【アット・ザ・プレイス・ウェア・ゴッド・ワズ・ボーン】 #3

遡ること数時間前。崩落したビルディング群が、傷跡を闇色の天に向け泣いていた。吐瀉物と赤土と廃液を混ぜたような臭いが立ち込め、空もまた涙ぐんでいることを教えている。命を奪う毒の雨は、町田にも等しく降り注ぐ。支配者の威光に翳り差す辺縁部であれば、殊更だ。 1



ニッポン仕様レインコートを纏った原 宏樹は、バイクの上で荷物を背負い直した。「本当にいいんですね?」「ああ…しゃーねえよ、うん…」同じくニッポン仕様レインコートに袖を通すディーサイドクロウが肩を落とした。青いリボンで結われた黒いポニーテールが、微かな光を血色に照り返す。 2



「しっかりしてくださいよ、班長。あなた戦斗技術と未来予知と顔だけが取り柄なんですから」「オマエ、おれを何だと…」「ニッポン最強の男でしょう」宏樹はキーを回した。エンジンが声を上げ、嬉しげに車体を震わせる。「その貴方だからこそ、俺たちは喜んで従うんです」「その割に一言多くね?」 3



「些末な問題です」「…」「任務を確認します」何か言いたげなディーサイドクロウを、宏樹は強引に黙らせた。「ひとつ、絶対終末要塞の浮上までの間、篠田をサポートすること。ふたつ、新たな魔王候補との接触。ですね?」「話をはぐらかすな。オマエおれを何だと」「任務はこれでいいんですね?」 4



「ああ、それでいいよ。だからさっさと答えろ、オマエはおれを」ブゥゥゥゥン!バイクはアクセルを吹かし、急発進した。「あッ、テメエ!」瞬時、疾走を始めるディーサイドクロウ。彼の足はバイクより遥かに速い!だが!「ぎゃああ!」転倒!彼の足の裏にはまきびしが刺さっていた。宏樹の仕業だ。 5



宏樹は、のたうちながら遠ざかっていく上司の姿をミラー越しに見、溜息を吐いた。ディーサイドクロウは人間的に褒められない部分も多く(しかもわざとやっている節がある)、滅多に本気を出すこともない昼行灯。しかし能力は紛れもなく極上であり、その未来予知も、疑うべくもなく本物だ。 6



何らかの制限こそあるそうだが、外れたことはない。故に、宏樹は感じ取っていた。じき、ニッポンを揺るがす何かが起こる。ディーサイドクロウが町田に来たのも、部下の篠田 明日香に探偵の粛清を指示したのも、それを防ぐ為なのだ。……ならば、自分は命令を忠実に遂行する、のみ。 7






探偵粛清アスカ

【アット・ザ・プレイス・ウェア・ゴッド・ワズ・ボーン】 #3






ねじくれ、うねり、あらゆる方向に枝分かれした廊下は血で染まり、抉れ、屍が累々する。穢れたWi-Fiを含む病んだ風が、ぼんやりと赤を撫ぜる。ここに発生した中規模戦斗を制したのは白無垢探偵社であった。しかしその傷は深く、また、水底探偵社に対しどれ程の損害を与えられたのかも定かではない。 8



水底探偵社は、牙とは異なる尋常ならざる何らかの何かを役する異形の探偵社だ。正気への挑戦としか言えぬその存在に付けられた傷は蒼海じみた膿に覆われ、速やかに体力を奪い、死に至らしめる。膿は触れた者にも広がり、まるで疫病めいて広がるのだ。そうして、白無垢探偵社は半壊に追い込まれた。 9



「残ったのはこれだけか…」点呼を終えた文宏は、10数名ばかりの探偵たちを眺めた。戦斗開始当初は49人もいた精鋭たちが、次々と命を散らす戦場。文宏にとってもこれほど激しい戦争は初めての経験であった。…否、激しさだけではない。此度の戦争は、イレギュラーがあまりに多すぎる。 10



護衛対象の位置も不明。敵対勢力の数も不明。戦場にここが選ばれた理由も不明。判明していることが少なすぎる。「指令故に受諾はしたが、あまりにも杜撰すぎる」水琴が不満げに漏らした。「これでは部下たちは犬死にしたようなものだぞ」「…」文宏は腕を組んだ。 11



