく空っぽな黒い心の上で、闇を小さく照らす白い無垢なる光が、金色の中に宿っていた。「…覚悟なら、とうに決めた筈だ」明日香は呼吸を整えると、自らの真我、魂魄に、思い切り貫手を突き刺した。 31



瞬間、明日香の胸に激痛が走った。「あぐ…あぎ、ぎい、ああああああッ!」これまで感じたことのない痛み。己が魂を引き裂く痛苦は、あらゆる感覚を鋭敏にする。無様そのものの叫びが耳を貫く。それでも明日香は己の魂をねじり、探り、抉り散らす。その果てに何かを掴み…ようやく引き抜いた。 32



そして息を整えもせず、再び飛翔した。迷うことなく消えゆく九龍の真我の下に戻ると、己の真我より摘出したそれを、九龍の中にねじ込む。暫し苦しげに明滅していたそれは、すぐに光を安定させた。明日香は己から摘出した九龍の情報が彼の真我に馴染むのを見届けると、ようやく胸を撫で下ろした。 33



「そもそも情報量が問題なら、九龍。消えるべきはあんたじゃなくて、ラリエーとかいうクズ鉄だ。こいつを海の底に叩き返せば九龍、あんた一兆人分くらいの空き容量はできるでしょ」明日香はニヤリと笑った。「九龍。あんたの居場所は私が拓いておく。そこで自分の人生を生きな。九龍」 34



明日香は九龍の名を繰り返す。己にそれを聞かせるように。「九龍。私の中から、あんたに関する全ての情報を摘出した。直にあんたのことを忘れる。思い出しもしない筈だよ。……だから九龍。全部終わったら、私に会いに来てよ。そうしたら、今度は友達になろう。仕事の相棒とかじゃなく、ね」 35



九龍の真我は、赤子の寝息めいて小さく明滅した。明日香がそれを見、小さく笑うと同時に、引力が彼女を捉えた。明日香は、それに身を任せた。星は瞬く間に遠ざかり、ニューロンめいて張り巡らされた星羅の一部となる。それを見ながら、明日香は笑った。彼が世界の一部とならんことを願い。 36



「九龍。九龍」相棒の名を口の中で繰り返す。その名を己に刻み付けるが如く。それが如何に虚しいこととわかっていてさえ、抗わずにはいられない。やがて明日香は光に包まれ……そして、闇へと抜けた。青黒く苔むした床に倒れ伏す己を見出した彼女は、ゆっくりと起き上がった。 37



明日香には、機械ではない肉の体があった。ラリエー玉座の間には覇王九頭龍も、砕凄鉄騎アラハバキの姿もない。九龍の置土産のつもりであろうか。そう考え、明日香はまだ九龍を覚えていることに安堵した。ぐるりを見回すと、クローンレイブンが二人倒れている。九龍。そして…於炉血。 38



「う…」於炉血が呻き、起き上がった。「何だ。何が起きた。僕の力は…荒覇吐の力は、どこに消えた!?」「無様ですね、於炉血殿」明日香の声に、於炉血は顔を上げた。「君。君は…」「言わずともわかるでしょう。貴殿の力を奪ったのは、私ではありません」「…そうか」於炉血は九龍を睨んだ。 39



「僕が乗り越える障害としてデザインしたのは、飽くまでも監査官だ。君じゃあないんだよ、九龍」「どこまでも彼に邪魔される。哀れなものです」せせら笑う明日香。「ですが、訂正願いましょう。九龍が真に貴殿の障害となったのは、私あればこそ」「自分で言う?」「本人の言ですとも」 40



「そうか。何にせよ、力を奪われた僕の前に、最後に立ちはだかったのが君で良かった」「…」「物事は、障害を乗り越えてこそ大きな価値が生まれる。それは困難であればあるほどいい」「ならば貴殿は、最初から負けている。ただ駒としていた九龍に翻弄され、その挙句に全てを奪われたのですからね」 41



二人は同時に名刺を構えた。(株)ハイドアンドシーク諜報部13班『監査官』グレンマキナー。於炉血。次の瞬間、互いの名刺は相手の手の内にあった。戦士の流儀、名刺交換は成った。「星空探偵社、於炉血殿。粛清致します」厳粛に宣言するグレンマキナー。手招きする於炉血。…殺気が交錯し、弾けた! 42






(つづく)

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