【カウント・スタート、ドゥームズデイ・クロック】
かいわれ探偵社。過去未来含めニッポン最強の探偵社は何かと問われれば、万人が口を揃えてそう答えるだろう。僅か8人ばかりから成るこの探偵社は、全員が現在で言う特等探偵に値う実力を備えていた。尤もその区分は、ある意味では彼らが築いたと言える。 1
30年ほど前。突如としてマチダ・シティに出現したWi-Fi怪物マルファクター『Chīyóu』…蚩尤と呼ばれる存在が、後に魔王と称される6体の強力なマルファクターを率い、ニッポンに宣戦を布告した。蚩尤戦争と呼ばれるこの斗いに、かいわれ探偵社も参加していた。どちらとも敵対する第三勢力として。 2
開戦から半月ほど経過した後に突如として介入を始めたかいわれ探偵社は、魔王軍、トモシビグループ、自衛隊、在日米軍、一切の区別をせず暴虐の限りを尽くした。彼らによって全軍が潰滅。戦争の続行が不可能となり、講和が余儀なくされた。かくして蚩尤たち魔王は、ニッポンの一員となった。 3
蚩尤戦争の終結後、かいわれ探偵社は人材派遣会社としてトモシビグループに名を連ねた。彼らは企業を潰滅する際、技術を全て奪い取っていた。その全てを駆使し、瞬く間にトモシビグループ頂点10企業…火守となり、その中ですら頂点の座を奪う。彼らの企業としての名は、(株)ハイドアンドシーク。 4
今、謎めいた階層間空間で、モニターの光に照らされながら安楽椅子に身を預ける彼女もまた、ハイドアンドシーク初期メンバー…かいわれの一人だ。『レテ』のコードネームを冠する彼女は、監査官総監督…監査官を監査する立場である。豊かな黒髪の下、鋭く、しかし眠たげな目でモニターを流し見る。 5
「おやおや…おやおやおや」レテは独り言ちた。モニターには明日香からの報告メール。今回の粛清に関するそれには、九龍についても添えられていた。玉子のような肌に指を沿わせ思案する。彼女の外見は妙齢そのもの。「これはこれは。今回の粛清は大波乱の予感がするぞう!」レテは鮫めいて笑った。 6
探偵粛清アスカ
【カウント・スタート、ドゥームズデイ・クロック】
『仕事が楽しかった』『明るい職場』欺瞞的な音声が道行く人に投げ掛けられる大通り。誰も彼もが俯きながら通り過ぎてゆく。ぎらついたネオンサインが極彩色を落とし、無機質な人々を鮮やかに塗りたくっていた。この光景がニッポン中心都市・TOKYOの原風景となったのは、果たしていつなのだろう? 7
疲れきった営みを見下ろすは2つの建造物。ひとつは緋の楔…旧東京タワー。もうひとつは旧東京スカイツリー。ニッポン最大のオフィスビルに改装されたこれにはトモシビグループ頂点10企業、火守に連なる社のオフィスが入る。ニッポンを照らすべく火が焚べられたそれは、今日に灯台と呼ばれる。 8
九龍は明日香に連れられ、ハイドアンドシークの灯台オフィスを歩く。残業社員たちが各々の業務をこなす光景を、九龍はまじまじと見つめた。「あまり見ちゃダメだよ」明日香が咎めた。「ここ、産業スパイの部署だから。一応は部外者のキミが情報見ちゃったら、即刻処刑モンだよ」「お、おう…」 9
さらりと述べられた言葉に、九龍はたじろいだ。産業スパイが部署単位で存在するとは。アルバイトから戦争屋まで、用命とあらば何でも派遣する最強の人材派遣会社、その面目躍如という訳か。((…なんか違わない?))九龍は首を振った。明日香は、先にある個人オフィスに歩みを進め続ける。 10
「失礼しまーっす」明日香はノックもせず、諜報部長個人オフィスのドアを開けた。小綺麗な部屋にはマホガニーのデスクとコンピュータ。そしてその上に腰掛ける妙齢の女性のみであった。「やあやあ、待ってたよ」「えっ」明日香は凍りついた。「いやいや、まさか監査官代理がこんなラフな娘だとは」 11
「ッ、し失礼致しましたッ!」明日香は90度のお辞儀を仕掛けた。「あの、申し訳ありません!部長がいるものとばかり」「彼女なら定時上がりだと泣いて喜びながら帰ったよ。私がソコ使わせてもらっただけ」「はあ」怪訝そうに顔を上げる明日香。「失礼ながら、お名前を伺っても」「おお、そうだね」 12
