【ヤシオリ・ニーズ・ノー・ブッシュ】 #2
ニッポンの都市は、駅を中心に発展した。当然、町田も蚩尤に占拠される以前はそうであり、カナガワ・ディストリクトとTOKYOを繋ぐ玄関のひとつだった。蚩尤戦争に際し、彼の者によって占拠されて以来、町田駅は彼の居城と作り変えられて久しい。即ち、蚩尤キャッスル町田である。 1
駅ビルを改造して作られた城は赤く、炎のような威圧感すら伴って聳え、町田を見下ろす。お膝下たる闘技場。蟻塚。民草の住まう地は見えない壁によって分断される。強き者犇めく街。弱き者の屯するスラム。それらが描き出す世界の、弱肉強食のタペストリーを遠く眺めながら、蚩尤は酒を呷った。 2
「其れで?」蚩尤は唸るように言った。彼の背後に跪いたままのコントンは、その背より放たれる圧力に震えた。それが己に向けられたものでないと知って尚、抗い難い力であった。コントンは更に深く頭を下げると、懐より小さな革袋を取り出す。中身より漏れ出る炎の匂いの誘惑を断ち、それを置いた。 3
「デンパリキュール…現在町田に蔓延する麻薬でございます。中枢神経伝達率を上昇させ、使用者の能力を向上。それに伴いドーパミンの分泌を極度に促します」「ドーパミン…脳内快楽物質」「は。それによる快楽を求め、麻薬を濫用するのです。電気信号が神経を焼き燃やし、その身を灰と変えるまで」 4
「…」「放置なされば、確実にアイアンロータスを破滅へと導きます。出元は町田西部。現在、これを滅ぼすべく派兵の準備を」「無用也」蚩尤はコントンの報告を遮った。彼は疑問の声を上げようとし、しかしその声を呑んだ。蚩尤から放たれる重圧は、コントンに呼吸すらも許さなかった。「我が出る」 5
「殿自らが…?」「腕が疼くのだ」蚩尤は六臂を戦慄かせた。正確には、下にある2本の腕。人工皮膚に覆われたそれは、実際サイバネ義手であった。かつて蚩尤の腕を断ったのは、30年前、蚩尤戦争の折に彼の前に立った一人の男。神殺しの爪、ディーサイドクロウ。その存在を、蚩尤は感じていた。 6
「彼の男が現れたれば、貴公らが一不可説と集まろうと勝つこと能わず。我のみが其れを成す也」「…殿、この街を滅ぼされるおつもりですか」「此れしきで滅ぶ都市に価値は無し」コントンは凍り付いた。主の、蚩尤の笑顔が、背中越しでさえ見えたからだ。闘争の愉悦。好敵手の鼓動。絶対暴威。破壊! 7
探偵粛清アスカ
【ヤシオリ・ニーズ・ノー・ブッシュ】 #2
「ンー、それじゃあお薬を食後にしっかり飲ませてくださいネ」肩越しに手を振りながら去る医者を見送ると、沐辰はあばら家の中に戻った。部屋の中に敷かれた一枚の布団。その中より這い出た少女が、立ち上がろうとしていた。「いいよ、寝たままで」沐辰は慌てて少女に駆け寄ると、押し留めた。 8
「笙鈴、まだ熱も下がってないだろ?寝てなって」「いやいや、大丈夫だって…ゲホッゲホッ」咳と共に、笙鈴と呼ばれた少女の口から灰のような物質が零れ落ちた。「ああほら、言わんこっちゃない」沐辰は笙鈴を布団に横たえると、灰を箒で掻き集めた。「しっかり寝てないと、良くならないぞ」 9
「けど兄ちゃんばっかり大変なことしてるじゃん。せめて料理くらいは…」「ダーメだ!」沐辰は妹の額を小突いた。「ビョーキの方が絶対大変なんだから、今は治すのに集中すんの!」「むう…」袋に灰をすっかり入れると、沐辰は台所に立った。「待ってろ、オカユ作っからな」「ありがと、兄ちゃん」 10
