【ヤシオリ・ニーズ・ノー・ブッシュ】 #3
ニッポンの空は暗いが故に、夜明けと言えども光が差すことはない。貴賎を問わず、灯火は何よりも優先されるべき必需品である。しかし賎民にとっては貴重品でもあり、節約を余儀なくされる。こと町田に於いてはそれが顕著であり、町田のスラムに、電気は通っていないのだ。 1
沐辰は、音を立てぬようゆっくりと靴を履いた。心は重く、しかしそれを足に響かせてはならない。笙鈴は、すうすうと息を立てて眠っている。彼女を起こし、或いは省みる気にはなれなかった。昨夜、自分は妹と……。 2
だがあばら屋の古びた引戸は、彼の心を嘲笑うように容易く音を立てた。沐辰は慌てそれを押さえるが既に遅く、布団で寝ていた笙鈴が身を起こした。「兄ちゃん」「…」「どこ行くの?」「…仕事だよ。朝が早いんだ」「スリの?」沐辰は眉を顰めた。笙鈴の言葉には、確かな棘があった。 3
「悪いことは敵を作りやすいって知ってるでしょ?やめなよ。いつか叩き殺されちゃうよ」「そう言っても、オレみたいな学のないガキ雇ってくれる場所なんてねえよ」「じゃあもっと上手くやりなよ。昨日速攻でバレたんでしょ?」「やるよ。わかってる、大丈夫」「どうだか」笙鈴は呆れた。 4
「ずっとそう言ってるけどドジばかりじゃん。いい加減にやめてさ、お医者の先生のお手伝いとか…」「うるっさいなあ!」沐辰は叩き付けるように引き戸を閉めた。笙鈴は身を固くし、しかし沐辰から目を逸らさない。「…色々あるんだよ。俊豪とかへのショバ代とか。先生の手伝いじゃ足りねえんだよ」 5
「ならどうすんのさ。安定しない仕事とも言えないものに時間使って、怯えながら生きてくのかよ」「わかんねえだろそんなの。何かデカイの釣れるかもしれねえだろ」「そんな保障あるわけないじゃんか。信じろってのが無理あるよ」「じゃあどうしろッてんだよッ!」沐辰は唾を飛ばし叫んだ。 6
「学がなければオツムもねえ、タッパもなければ力もねえ!何もないオレがカネを手に入れるには他にねえんだよッ!」「ほんとに何もないのかよ。もっと周りを見て…」「うるせえなあ本当に!寝てるだけのお前の治療費稼ぐためにオレがどれだけ…!」「…」「…ごめん、言い過ぎた」 7
沐辰は肩を落とした。妹とて、好きで病気になった訳ではない。わかっている。わかっているのに。己を見る笙鈴の視線が痛い。横たわる沈黙が、重く体にのしかかって来る。それらから逃げるように、沐辰は家の外に滑り出た。「あまり遅くならないうちに帰って来るから」返答を待たず、戸を閉めた。 8
「何やってんだよ、オレはよう…」歩きながら独り言ちた。笙鈴の言う通りだ。スリのような水物の稼ぎをアテになど、賢い者のすることではない。だが自分のようなものを雇う者はあの医者以外に考えられず、だが、妹の病気の原因かも知れない、得体のわからぬものに身を寄せるのは、恐ろしかった。 9
((どうすりゃいいんだろうな、オレたち))沐辰は空を見上げた。鋳固められたような黒が広がり、都市に闇を落とす。電気の通らぬスラムは暗く、間隔を空けまばらに置かれた燭台が、頼りなげに道を照らしていた。道端に積まれた瓦礫は複雑な影を生み、その足元を定かならぬものに変える。 10
……この3時間後。蚩尤の矢が落ち、西部スラム街は消滅した。 11
探偵粛清アスカ
【ヤシオリ・ニーズ・ノー・ブッシュ】 #3
もうもうと立ち上がる粉塵の中、ディーサイドクロウは身を起こした。ぐるりを見渡さば、爆轟衝撃に引き千切られた人体が瓦礫と共に堆積する。そこかしこから火の手が上がり、闇を橙に染め上げていた。流れる血が朱に交わり、蛇めいてうねりながら地を這い進む。 12