「川上」「は」文宏の呼び掛けに、川上 康生が眼鏡を押し上げた。「何か考えはあるか?」「ふむ…」康生は携帯端末を取り出し、目を走らせる。彼は見かけ通りの高いIQを持つ。文宏は、それに賭けたのだ。ピポッ。生存探偵全員の携帯端末が、康生が送ったデータを受信した。 12



「これは?」「MoISの3Dマップです」「こんなものがあったなら最初に出したらどうだ」「…汚い手段も多かったもので」ばつが悪そうに康生は言った。文宏は首を振り、咎めんとした水琴を諌めた。「その是非は今は問うまい。続けてくれ」康生が画面をタップすると、赤い点が複数個光る。 13



「これは?」「弊社の交戦地点記録です」「ふむ」顎を擦る文宏。「何か気付きませんか?」「いや」康生はやはりと言うように目を細めると、もう一度、画面をタップする。すると、青い点が2つ灯った。更に画面をタップすると、青い点を結ぶ線が走る。線は、赤い点の全てを経由していた。 14



「MoISの出口からあるポイントまで、これを経由しながら一筆書きの要領でなぞることができます」「それがどうしたんだ」「私が気になるのは風です」康生は指先を唾液で湿し、立てた。「この風は迷宮の奥に向かって流れています。そしてその流れは、いま示した線と一致しています」「馬鹿な!」 15



康生は神妙に首を振った。「既に土蜘蛛探偵社から交戦地点を貰い、確認しています。彼らも出口からある地点まで、交戦地点を経由して一筆書きで結ぶことができ、その終端は我々のそれと同一でした。そしてそこに向かって風が流れている、と」「…」「我々の任務は『護衛」です」 16



「そこに我々が護衛すべきものがある、か」文宏の言葉に、康生は頷いた。「鎖探偵社とは?」「連絡が取れません」「そうか…」文宏は腕を組んだ。「もう一つサンプルがあればよかったが、何もないよりは遥かに良いか」迷いを払うように、文宏は頭を振った。「よし、それでは…」「お待ちを」 17



号令を掛けようとした文宏を、康生が制止した。彼は沈んだ瞳で考え込んでいる。「…」「どうした」「何故、土蜘蛛は我々に何も伝えず護衛の任だけを与えたのでしょう?」「川上」文宏が咎めた。「我々のすべき事は指令を計ることではない。わかっているな」「…わかっています」康生は顎を擦る。 18



「ク・リトル・リトルに連なる者を滅し、荒覇吐の塞を護ること。それが我々の仕事です」「そうだ。忘れるなよ」文宏は、康生を気遣うかのように言った。「これより、白無垢探偵社は新たに判明したポイントに向かう。川上、ナビゲートを。他の者は警戒しながら追随せよ!」「「「了解!」」」 19



隊列を組み、白無垢探偵社は歩き始めた。穢れたWi-Fiを孕む病んだ風をなぞるように。「康生」文宏は、目の前を歩く康生に声を掛けた。「お前、何を懸念してるんだ?さっきは遮って悪かったが…聞いておきてえ」「何もおかしいと思わなかったのか?」康生は目を細めた。「何がだ」 20



「交戦地点を一筆書きである地点に結ぶことができるだと?それの通りに風が流れてるだと?それが2組だと?馬鹿げてる」「…」「それにな、こんなWi-Fiを含んだ風、過去はなかったんだ。あったらトレジャーハンターたちが絶対に口に上らせる。けど、事前調査では誰も何も言わなかった」「…」 21



「俺じゃない。俺じゃないんだよ、その、一筆書きと風に気付いたのは。土蜘蛛だ。彼らから連絡があって、それで知ったんだ」康生は憔悴したように首を振る。「なあ、なんでそんなものに気付けるんだ?奴らは俺たちの知らない何かを知ってるんじゃないのか」「…」「文宏、お前はどうなんだ」「…」 22



「それにしたところで、偶然に頼りすぎてる。交戦地点だと?土蜘蛛の先見の明とか、そんなんじゃない。何か見えない力によってそうさせられてるとしか、俺にはそうとしか思えないんだ」「…」「文宏。この先に何があるんだ」康生は震えた。文宏は何を答えることもできなかった。彼とて知らぬのだ。 23



先に何かが待つとして、それは何ものなのだろう?土蜘蛛は知っているのか?文宏は携帯端末を見る。通知はない。撒餌のクローンレイブンと、囮の鎖探偵社は滅ぼされたと見ていいだろう。敵が無能でないなら、追撃をやめはしない筈。ここからが本番だ。廊下の脇、奈落が嘲笑ったような気がした。 24



