【ライフ・ライク・ア・デイドリーム】 #2

ビルディングの中は薄暗く、冷えていた。真壁 亮太は眉を顰める。冷房にしては、あまりに空気が清浄。何かが不自然だ。滲み探偵社は4等探偵社だが亮太自身は2等探偵であり、数え切れぬ死線を潜り抜けてきた。培われた戦斗者の勘が警鐘を鳴らしている。だが、アレを奪わず退くことは許されない。 1



「よし、安全だ。中に入れ」亮太は嘘をついた。クローンレイブンさえ手に入れば、探偵の代わりは作れるようになる。人件費も浮く。部下が全滅した場合の金勘定を頭の中でしながら、ぞろぞろと建物にエントリーする探偵たちを眺める。彼らが無軌道に動き、罠に掛かるのを期待して。 2



29、30、31、32…。全ての探偵がビルにエントリーしようとしている。既に入り込んだ探偵たちは、ある者は周囲を警戒し、ある者は既に確定されているであろう勝利に酔っている。どいつもこいつも、俺の盾になればいい。亮太は心の中で毒づいた。 3



その時、突如として冷気が増幅した。「な、何だこりゃあッ!」ビルにエントリーしようとした最後の探偵が叫ぶ。「た、たッ助けてええ!」扉の鴨居から氷の帳が垂れ、その内側に彼を封じようとしていた!「イヤーッ!」一人の探偵が跳び、刀で斬りかかった。だが触れた瞬間、彼にも氷が纏わりつく。 4



「ぎゃああッ!?」刀探偵もまた、氷に囚われゆく。「開け!」亮太は叫び、懐から小さな板状物体を取り出す。それは、スケルトン素材のカセットテープであった。カセットテープを拳銃型の再生機にセットし、氷の幕に向けると、銃爪を引いた。甲高い金属音が響き、氷の幕が裂け、その口を開く。 5



氷から解放され、探偵たちは倒れ込んだ。しかし氷は再び広がり、入り口を覆い隠す。否、入り口だけではない。今や室内は白い冷気がとぐろを巻き、育まれた氷柱が逆さタケノコめいて垂れ下がっていた。唇が乾き切れ、血が滲む。ビルディングに、紅蓮の地獄が現れようとしている。 6



『こんばんは、滲み探偵社様』突如としてひび割れた声が響いた。探偵たちは怯えたように目配せし、辺りを見回す。((ちッ、使えねえ))亮太は苛立ちながら、声の出元に大股で歩み寄った。氷を叩き割って消火栓を開ける。中には無線機と、一枚の名刺。(株)ハイドアンドシーク諜報部13班 篠田 明日香。 7



今朝方、包帯探偵社追滅依頼を発注した女の名刺であった。だが今ここにある名刺には、几帳面な文字で『監査官代理』と書き加えられていた。「マジかよ、あの女…」『偽りの依頼、失礼致しました。理由はおわかりですね』無線機の向こうから来る声は冷たく、無機質であった。『粛清を開始致します』 8



「ああああッ!?」探偵たちの中から声が上がった。一人の男の首にロープが巻き付き、通気口へと引き上げられる。彼の体は浮きながら凍り付き、微塵と砕かれ、赤い欠片をキラキラと舞わせながら通気口へと吸い込まれた。「ダクトだッ!エアダクトにいるぞッ!」亮太は天井に再生機を向ける。 9



カン!カン!カン!何かが音を立てて通風管を動き回る。「チイーッ!」亮太は再生機の銃爪を闇雲に引く。天井が、通風管が切り開かれ、その中を露にする度、凍った埃が光を散らす。「おい!」「やらいでかーッ!」一人の巨漢が、携えたミニガンを開かれた通風管に向けた。銃身が獰猛に回転する…! 10



BRRRRTTTT!熱い鉛が喉笛に喰らいつく牙めいて通風管を襲った。鉛が狭い金属の管を舐め回し、こそぎ落してゆく。ビルごと解体せんばかりの振動が生まれ、探偵たちを揺らす。それはビルの恐怖であろうか。振動が、天井に育まれる氷柱を次々とふるい落とす。その瞬間、亮太の第六感が悲鳴を上げた。 11