かつて戦場で目にした戦略兵器にすら匹敵する破壊に、ディーサイドクロウは眉を顰めた。蚩尤。武と力の化身が、何故このスラムに?彼がいた筈の方向へ再び目を向けるが、既にそこに姿はない。((こっちに向かっているのか?いるんだろうな))舌を打つディーサイドクロウ。 13
推測できるのは、麻薬。その出処を潰しに来たのだろう。((…で、アイツおれに気付いてやがった。ならおれをボコって詳細を吐かせに来るよな、クソが))いらぬ面倒はごめんだ。ディーサイドクロウは走り出した。蚩尤到達まで推定1分。それまでにデンパリキュールを確保し、逃走する。拷問は後だ。 14
「「「「キエエエーッ!」」」」その瞬間、裂帛が轟いた。瓦礫を蹴り跳び、ディーサイドクロウを囲むように4人の戦士が飛び出す。…否。薄汚れ痩せ細り、体を血と煤に塗れさせた彼らは実際スラム民だ。デンパリキュールが、その能力で戦士としての力を植え付けたのだろう。「全く便利だなあオイ」 15
現れた民は着地と同時に水面蹴りを繰り出し、メイアルーアジコンパッソに繋げ、サマーソルトキックを放つと、チョップと正拳突きを数度ランダムに空打ちし、残心した。紛れもない戦士の動きであった。並の戦士であれば瞬く間に磨り潰さんが如き気迫を、やつれた貧民たちが纏っていた。 16
しかしディーサイドクロウは、それを退屈そうに眺めていた。「…学芸会は終わったか?」そして彼は棒付きキャンディを取り出し、噛み砕いた。「講評してやる。来な」「「「「キエエエーッ!」」」」民衆は同時に跳躍した!高みより振り下ろされる鉤手は、あらゆる方向への回避を許さない! 17
ディーサイドクロウは躊躇なく跳躍した。鉤手が弧を描くより早く、鋭い蹴りが一人を上方に吹き飛ばす!「ぎょぼあッ!」「せいやーッ!」その反動でディーサイドクロウは跳んだ!血色の軌跡が奔り、立て続けに3人を上方に弾く!襲撃者が縦一直線上に並ぶ。「情けねえ。テメエら全員落第だなッ!」 18
ディーサイドクロウはキャンディの棒を吐き、それを蹴り跳んだ!迸るエネルギーが螺旋を描き、巻き込まれた襲撃者は成す術もなく翻弄され、粉砕爆裂!「「「くるゃああーッ!」」」そして最上段最後の一人!ディーサイドクロウは攻撃態勢を解除、その肩に手を掛けた。「せいやーッ!」「ギュグッ」 19
その瞬間、最後の襲撃者は首が縦に270度回転し、全身の関節を外されていた。ぱくぱくと開閉する口から血の泡を吹く彼を見、ディーサイドクロウは哄笑した。「ハハハ、それでも死ねねえのか!デンパリキュールもひでえことするなあ!」彼はそのままにぐるりを見渡し、物陰に極彩色の影を認めた。 20
「獲物がいたぜ…!」最後の襲撃者を蹴り殺しながら、ディーサイドクロウは跳んだ。弾丸めいて飛翔する血色は、たちまち極彩色の影を貫き瓦礫を巻き上げる。「あひいいあッ!?」デンパリキュールが悲鳴を上げた。「おお、おお」恍惚とした表情のスラム民たちが刀を抜いた。「先生、先生を守らねば」 21
「せいやアアアアーッ!」回転チョップがソニックブームを巻き起こし、取り囲む5人市民を連続斬首殺!「あ、あひ、やめて」音を立てて体と首が落ちる中、デンパリキュールが後退った。「ハハハ、市民をNEWO≪ネオ≫能力で薬漬け洗脳状態にして襲わせようとしながら、自分は助かろうてか」 22
ディーサイドクロウはデンパリキュールの顔面を掴み、壁面に叩き付けた。「ごッ…」「楽には死なさねえぞ。キサマら教会とオロチの繋がり。洗いざらい吐かせた上で、生まれたことを後悔させてやる」ディーサイドクロウは、嗜虐心と怒りを綯い交ぜにしながら、言葉に乗せて吐き出した。その時だ。 23