女は懐から名刺を取り出し、明日香に差し出した。監査官総監督、レテ。「早い話がキミたちの元締めだよ。よろしく」「え…」お辞儀の角度を更に下げる明日香。「あっ、あの、あの、本当に申し訳ございません…」「別にいいよー。ヘーコラされるようなノリ嫌いだし」「ノリ…?」九龍が呆れた。 13
レテは九龍に向き直った。「初めまして。キミが九龍くんだね。ご足労に感謝するよ」「あ、どもッす」ぼんやりと頷く九龍を明日香が睨む。「いいんだよ、別に。監査官代理ちゃん、キミが上司に懐いてるのはよくわかったし」「……お恥ずかしい限りです」「あの」九龍が口を挟んだ。 14
「灯台に着いてから、血液だ釣瓶だ何だとされまくってた検査ッて何だったんスかね」「キミのオリジナルDNAを調べる必要があってね。理由はわかると思うけど」「…クローンレイブン、スか」「正解!」レテは手を叩いた。「キミが本当にそうなのか調べさせてもらったよ。結果、わかった」「…」 15
「九龍くん、キミは間違いなく『ニッポンで最も敵に回してはいけない男』サンゼンレイブンのクローンだ。作成時期は約一年前。提出された情報と合致するね」「お待ちください」明日香が声を上げた。「複製体に関する法律では、クローン体は168時間以上存在してはならない筈」「まさに、そこだ」 16
レテの顔から笑みが消えた。九龍は怯えた。彼女の目に、確かな殺意を見たのだ。「ちょ、ちょっと待てよ。その、サンゼンレイブンがもう死んでるとか」「彼は現在、町田にいる。弊社職員との交戦ログも残っているよ」「別人じゃねえの?と言うか、そんな仰々しい野郎のクローンなんて作れるのかよ」 17
「3年前の鴉羽戦役で、彼も無傷じゃなかったからね。結構手軽に作れるんだよ」「その、法律ちょっと破ったからって何なんだよ!」「その法律の違反者は、オリジナルも諸共に処分しなきゃいけないんだ。つまりキミを放置すれば、鴉羽戦役の再来ッてわけ。ニッポンの頂点として、見過ごせない」 18
「そんな」九龍は震えた。せっかく拾った命が、国民を守る力によって無惨に散らされようとしている。喰い破られた喉元に突き付けられた法の刃が、冷徹にきらめいていた。その輝きが、ただ恐ろしかった。「鴉羽戦役について説明しておこうか。そうすれば、よりハッキリわかるだろ?」レテは言った。 19
鴉羽戦役とは『鎖国』後のニッポンを襲った3つの戦争のうち最も新しく、過激なものである。3年前、突如としてニッポンに出現した『超人』サンゼンレイブン。牙を剥いた彼一人により、半月で人口の2.7%に当たる54万人が命を散らした。住民票を持たぬ者を含めると、その3倍に昇ると言われる。 20
この戦争の原因は、サンゼンレイブンがニッポンのルールを知らなかったことにあった。それに気付いた彼は降伏を宣言。様々な条件と共に、ニッポンに市民権を得た。「…ところが九龍くん。キミを生かして置くと、彼を処分しなければならない。落とし所がない戦が始まるんだよ」「…」 21
「始まってしまえば、誰にも止められない。そうなれば、ニッポンは今度こそ終わるだろうね」「じゃあ知らないフリすればいいだろ…」「そうも行かない。今、キミが知っちゃったから口封じが要る」レテの言葉に、九龍は俯いた。彼の瞳から雫が溢れる。暗く淀んだ、絶望の涙が。「お待ちください」 22
明日香がレテを睨んだ。「彼とて、いち個人です。それはあまりにも人道にもとります」「篠田」九龍は縋るように明日香を見た。レテの顔に笑顔が戻った。鮫のように凄絶な笑みが。「ク・ク・ク!よもやニッポンで人道と来たか。いいね、面白い」「…」「異議も入った所で、弊社の意向を伝えようか」 23
「最初から方向は決まっていたのですね」「そりゃ勿論。じゃなきゃとっとと暗殺して終わらせてるさ。キミにとっては、そっちの方が良かったかも知れないけどね」「既に彼と私は無関係ではありません。それを見捨てて良かったなど」「成程。キミが監査官代理に選ばれるわけだ」レテは顎をさすった。 24