氷柱は空中で研ぎ澄まされ、槍となった。「んエ!」「グぃ」「ガむ!」氷に貫かれ絶命探偵多数!免れた者も体を抉られ、ある者は倒れ込んで絶叫する。「い、嫌だーッ!」ある者は突き付けられる殺意に耐えかね、逃走を図る!「やめろ!やめて!」「帰ります!帰ります!」触発されて逃走者が続出! 12



「ほんッと使えねえ!」亮太もまた、走り出した。固まっていれば手の打ちようはあったやも知れぬ。が、逃走者の出現により、それは水泡に帰した。もはや留まってはただの的、或いは餌である。せめて僅かでも態勢を立て直さなければならない。階段を駆け上がる。後ろから、断末魔の叫びが聞こえた。 13



青白く冷えた廊下に居並ぶ扉に、片っ端から手を掛ける。凍て付き固まった扉は、頑として立ちはだかるのみ。もはやその向こうは、人類生存不能領域であることは想像に難くない。離れて次へ。次へ。また次へ。急場しのぎの逃げ場を求め、扉に立ち向かう亮太。そして…ひとつの扉が開いた。 14



倉庫と思しき様々な物資が置かれた部屋であった。部屋は暖かく、暖房が効いている。旧世代ストーブの上に置かれたヤカンはしゅんしゅんと音を立て、空気を柔らかく湿す。その前には、毛布に包まれた一人の少女。包帯探偵社への斥候として送り込んだ菜摘であった。「菜摘!」勝也が飛び込んで来た。 15



後ろを見れば、幾人かの探偵が追従してきていた。中にはミニガンを背負った巨漢もいる。「おい」亮太は努めて平静に口を開いた。「二分でいい、外を少し見張れ。戻ったらボーナスは弾む」「へ?へ、へえ」ミニガン探偵が何人かを引き連れて退出するのを見届けると、亮太は菜摘に近づいた。 16



「フー…」煙草に火を点け、ゆっくりと燻らせる。「まさか生きてたとはなあ。流石にガッカリだぜ」「え?」愕然と顔を上げる勝也。「どういうことですか社長」「まんまだよ。生きてるッてことは、仕事を果たせなかったッてことだ」「どういうことですかッ!」激昂する勝也を、亮太は蹴り飛ばした。 17



「ぐあッ!」ストーブを薙ぎ倒しながら勝也は転がる。ヤカンが崩れ、沸かされていた湯が彼の体に赤い痕を刻む。「開け」亮太は胸元から新たなカセットテープを抜くと、再生機にセットした。スピーカーを菜摘に向けると、躊躇なく銃爪を引いた。菜摘の腹が毛布ごと切り裂かれ、鮮やかな赤を見せた。 18



「え、な」絶句する勝也。その衝撃に菜摘が目を覚まし、切り開かれた己の体を見て身震いした。流れる血は滴ることなく、菜摘の体にぶよぶよと纏わりつく。「動かなきゃ死なねえ。そういう魔法だ」亮太は再度銃爪を引いた。音と共に、菜摘の腹は更に切り開かれ……何らかの機械が顔を覗かせた。 19



「社長、何、…」「うるせえ」亮太は足元のヤカンを拾うと、勝也に叩き付けた。「ううッ…」彼の髪を掴んで引きずると、開かれた菜摘の腹…その中の機械へと突き付ける。「コイツは爆弾だ。精液に反応する、つまりはハニートラップだよ」「精、え…」「コイツが何してるか知らねえのかよ」 20



亮太は菜摘の上に勝也を投げ捨てた。菜摘は体を強張らせ、微動だにしまいとしていた。「包帯の色情狂が、極限状況で女を見つけたらファックしないわけがねえ。だから爆殺してもらおうと思ったんだが…アテが外れたか」「あ、アンタ…!」勝也が戦慄いた。「菜摘はまだ、11だぞ」「だから?」 21