「憤!」押し殺すような裂帛が響いた!「せいやーッ!」直前、ディーサイドクロウは側転を打っていた。彼がいた場所を長大な刃が薙ぎ、デンパリキュールの頭上の壁を通過する。石の壁は、斜めにずれ、落ちた。「…」苛立たし気に目を細めるディーサイドクロウ。その先にいたのは、六臂の魔神。 24
「蚩尤」「如何にも」牛頭の魔神は、四目を伏せると共に悠然と頷いた。彼は上四臂に槍、杖、斧、剣を、下二腕には弓と矢を掴んでいた。それらは自然体で垂れ下がり、しかし気力に満ち満ちていた。「何か用か」「貴公に訊ね事有り。故に出向いた」「ならまず武器を放せ」「此処は町田。武の都也」 25
「やっぱ頭おかしいよ、オマエ」ディーサイドクロウは足を踏み鳴らした。転がる刀の一双が浮き、両の手に収まる。デンパリキュールは、いつの間にか姿を消していた。「…貴公。手袋が失いな」「ちょっくら貸出中だ」ディーサイドクロウは刀を構えた。「必ずしも、必要じゃあないだろうサ」 26
「そうか」蚩尤は頷いた。「我が名は蚩尤。町田の王也」「ディーサイドクロウ。サラリーマンだ」挨拶と共に空気が撓んだ。時として、名刺の交換は省略されることがある。互いの合意の上で、挨拶を交わした場合だ。そしてその場合、多く戦は凄惨なものとなる。それは何故か?知る者は、ない……。 27
ディーサイドクロウの右目から血涙が流れた。それが合図となった!「憤!」蚩尤は次々と弓に矢を番え、機関銃めいて連続発射!ディーサイドクロウはジグザグに走り躱しながら接近。X字を描くように刀を振り上げる!「憤!」剣と斧が振り下ろされ、かち合って火花を立てた。火花を挟み、睨み合う。 28
「せいやーッ!」ディーサイドクロウが斧を弾き、跳躍した。そのすぐ下を、二本の矢が空気を螺旋状に抉りながら貫き、火の中に霞む石壁を粉砕した。「せいやーッ!」蚩尤の頭を蹴り、跳び離れる。文字通り手数が違う。深追いすれば、待つのは死のみ。そのビジョンはありありと見えていた。 29
未来予測演算。五感より得られる情報を元に、数手先をビジョンとして提示する。ディーサイドクロウはこれに長けるばかりか、彼のNEWOは能力としてこれを持つ。その精度は完全な未来予知とさえ呼べる程だ。これこそ、彼が最強と呼ばれる所以のひとつであった。 30
「せいやーッ!」ディーサイドクロウは両の刀を逆手に構え、蚩尤に斬り掛かった。蚩尤はそれに対応しようとするが、舞うような斬撃が出掛かりを打ち、押し留める。どれかひとつとて蚩尤の攻撃を通さば、待ち受けるのは致命。彼はその全てを押さえ、最中、斬撃を加えてゆく。 31
「楽しいか」攻撃を受けながら、蚩尤は問うた。「笑っているぞ、貴公」「いンや別に?」ディーサイドクロウは、手を緩めずに答える。そして、その笑みを隠そうともしなかった。「ならば何故に笑う。牙を剥くのみに非ず。其れは笑顔也」「斗うのが好きなんじゃない。おれは…」殺気が膨れ上がった! 32
「殺すのが好きなんだよッ!」瞬間、大上段より右の刀が振り下ろされた!速い!それは正しく、全精力を乗せた一撃であった!「ヌ…!」蚩尤は目を見開き、呻く。彼は1歩退き、刀の軌跡より脱した。だが!「せいやーッ!」刀は突如鋒を上向け、踏み込みと共に振り上げられた!「うぬおおッ!?」 33
秘剣・燕返し!急制動から方向を変える斬撃は、相対する者に一切の予断を許さない。だが、ディーサイドクロウの放つそれの速度は、殊更に常軌を逸していた!刃は更に退がる蚩尤の鼻先を掠め、薄く血を散らす。しかしその直後、刃は再び踏み込みと共に振り下ろされた!禁じ手、連続燕返しだ! 34