「弊社の目を一年も掻い潜ったクローンレイブンの存在が、粛清対象と共に突如として浮上した。此度の粛清、間違いなく九龍殿が中心にいる。無為に処分はできない」「…」「故に粛清の遂行、並び九龍殿が弊社を欺いた方法の解明。そして九龍殿を除き、本件に関わる全クローンレイブンの処分。… 25
…以上3点。翌0000時より168時間以内の完遂で、遺伝子組み換えの後、九龍殿の市民権を保証する。これが弊社の決定だ」「…」九龍は、意外そうに目を瞬かせた。レテは肩を竦める。「九龍くん。サンゼンレイブンとの戦争は、何としても避けなければならないんだ。キミへの慈悲じゃない」 26
「あ、いや」九龍は首を振った。「その、なんか…そんなことでいいのかって」「そんなこと?」今度は、レテが目を瞬かせる番であった。地下に見える疑似太陽じみた丸い目を点滅させる。しかしそれは、見る間に笑いへと変わる。「ク・ク・ク…ウフフアハハハ、あーっはっはっはっは…!」「…?」 27
「いやいや、そっちの彼女を見てみなよ」九龍は促され、明日香に目を向けた。「…」彼女は顔を青ざめさせ、携帯端末に保存された粛清リストを眺めていた。肩は小刻みに震えている。「あの」「何かな?」「粛清対象、特等探偵社が含まれてます」「そうだね」「1週間以内に粛清を?」「そうだね」 28
「さらにクローンレイブンの処分?」「&九龍くんが隠れられた秘密だね」「1週間以内?」「1週間以内」「できなかったら」「ニッポンが終わる」「…」明日香からますます血の気が引く。「篠田…?」氷のように冷たくなった彼女を、九龍が気遣った。レテはニヤニヤと、明日香を眺めていた。 29
「いやいやいやいやいやッ!」突如、明日香は解き放たれたゼンマイ仕掛けの玩具じみて首を振った。「無理ですッ!無理ですってそんなデスマーチ!そも私の実力、1等探偵相当ですよッ!?」「なーに、バックアップは全力でする!気軽に死んでみようじゃあないかッ」「死んだら終わりですよーッ!」 30
「文句が多いなあ」レテは顔を顰めた。「じゃ、今すぐ九龍くんを殺せばいい。それで先の条件は全て無効だ」「…!」明日香は押し黙り、レテを睨んだ。レテはそこに含まれる怒りを見透かし、満足気に頷いた。「よろしい」レテは立ち上がり、九龍に歩み寄った。「彼、少し借りるよ」「俺?」 31
「先の条件に対して誓約書を作るから、確認とサインを頼むよ。頑張った挙句に口約束だからと反故にされるのは嫌だろう?」「…ッすね」レテに促され、九龍は退出する。「終わったら連絡するよ」明日香にウインクを投げ、レテもオフィスを後にした。「…」一人残された明日香は、大きく息を吐いた。 32
「大変なことになってしまった…」頭を抱え、うずくまる明日香。突如としてニッポンの未来を担わされるなど、粛清が始まった時には予想していなかった。できようものか。ディーサイドクロウは、これをこなしていたのか。明日香の頭を疑問が過る。粛清とは何なのだろう?その陰には何が潜んでいる? 33
小さく息を吐き、頭を振った。答えのわからぬことを考えても仕方がない。粛々と粛清を執行すべし。九龍が無関係でないならば、その先に答えがあるだろう。窓に近寄り、TOKYOを見下ろした。同棲中の恋人は、無事に家に辿り着いただろうか?暫く帰れない旨、後で連絡を入れなければならない。 34
猥雑で疲れ切ったこの都市に、自分は愛する人と生きている。それは守らなければならないし、自分の人生にできた目標のひとつであった。「…やってやるさ」眼下に広がるは暗黒の国家。闇の中で爪を研ぐ者を粛し、清める。それこそが、何より最初に心に誓ったことなのだから。 35
鱗 ×風切羽 車裂き 錆 白無垢 土蜘蛛 天秤 ×滲み ×包帯 水底 ×鑢
歯車
残粛清対象:8
ニッポン滅亡決定まで:168時間
探偵粛清アスカ
【カウント・スタート、ドゥームズデイ・クロック】
おわり
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