亮太は勝也の頭を踏みつけた。「カネ欲しさに週一ペースで俺や同僚に股開くような売女だぞ。それで死ねるなら本望だろ」「え……?」「やっぱり知らなかったのか。妹が何してるかも知らねえで、ひでえ兄貴だなあ?」亮太は嘲笑いながら、胸元のマイクに空のカセットテープをセットした。「爆ぜろ」 22



録音されたそれを再生機に装填した。亮太の目は、もはや何らの感慨も抱いてはいなかった。「クソ、クソ、クソ」勝也は呻いた。「チクショウ……チクショウ……!」亮太は大きく煙草越しに煙を吸った。火が煙草を侵し、心を燃やし続ける勝也の背に落ちた。亮太は、気怠げに再生機を向けた。 23



その時!「いたぞぉ…!いたぞおおおおお!」部屋の外で悲鳴に近い雄叫び、そしてミニガンの咆哮が轟いた!「化物めえええええ!」「…ちッ」僅かな逡巡の後に亮太は勝也らから離れ、廊下へと向かった。「貫け!」新たな音を生成し、差し替えながら飛び出す!「出て来いクソッタレえええええ!」 24



ミニガンが、小銃が、金切り声を上げる。亮太は膝を突き、それらの向かう先に再生機を向けた。弾丸の破裂合唱に甲高い金属音が交錯し、氷が削れて粉塵が舞い上がる。熱された粉塵も、やがては冷えて煌めきながら落ちる。踊る光の先に、探偵たちは何もない空間を見出した。銃声が止まった。 25



探偵たちは廊下の先を見通した。抉れて灼ける壁を、冷気が優しく舐めている。探偵たちはミニガン男に咎めるような視線を向けた。「何を見た」見かねた亮太が口添えした。「本当に何かを見たのか」「見ました!」「だから何を」「見たんです」ミニガンは戦いた。「透明で…けど、目だけが光ってた」 26



「ふゥん…」亮太はぼんやりと頷くと、大きく抉られた弾着点に足を向けた。弾痕は廊下の突き当りに集中しているが、のみならず左右の壁も削り取られている。その大半は、自分たちの側に向かっていた。つまり、弾丸は弾かれていたのだ。それもミニガンの7.62mm弾を、的確に。敵のなんと恐るべきか。 27



そして如何なる手段か、姿を消している。先よりの極低温から鑑みるに、氷の粒で光を屈折させているのだろう。外部の様子を伺う為に目を除き、それが『目が光っていた』とされた、と言うところか。…だがそれは身を隠すだけで、決して守りはしない。亮太は、足元に溜まる赤黒い染みを見た。血痕だ。 28



血痕は、線を引いて曲がり角の先に向かっている。夥しくはないが、無視できぬ量だ。敵は、監査官は負傷している。ならば今が好機。「でかした、お前ら」亮太は探偵たちに声を掛けた。「この血を見ろ」探偵たちは駆け寄り、目を瞬かせた。「これは…!」「今なら殺れる。追うぞ」 29



赤い線を辿り出す亮太を、探偵たちは慌てて追った。「待て」亮太はそれを制する。「一定間隔で一人ずつ残れ。何かないとは限らん」「り、了解!」一人を置き、進む。伏兵の可能性は存在する。勝ち誇った時に横から殴らせれば、総崩れだ。わずかでも足を止め時間を稼ぐ、謂わば鳴子代わりである。 30



死者の都じみて静まり返るビルディングに、革靴が氷を踏む、乾いた音が響く。氷のあわいを征く探偵たちが、一人、また一人と数を減らしてゆく。青白く冷えた世界に、彼らを誘う赤黒が鮮やかだった。だがそれも少しずつ間隔が空き、薄れてゆく。もはやここが地獄の底だと言わんばかりに。 31



やがて、彼らはひとつの扉に辿り着いた。残っているのは亮太と、ミニガンの探偵のみ。亮太が部屋に突入し、どうにか廊下まで敵を誘い出す。そしてミニガンで殺す。その手筈だ。「わかってるな」「ハイ」ミニガン探偵は頷いた。ふうと息を吐き、亮太はノブに手を掛ける。意を決して……開いた。 32