沐辰は水に漬けておいた玄米を鍋に上げるとマッチを擦り、竈に投げ入れた。うちわで風を送り、火を育てる。やがて火は大きく燃え、鍋を呵責なく苛み始めた。立ち上る火の臭いに、沐辰は眉を顰める。町田を席巻する麻薬、デンパリキュールと同じ臭いだ。沐辰はこの臭いが、たまらなく嫌いだった。 11
その後、それについて調べる男…ディーサイドクロウの顔が頭を過った。彼に譲渡された小切手は、結局1万S¥にしかならなかった。麻薬はいつから現れたか。出元。効果。特に流行っている地域は。投げられた4つの質問全てに、沐辰は『知らない』と答えた。彼はその嘘を全て見抜き、小切手に記した。 12
沐辰が知らないのは、効果。それ以外は全て知っていた。ディーサイドクロウはそれを見抜いた。去り際、小切手を自分の手に握らせた時に彼が見せた顔。他愛のない笑顔であったが、あまりにも恐ろしかった。いつか彼が自分の何もかもを解剖し、簒奪しに来るのではないか。 13
笙鈴が吐き出した灰の袋をちらと見る。一か月ほど前、妹は突如として灰を吐く奇病を患った。彼女が吐いた灰こそが麻薬、デンパリキュールだ。あれが麻薬であることが判明して以来、悪漢が自分たちを取り囲み、滲み出る蜜を啜る。自分たちには何のおこぼれもなく、ケチなスリ行為を余儀なくされる。 14
5年前からこのスラムに居つく医者は、懸命に彼女を診てくれている。だが沐辰は、彼に対する不信が拭えなかった。笙鈴が病を患う前の夜、闇の中で彼女を押さえる影があった。その声が、医者と同じだったと。そう記憶しているのだ。ともすると、彼が原因なのか?だが妹は、そんな記憶はないと語る。 15
思考の坩堝に入り込もうとしていた沐辰を、荒々しいノックが揺り戻した。「うおッ!?」声を上げる沐辰。はっとしたように口を押さえるが、もはや居留守は不可能であった。だが彼以上に笙鈴は身を固くし、不安げに兄を見ていた。「大丈夫だ、兄ちゃんに任せろ」沐辰は震える体に鞭打ち、外に出た。 16
暗い空の下、少年を迎えたのは俊豪であった。俊豪はこのスラムで最も優れた体格を持つ半グレであり、その体重は沐辰の倍近くにもなる。「よー、沐辰」「…」「オ?せっかく来てやったのにアイサツもなしか、ン?」俊豪は獰猛に笑うと沐辰にボディブローを見舞い、彼が折れた所に膝蹴りを浴びせた。 17
「ぎゅ…」「おおっと、悪ィ悪ィ。軽く撫でてやっただけなのにな。ちゃんとメシ食ってるのか、ン?」俊豪は、鼻血を流してうずくまる沐辰の髪を掴んだ。「メシと言えばボンクラ。聞いたぞ?今日、ナリのいい兄ちゃんに連れられてお高いモン食ってたらしいな?どこにそんなコネがあるんだお前よぉ」 18
「ち、違…」「血がぁ?そりゃ出るだろ、ブン殴ってんだからよぉ!」「グワーッ!」沐辰の顔面を地に叩き付けると、俊豪はあばら家の扉を蹴り開けた。材木の割れる音が響き、布団の中で少女が小さく声を上げる。「きゃっ…」「おーおー笙鈴ちゃん、かわいい悲鳴出してくれちゃうじゃないのぉ!」 19
俊豪は台所に近づくと、デンパリキュールの入った袋を開き、スニッフした。「アーッ!」彼は仰け反り絶頂すると、再び表に出、沐辰を片手で抱え上げた。「オラーッ!」「あぎゃっ…」沐辰は投げ飛ばされ、笙鈴の横に転がる。「で、お前はニイちゃんと何してたワケ?」俊豪はどっかと座り、問うた。 20