「憤!」蚩尤は更に退がりながら槍を揮い、横合いから刀を突き折りに掛かる。「せいやーッ!」鋼と鋼がぶつかり、鋭い音と火花を巻き上げ……蚩尤の槍が、下がった!「何…」狼狽する蚩尤。インパクトの直前、刀はディーサイドクロウの手の中で反転。槍を躱しつつ、峰で押さえたのだ! 35
蚩尤は逆の手に握った斧を揮おうとした。「せいやーッ!」しかしその瞬間、開いた隙間にディーサイドクロウは身を捩じ込み、すり抜けた。直後、蚩尤の胴が袈裟懸けに切り裂かれ、血を吹き出した。「おぐうッ…」膝を突く蚩尤。ディーサイドクロウは左の刀を順手に持ち替え、八相に構えた。 36
しかしディーサイドクロウが斬りつけようとした瞬間、蚩尤の体が更に傾ぐ。そこから放たれたのは、火山めいた後ろの蹴り上げであった!「ごブ…!」胸に巨大衝撃を受け、血を吐きながら打ち上げられるディーサイドクロウ。だがこれは織り込み済みであった。刀を下向け、高みより急襲せんと……。 37
その瞬間、ディーサイドクロウの脳裡を致命のビジョンが過ぎった。先程まで存在しなかった選択を、蚩尤は取ろうとしている。彼は身を起こし、ディーサイドクロウを見据え体に力を漲らせていた。回避はもはや間に合わぬ。ディーサイドクロウは身を守ろうとし……その瞬間、衝撃が体を突き抜けた。 38
力は渦巻き、全てをねじ切りながら直線上の空間を破壊していった。瓦礫。火。それらの中に眠る屍。全て、全てが綯い交ぜになり、砕け散ってゆく。ディーサイドクロウは、その圧倒的な力に耐えた。内臓と骨が粉と挽かれ、血が霧と変わって尚、耐え続けた。やがて力が消滅し、投げ出された。 39
ディーサイドクロウは痛みに耐えながら体を起こすと、力の奔流から解き放たれた粉塵の中、彼方まで続く破壊痕を見た。地は吹き飛び、チューブ状に抉れ、それが真っ直ぐに続いている。「無茶苦茶やりやがるぜ…」ディーサイドクロウは呟いた。彼は、蚩尤が放った技の術理を見破っていた。 40
四臂の武器と蹴りによる瞬間的な打撃で攻撃者の体内に衝撃を生み、二本の矢が放つ空気のうねりで封じ込める。それを頭突きで爆発させた。そしてそれには、刹那的な無拍子…脱力と緊張が必要だ。それはディーサイドクロウの奥義。先に放った連続燕返しに使った技術であり、そこから盗まれたのだ。 41
だが、その代償は重い。「ぐ、ごぼあッ…」粉塵の向こうで、巨大な何か…蚩尤ががっくりと膝を突いた。「全く、無茶するからだ」ディーサイドクロウは粉塵を手で払い、蚩尤に歩み寄った。「おれがソレ体得するのに何年修行したと思う?どんな天才だろうと見ただけで完コピは無理だ。断言するよ」 42
「ふ、ふふ…」蚩尤は四目を細めた。「ディーサイドクロウ。神殺しの爪、その渾名に偽り無しか」「そりゃそうだ。おれ最強だもん。ヒヒヒ」ディーサイドクロウは棒付きキャンディを咥えた。「で、まだやる?お互い、やらなきゃいけないことあるだろ。こんなしみったれた戦に命賭けてらんねえだろ」 43
「我は町田の王也。好敵手を前に武器を収める事能わず」「おれの方から命乞いしたってことにしとけ。欲しいんだろ?麻薬…デンパリキュールの情報が。推測だけどサ」「…」蚩尤はしばし黙して考え込むと、冗談めかして笑った。「…貴公は嘘吐き也。信用は不可能」「はぁ!?何だそれ、ひどくねぇ!?」 44
「真に斗いが好きでないなら、我が現れた時点でその提案をした筈。しなかったのは何故だ?」「あ、バレちゃった?ヒヒヒ」ディーサイドクロウは悪戯っぽく笑うと、携帯端末を取り出した。「仕事は楽しくやらねえとな。写真付きで説明するからちっと待ってろ。その間アメちゃん食うか?」「頂こう」 45