パチパチと音を立て明滅する蛍光灯が、部屋の中にひとつのシルエットを描く。「コイツは…!」亮太は愕然とした。椅子の上に、死んだ探偵が座らされていた。千切れた彼の左腕からはどろりと凝った血が流れ落ち、足元に赤黒い溜まりを作っている。「まずいッ!」「グワーッ!」廊下から悲鳴! 33



振り返った時、そこにミニガン探偵の姿はない。音もなく破壊されたミニガンの残骸が点々と続き、誘っている!「ぎゃあああ!」その先からまたも悲鳴!「なんだテメあッ!?」残してきた探偵が絶叫した。発砲音が響き、マズルフラッシュが、無慈悲な格闘で探偵を殺す女の影を切り出す! 34



「チイーッ!」亮太は走り出した。自分が愚かだった。たかが小娘と、監査官の能力をどこかで侮っていたのだ。敵は紛れもないモンスター。逃走も許しはしないだろう。ならば斃す以外に道はなく、一人でも斗える部下を救わねばならない!悲鳴と残骸の後を追い、亮太は扉を蹴破った! 35



剥き出しの耐毒コンクリートに跡を刻みながら、亮太は目を剥いた。氷の柱が芸術的空間めいて立ち並び、空気を冷やしている。その中に閉じ込められるは、光を血のような赤に照り返す黒髪の青年。クローンレイブンが凍結処分されている!「クソッ…!」そしてそのあわい、暴虐を行う者あり! 36



「ふッ!」「グワーッ!」「ふッ!」「グワーッ!」長髪の女がかつてミニガンを背負うていた男に跨り、無慈悲なパウンドを繰り出す。砕けて落ち窪んだ眼窩の底で、彼は助けを求めるように目を動かした。「た、ひゅ…」「ふぅアァァァッ!」命乞いの哀願は、処刑チョップによって掻き消された。 37



断たれた首は恐怖の表情を張り付かせたまま凍てついた部屋を跳ね転がり、亮太の足元で止まった。亮太は、己を見上げる潰れた瞳と、いまだ痙攣する巨体を見比べる。そのどちらも、断面は凍り付いていた。監査官代理、篠田 明日香はゆらりと立ち上がり、冷酷な目を亮太に流した。 38



「ふむむ…」明日香は、クローンレイブンを閉じ込める氷の棺を撫でた。「これを見てロクな反応一つ見せぬとは。となると、包帯探偵社様との戦争は、これが理由ですね」「そうか…それを知りたいが為に、こんな大掛かりな真似を」「いいえ、それは違います」明日香は否定した。 39



「いち探偵社30ウン人を個別に粛清するのは面倒でしたので」明日香は名刺を構えた。亮太は震えた。恐怖ではなく…否、恐怖もある。だがその奥底に、炎が燃えていた。記憶の揺り籠に眠る過去が目覚め、泣き声を上げる。それは悲しみではなく、理不尽への怒りだ。ゴミめいて扱われることへの怒りだ。 40



力をより大きな力で奪われる弱肉強食の摂理。企業という大きな力に家族を奪われ、浮浪者に混ざり過ごした幼少期。企業に囚われ、人体実験を繰り返された日々。一纏めに扱われ、番号で管理される屈辱が蘇る。記憶は眠れど、その感情は常に心の底に横たわり、あらゆる根源と化していた。 41



「ナメやがって」怒りは力の源だ。高慢ちきな企業の犬を嬲って殺し、再び嬲る。クローンレイブンの亡骸を確保し、その技術を絞り出す。彼らと共に、ニッポンを変えるのだ。企業に阿らずとも、大手を振って歩ける国に。亮太は名刺を構えた。 42



一陣の殺意の風が吹き抜けた。次の瞬間、それぞれの名刺は、互いの手の中にあった。両者は、同時にそれを破り捨てた。名刺交換の終了からゼロコンマ2秒。二人は同時に動いた! 43






(つづく)

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