沐辰は沈黙した。ディーサイドクロウとの会話、それを語れば僅かな額とは言え、小切手が奪われてしまう。それは彼なりの僅かな抵抗であり、しかしあまりに雄弁な沈黙であった。俊豪は火に掛かったままの鍋を掴むと、沐辰に向かって無造作に投げた。傷ついた体で避けることはできず、顔面に受ける。 21
「うあああッ!」「兄ちゃん!」顔を焼かれのたうつ沐辰を見、俊豪は手を叩き笑った。それから彼は沐辰を押さえると懐をまさぐり、紙切れ…小切手を見出す。「アッハッハ!1万S¥ってずいぶんとしみったれた小切手じゃねえか、ディーサイドクロウさんとやらよぉ!これじゃあシノギにゃならねえな」 22
「うぐう、ぐううう…」「ま、いいや。コイツは貰っといてやるし、カスみてえなザコのお前に慈悲深い俺は仕事を与えてやるぜ」俊豪は布巾を水甕に浸すと、それを沐辰の顔に叩き付け、押さえた。「…!…!」「明日、またこのディーサイドなんとかさんに会って来い。もっとカネせびってやれ」 23
言葉と共に、濡れ布を掛けた顔に力を籠める。沐辰は藻掻き、俊豪の腕を掴んだ。「…ふーん」瞬間、彼の顔がサディスティックに歪み、叫んだ。「返事ィ!」「…!」「聞こえねーなァーッ!?」押さえられた顔で頷こうとする沐辰の頭を、何度も床に叩き付ける。「返事しろ返事ィ!俺が聞いてんだぞッ」 24
「やめて!」その時、笙鈴が声を張り上げた。口元から灰をこぼしながら、決然と俊豪を睨み付ける。重い沈黙が落ちる。沐辰は動かない。藻掻かない。濡れ布越しに僅かに伝わる呼吸だけが、蠕動するように響いていた。「笙鈴ちゃんがそういうなら、仕方ねェーなァー」やがて俊豪は、沐辰を放した。 25
それを認めると、笙鈴は沐辰の顔に貼り付く布を剥がした。空気を吸った彼は咳き込み、びくびくと痙攣する。「兄ちゃん…!」兄を抱え起こす笙鈴。割れた頭から血が流れ、水と涙で濡れた顔面を薄赤く染めた。「ギャハハハ!情けねえ男!恥ずかしくないのかお前!」再び座り込んだ俊豪が嘲笑った。 26
沐辰の俊豪を見る目には、もはや拭い切れない恐怖が籠っていた。力こそ全て。それが町田の掟であると、彼は思い出した。弱き者は奪われ、虐げられるのみ。生きる為には諂うしかない。沐辰が負け犬のネガティヴィティに支配されていることを、俊豪は見抜いていた。「で、だ」俊豪は言った。 27
「お前、さっき俺に抵抗したよな?カスみたいなザコの癖によぉ、俺のありがたい暴力から逃げようとしたよな?」凄む俊豪。その地獄めいた声の響きに、沐辰は震え、思わず目を逸らした。「笙鈴、お前もお前だよ。ザコの癖に俺に意見するとか、どんな了見だお前?病人とかいうザコの癖によぉ」 28
「そ、それは関係な」「あるねッ。ザコだから病気なんざ罹るんだ。そんなザコが俺に楯突くなんざ、それはそれは許し難えことなんだよ」言葉とは裏腹、彼の目にはサディスティックな光が宿っていた。そして、待ちかねていたオモチャを与えられた子供のような期待が。「おい沐辰。笙鈴を犯せ」 29
「おか…」「妹をファックしろッつってンだよ。見ててやるからよ」俊豪は、もはや下卑た感性を隠そうともしなかった。「12にもなってんだからヤり方くらいは知ってるだろ?さっさとヤれよ、情けないお兄ちゃんでごめんなさーいッて叫びながらよ」「え…いや…」俊豪は首を振る沐辰を殴り付けた。 30