────────────────




明日香は、残虐極まるネックハンギングツリーで鱗探偵社社長・インフォ ゲロッテルを吊り上げた。生体サイバネとは異なる何かに置換された彼の体は、見る影もなく痛めつけられている。周辺には同じく、冒涜的な異常生命にして人類汚濁の象徴じみた不浄な者共の、凍結無慈悲殺死体が転がっていた。 25



ゲロッテルの口から、ボロ切れじみた喘ぎが汚穢な黄色い血と共に零れた。「今一度、確認致します」明日香は冷ややかに言った。「鱗・錆・水底の3探偵社…ク・リトル・リトル派は、白無垢・土蜘蛛探偵社ら荒覇吐派の儀式を止めるべく、ここに乗り込んだ。鎖探偵社は荒覇吐派の雇われ。ですね?」 26



ゲロッテルは力なく頷いた。「も、こぉじで…」パキパキと音を立て、明日香が掴む首から、ゲロッテルの体を氷が覆ってゆく。「ああ…」訪れる死の予兆に彼は安堵の表情を見せると、氷の彫像へと変わり、砕け散った。蝋燭の火に煌めき散るそれに目もくれず、明日香は手をはたく。「終わりましたよ」 27



頭上の廊下から、九龍はひょっこりと顔を覗かせた。ぼう、と蝋燭の火が揺れ、彼の髪を血色に輝かせる。「なあ、篠田よう…」九龍はくるりと回りながら、明日香の横に着地した。「その、確かに情報は必要だろうしコイツらめちゃくちゃキモかったけどさ…あんなえげつねえ拷問しなくてもさ」 28



「必要です」明日香は不必要なまでに強く断言した。「戦力の逐次投入が下策であるのと同じ。最大火力で叩くべきです」「それにしちゃ、なんつうかよ」言い淀む九龍。明日香の面の下に潜む顔色か、或いはその底を窺っているのか。「…随分と私的な感情が混じってなかったか」「ふッ!」「ぐわッ!」 29



明日香は九龍の首元を掴み、壁に叩き付けた。九龍を睨む彼女の瞳の奥には、底知れぬ憤怒と憎悪が渦巻く。「大なり小なり誰もがやっていることです。貴方とて例外ではない。石動 朝子を、《ジャマダハル》を貴方が斃そうとしたのは何故です。感傷、センチメント、貴方の都合ではないのですか」 30



「そ、そうだけどよ…!」「立場という仮面なくして社会では生きられない。時折外して安らがせねば、癒着し、貼り付き、外せなくなる。いつか外そうと思った時、顔の皮ごと、全ての表情諸共に剥がすしかなくなるのです」「…」「私は、そうはなりたくない。いえ、きっと誰もが」「篠田…」 31



九龍はそれ以上、何も言えなかった。明日香の目に滾る憤怒と憎悪は既に潜み、常と変わらぬ冷徹に覆われていた。もはや九龍に、彼女の面の下に潜む思いを見ることはできない。…自分に、そこを覗く資格はあるのか?九龍は頭を振った。自分と彼女は、あくまでビジネスパートナーなのだ。だが…。 32



「シャギャアアア!」奇怪なる裂帛が轟いたのはその瞬間であった!「ふッ!」明日香は九龍を投げ捨て、裂帛の方向に鋭いアッパーカットを繰り出す。「へぶァ…」拳は襲撃者の陰鬱なる顔面に吸い込まれ、その鼻を凍結粉砕!襲撃者は吹き飛ぶ勢いでバク転、油断なく距離を取る。 33



明日香は、その隙に先手を打って名刺を構えていた。名刺交換はニッポン戦士の礼儀。無視することは許されない。襲撃男は頭を振って海藻じみた髪を払うと、名刺を取り出した。次の瞬間、名刺はすれ違い、相手の手の内に収められた。明日香は渡された名刺を確認する。水底探偵社社長・坂東 聡。 34



「輩の血でも啜りに現れましたか」「その通り。彼らの血は、オマエの命で贖おうぞ」聡は見るも恐ろしく、名状しがたき格闘を構える。明日香もまた、応じるように構えた。「シャギャアアア!」瞬間、聡は何かを投げ付ける。「ふッ!」明日香は氷の刃を投げ相殺。青黒い何かが弾け、氷の花と化した。 35