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立ち込める粉塵と炎を見、沐辰は首を振った。何だこれは。何が起こっている。スラムを出て数時間足らず。爆轟と共に、スラムは消滅した。爆発?戦争?或いは……蹂躙。わからない。何が起きている。この中に何がいる。どれだけの人が生きているだろうか。妹は。笙鈴は無事か。 46
沐辰は煙の中を走り出した。そこかしこから聞こえるのは、呻き声。結構な数の人が生き残っているらしい。だが見える範囲にいる生存者は、明らかにキマっていた。虚ろな目で涎を垂れ流し、袋から麻薬をスニッフする。それは痛みから逃れる為なのか?沐辰は極力見ないようにしながら走った。 47
頭の上半分がなくなったまま、笑ってうろつくヤク中がいた。体の半分が潰れたまま、涎と涙を垂らして寝息を立てるヤク中がいた。炎の匂いに魅入られ、立ち上る火に身を投げるヤク中がいた。全て麻薬…デンパリキュールの中毒者だ。笙鈴から生まれた麻薬だ。妹は、果たしてどうなってしまったのか。 48
見覚えのある角を曲がると、自宅がある筈の場所にあったのは、瓦礫の山であった。「笙鈴ッ!」叫び、瓦礫に取り付いた。手が傷つくも構わず、あらん限りの力でそれを退かしに掛かる。「笙鈴…笙鈴ッ!」止め処なく溢れる言葉。言いたいことがあった筈だ。だが、それは焦燥に埋もれていた。 49
沐辰は、早朝のことを思い出していた。強姦。喧嘩。その時、妹に対して投げた言葉。自分は、どれだけ妹を傷つけてしまったのか。あれが、あんなものが最期だとは。そんな自分が無事で、妹がこの破壊に巻き込まれてしまったとは!「なんでだよ…なんでなんだよ、畜生ォォォォッ!」 50
……その叫びに応えたのか。或いは単なる偶然か。沐辰はその瞬間、瓦礫の中に橙の光を見た。それは炎であり、しかし、彼はこの炎を知っていた。「笙鈴…?」声に応えるように、炎は小さく揺れた。「笙鈴ッ!」再び彼は瓦礫を退け始めた。それは内なる力によって容易く成り、彼は炎を掬い上げた。 51
炎は揺らいで消え、その中から現れたのは、薄く目を閉じた笙鈴であった。沐辰は彼女の肩を抱き、揺すった。「笙鈴…笙鈴…!」「ん……」やがて瞼が動き、瞳の中に沐辰の姿を認めた。「兄ちゃん……?」「ああ、兄ちゃんだ…!ごめん、笙鈴……オレ、お前にひどいこと……」 52
「いいよ、戻ってきてくれたし」笙鈴は体を起こそうとし、つんのめった。「あ、づうッ……」「あまり動くな。おぶるから、とにかく逃げよう」沐辰は笙鈴を大儀そうに背負う。「兄ちゃん、大丈夫?」「大丈夫だって!軽い軽い」「兄ちゃん力ないから心配だなあ」「うるさいよ。行くぞ」「うん」 53
沐辰は笑い、歩き出した。炎の中、体の一部を失った薬物中毒者が闊歩する間を縫い、歩く。「これからどこに行こうか」「私、ここ出たことないからなー…兄ちゃん、なんかアテないの?」「ケチなスリにあるわけないだろ」「それもそっか」「お前なあ…」二人は、呆れたように笑った。 54
その時だ。突如として、目の前が爆発した。「うわッ!?」笙鈴を庇いながら吹き飛び、転がる沐辰。吹き飛んだ土塊が徘徊中毒者を爆裂殺し、巻き上がった埃が橙の光の中に闇を生んだ。「な、何だ…」「其の娘を渡せ」粉塵の中から、地獄めいた声が響いた。直後、中から迸った旋風が、塵を払いのける。 55
土色の闇より現れたのは、四目牛頭の魔神であった。剣、槍、斧、杖、矢と弓を握る六臂には山脈の如き筋肉が隆起し、力を体現する。放たれる圧力は、ただそれだけで星の核すら圧し潰さんが如し。牛頭の魔神は沐辰を睨み、口を開いた。「我が名は蚩尤。町田の王。王命也、其の娘を渡せ」 56
(つづく)
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