「がぶひゅ…」「ヤれッつってんだろ。俺のことナメてんのか?こっぴどく殴られたいのか?それともまさか手本がないとできねえッてんじゃねえだろうな。できないなら素直に言えよ。お前の体で実演してやッから」沐辰は震えた。このスラムには、俊豪に犯され殺された子供はごまんといる。 31
俊豪はバイセクシャルのサディストであり、殺人性愛者にして異常性欲者、且つロリコンであり、ショタコンであった。15歳の彼が如何にしてそのような異常性癖を獲得するに至ったか、沐辰は杳として知らぬ。ただ、彼の餌食となった者の末路を知るのみだ。そしてその毒牙が、自分と妹に向かっている。 32
逃げることは不可能。ならばせめて、妹にそれが突き立てられることのないようにしなければ…。違う。言い訳だ。沐辰自身、それがわかっていた。俊豪が恐ろしい。それだけの理由で、妹を犯そうとする自分がいる。笙鈴は沐辰を見ると、受け入れるように目を閉じた。俊豪は笑い、麻薬をキメた。 33
粥の掛かった顔が燃えるように熱い。俊豪の口から歯がちらつく度じくじくと痛む。それに耐えかねたように、沐辰は笙鈴を押し倒した。「ごめん…ごめん…」言い訳じみた謝罪を誰ともなく漏らしながら服を剥ぎ取る。肌に指が触れる度、矮躯がぎゅっと縮む。沐辰は全てに目を瞑り、妹の恥丘に触れた。 34
────────────────
デンパリキュールは暗黒電脳教会の修道戦士であるが、多くの修道戦士がそうであるように、宗教家以外の側面も持っている。彼の場合は刀子探偵社所属の1等探偵だ。刀子探偵社は医療に対する諜報を旨とし、必然、極道との繋がりも強い。町田行きの切符は、そのルートから入手したものだ。 35
それを用い町田に潜入したデンパリキュールは、現在教会が手を組む秘密結社より渡された『遺体』というアーティファクトを用い、麻薬を作って町田に広めた。これは教祖たるマクシーム ルキーチ ソコロフに指示されたことであり、つまりは神聖クエストであった。 36
クエストに纏わるマクシームの記憶を己のNEWO≪ネオ≫能力で消し足跡を断つと、デンパリキュールは町田に溶け込んだ。『遺体』とやらは、人と同化させられる。それを利用して隠しながらプラントとし、生まれた薬を回収し、広める。それを遂行するには、医者という立場が望ましい。 37
周辺住人にNEWOの力で己の存在と信用を刷り込み、デンパリキュールは行動を開始した。それがおよそ一ヶ月前のことだ。スラムならば、まずバレることもない。住人は学がなく、騙しやすい。楽な仕事だ。この仕事に何の意味がある?考える気は起きなかった。考えることは、疲れる。 38
「先生…最近ダメなんです。何かわからないけど、何かが不安で何も手に付かなくて…」「ンー、そうなんです?じゃあ不安を除くお薬、多めに出しておきますネー」笑顔で立ち去る患者を見、デンパリキュールは軽蔑した。そんなものがある筈もないのに。学がないと、それすらもわからないのか。 39
馬鹿というのは、考えないから馬鹿なのではない。学がないから馬鹿なのだ。そしてそれは、きっと真実だ。母は真理を、教会の教義が真実であると知らなかった。故に否定し、そして死んだ。馬鹿だ。馬鹿だ。どこもかしこも馬鹿ばっかりだ。電波の海に逝けることの幸福に気付けぬとは。 40
診察室の扉が開く。次の馬鹿が来た。フードを目深に被った老人は、ヨボヨボとパイプ椅子に座った。「エー、今日はどうされましたかネ」「そのう、実は最近持病の五月病がひどくて」デンパリキュールは眉を顰めた。聞いたことのない病気だ。彼は実際、医療に興味はない。この分野で自分は馬鹿だ。 41