ニタリと笑う聡の掌から、青黒い、膿のような物質が爛れ落ちていた。「シャギャアアア!」聡は膿を乱れ撃った!明日香は氷刃連続投擲相殺!「ふッ!」乱れ舞う氷の花をスライディングで潜り…しかしその先、聡の姿はなし!「シャギャアアア!」彼は跳躍、九龍に襲い掛かっていた!「えッ!?俺!?」 36



明日香のスライディング足から氷が伸び、氷壁を形成。それを蹴り反転跳躍!氷刃を投げながら聡に向かう!「チイーッ」身を捻り躱した聡は、着地と同時に疾走を始めた。明日香は追いつつ、氷刃を投擲!聡は足を緩めず、膿を投げ相殺!迸る青き氷のラリーが、MoISに御神渡りじみた軌跡を遺す! 37



「…贖い、ですか」打ち合いながら、明日香は目を細めた。「そう、贖いよ。同胞殺せし血濡れたオマエの手。我ら探偵に万事を押しつけその犠牲に胡座を掻く民草達。それらを煽る企業共。それを由とするこの国土。全て、全てが罪に塗れておるわ」聡は歯を剥き出した。「故に、洗い流す。浄罪よ」 38



「何たる滅裂。ならばまず、貴方より罪を注ぐべし。己が胸先で罪を規定し裁かんとすその傲慢。それこそ最も深き罪!私が、粛清致します!」「シャギャアアア!」聡の攻勢が加速!明日香も憤怒を肢体に漲らせ、更なる速度で殺意を放つ!聡が加速!明日香が加速!加速!加速加速!加速加速加速! 39



加速を続ける飛翔体のラリーは、白熱して空気すら焼き焦がしていた。しかして真の一流にとってこれは単なる前哨戦、小手調べに過ぎない。真の戦、格闘戦に向け、致命の加速と共に疾駆する。その終着点は一つの観音開きであった。氷の花が生まれ、溶け、導く。二人は扉を、同時に蹴り開けた! 40



氷の塵となって倦んだ空気に散る扉を踏み、開けた空間に転がり込む。そこには多数の人間が存在していた。苦々し気に顔を歪める聡。明日香は、データベースで見た写真を想起、現実と重ね合わせる。((白無垢、土蜘蛛…))両粛清対象が睨み合っていた。驚愕する両社に、明日香は名刺を突き付けた! 41



…その頃、九龍は足を引きずり、氷の花弁を辿っていた。明日香に投げられた際にひねったのだ。「うう、くそぉ…何なんだよあの女。深い所に切り込む以上、覚悟はしてたけどさ…いきなり暴力はないだろ、暴力は」掴まれていた首をガリガリと掻く。変な締まり方をしたのか、未だに痒みが残っている。 42



だが、その後の襲撃者から、彼女が助けてくれたのもまた、事実であった。((あいつ、俺を狙ってたな…))であれば、クローンレイブンの守護を担っていた鎖とは別勢力、即ちク・リトル・リトル派。そして錆と鱗が消えた今、あれは水底探偵社。九龍は名刺を見たわけではなく、推理に頼らざるを得ない。 43



九龍は、水底探偵社については知らぬ。だが、あれが明日香と同程度の実力を持つ手練れであることは理解できた。歩けど続く氷の道標に一切の血は混じっておらず、互角のまま続いていることを示す。((…つまり篠田とあいつの勝敗は、俺が決めるッて訳だ))九龍は顎を擦り、歩き続ける。 44



しかし彼らと自分の実力は大きく開いている。生半な助太刀は邪魔でしか有り得ない。自分が出来る、的確で有効な援護とは何か?九龍は自分の頬を思い切り叩いた。ここ一つの正念場だ。挑戦は困難であるほど価値がある。星空探偵社社長にして父、ウェイランドの言葉だ。((気合い入れろよ、九龍!)) 45



…ルミナスバグは白無垢と土蜘蛛、水底、監査官代理と九龍の位置情報を見、ほくそ笑んだ。監査官代理へのMoIS情報のそれとないリーク。ただそれだけの手間が、自分の全てをこうまでも促進するとは。「筋書き以上だ。もう少し時間は掛かると思ったが…早く済むならそれに越したことはない」 46



もはやルミナスバグの武装は何もない。それでも彼は、悠々と九龍を尾け続けた。彼の足取りは軽く、何かを待ち侘びる子供じみていた。地下深きMoISよりなお深き深淵。そこから響くごく僅かな地鳴り。それはルミナスバグの足取りを肯定しているかのように、楽しげだった。 47






(つづく)

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