「ンー、そうですか」デンパリキュールは曖昧に頷いた。「それじゃあちょっと、アレしましょうかネ。心音とかそういうの聞いてみましょう」スラムに住まうは、ろくな医療どころか教育も受けたことのない馬鹿ばかりだ。それっぽいことで騙し果せる。老人はヨボヨボと頷くと、服をまくり上げた。 42
瞬間、デンパリキュールは息を呑んだ。現れた肉体は逞しく、しなやかで、一切の無駄がなかった。肥大した筋肉は正しく無敵の王国じみ、数多の戦場を渡り生き延びて来た強者の風格を放つ。腹斜筋から大胸筋にかけての盛り上がりはノコギリの刃、或いは突兀峨々たる山脈の連なりそのものだった。 43
「な…何だこの肉体はッッッ!?」「磨かれた技と肉体に神は宿る」老人…否、男は言った。銀の右目と金の左目がスクエアの眼鏡越しに爛々と輝き、デンパリキュールを睨む。黒い髪は光を血色に照り返し、燃え盛っていた。「せいやーッ!」服をまくっていた手が閃き、デンパリキュールの鎖骨を割った! 44
「せいやーッ!」事態を飲み込めず転がるデンパリキュールに、追撃のローキックが迫る。芋虫めいて転がり躱し、跳躍して態勢を立て直す。その時、男はスーツを纏って居住まいを正し、長い髪をポニーテールに括っていた。「な、何奴…!」デンパリキュールは問い、名刺を構える。 45
応じるように構えられた男の名刺を見た瞬間、デンパリキュールは凍り付いた。(株)ハイドアンドシーク諜報部13班長、ディーサイドクロウ。探偵にとっての絶対捕食者。血色の死神。神殺しの爪。何故!何故そんな者が目の前にいる!?名刺がはらりと手から零れ…次の瞬間、爪の名刺が肩に刺さっていた。 46
「ぎいやあああッ!?」「せいやーッ!」動転した彼に爪は瞬時に肉薄し、猛烈なラッシュを叩き込んだ。一打毎に肉が裂け、骨が砕ける。それでいて致命には絶対に至らない、戦闘力の一切を削ぐ打撃!デンパリキュールは恐怖した。絶望した。そして、Wi-Fiが起動した!『デンパリキュール』 47
…………ディーサイドクロウは、無人の診察室にぼんやりと佇む己を見出した。「あ…?」わざとらしく口に出し、首を傾げる。自分は何故、こんなところにいる?「ッてかどこだここ」とうとうボケが始まったか。自分自身の体を心配しながら、ぼんやりと頭を掻く。 48
その時、己の掌に何事かが刻まれていることに気付いた。『携帯端末を見ろ』。自分の字であった。「…」ディーサイドクロウは目を細めると、携帯端末を取り出す。そこには、見慣れないアプリがインストールされていた。『視覚記憶転写』。ディーサイドクロウはそれをタップした。 49
瞬間、画面が極彩色に回転を始めた。概念は幾度となく分離し、結合し、再び論理を整合させる。天空に昇った真理は散り散りに分かたれ、ディーサイドクロウの精神はそれを拾い集める旅に出た。旅を終えた時、ディーサイドクロウは全てを知り、或いは思い出した。「ああ、成程な」 50
このアプリは、マクシームから得た情報を元にディーサイドクロウが組んだものである。デンパリキュールは記憶系統に何らかの影響を及ぼす可能性が存在する。視覚情報よりデンパリキュールへの敵対記憶を想起させ、かつ右サイバネアイに記録された映像を確認する意識を作る、その為のアプリだ。 51
現に彼は、僅かな時間とは言えデンパリキュールへの敵対と、記憶そのものを消去されていた。だが逆説的に、記憶や認識への干渉が可能であるということが証明された形である。「OK。オマエのNEWOの性質…概ね読めたぜ、デンパリキュールさんよ」彼は、床に落ちたままの名刺を拾い上げた。 52
…ニッポンの空は暗い。スラムともなれば、尚更だ。ここに人を照らす光は乏しく、しかしだからこそ、一部の者にとっては好都合となる。例えば逃げる者。デンパリキュールは息を切らせ、引き裂かれんばかりの痛みに耐えながら走る。逃げなければ拷問の上で殺される。だが、そも何が狙いなのだ!? 53
「おお、お医者の先生でねえか」スラムの住人がデンパリキュールに声を掛けた。「どしたんすか、そんなに急いで」『デンパリキュール』「アババーッ!?」足元より広がる極彩色の液体めいたビジョンが、住人を侵食した。彼はたちまち目を蕩けさせ、膝から崩れ落ちる。だが突如跳ね起き、走り出す。 54
住人たちが、不安そうに家から顔を覗かせた。『デンパリキュール』のNEWOは次々と彼らを苛み、神経系を侵食する。そして脳神経に『自分を追う者を殺せ』と命令を刷り込み、走らせる。「逃げなければ…逃げなければ…!」だが、おお。それが道標となることに、彼は気付いていなかった。 55
「せいやーッ!せいやーッ!」裂帛が迫る。それは凄まじい速度で近づきつつあった。「ひィ…!」デンパリキュールは息を呑んだ。死が、後ろに…!だが次の瞬間!KRAAAASH!眼前の壁が弾け飛び、血色の死神が現れ出でた!「見ィーつけたァー!」「ひ、ひあ、ひ」「せいやーッ!」「ぎょあああッ!?」 56
デンパリキュールの鼻がもぎ取られた。倒れ込み、のたうつ彼を見下ろし、ディーサイドクロウは笑った。「どうした?まだ体中の骨が折れていくつか内臓が破裂して、鼻がなくなっただけじゃねえか。お楽しみの拷問タイムはこれからだぞ!気合い入れろよ、一生に一度なんだぞ!」「狂ってる…!」 57
デンパリキュールは絶望した。この男に目を付けられ、生き延びた者はいない。然るに、自分を待ち受ける残酷な運命を彼は想像した。((嫌だ…そんな痛いの、苦しいのは嫌だ…!))彼は怯え、助かりたいと願った。だが爪はそれを見、益々笑いを深くする。悪人の絶望は、彼の楽しみの一つでもある。 58
…だが拷問を続行しようとした瞬間、第六感が警鐘を鳴らした。「何だ…!」その一瞬の動揺を、デンパリキュールは見逃さなかった。彼は走り出し、路地の先に姿を消す。「アバーッ!」「アババーッ!?」悲鳴。NEWO能力で住民を侵している!「ちッ…!」爪はそれを無視し、耐ショック姿勢を取る! 59
その瞬間、町田西部を衝撃が駆け抜けた。駆け抜けるそれが建造物を薙ぎ倒し、人を吹き飛ばし、潰す。ディーサイドクロウは地を掴み、それに耐えた。彼はその最中、衝撃をもたらしたものを認識していた。嵐の中心点にあったのは一本の矢。それに込められた圧倒的なエネルギーに、彼は覚えがあった。 60
矢の入射角、見かけから推測される素材と重量。その他諸々の要素から、放たれた位置を特定する。右のサイバネアイが音を立ててズームし、そこにいる者を…四目六臂、牛頭の魔神を映し出した。町田の王、蚩尤。矢の一本で戦略兵器に匹敵する破壊をもたらす、圧倒的な力と武の化身を。 61
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます