【ライフ・ライク・ア・デイドリーム】 #1

立ち並ぶビル群に遮られ、斜陽は地まで届かない。代わりにアスファルトを照らすは欲望に塗れたネオンサインであり、しかしてそれすらも空虚なままに、疲れ切った雑踏を汚すのみ。 1



耳にイヤホン、手には端末。Wi-Fi片手にインターネットへダイブする。疲弊した精神を安らがせる虚構の世界。インターネットこそ現代人のクレイドル。…ならばここも、そうであろう。ヨシノシステム社長・吉野 快は、フロントガラス越しに空を見上げた。LEDで作られた虚構の夕焼けを。 2



本物の空はこの遥か上にある。しかしてそれは、分厚い雲が常に闇を生み、時折毒を落とす無慈悲な空だ。人は、その下では生きられない。故に大地を天蓋とし、地下に潜む。尤も、『海外』からの観光客は、それをこそ有難がるようだが。 3



吉野 快は50数年前の『鎖国』からの動乱を生き延びてきた男だ。筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めてきたからこそ、吉野は、現代の人々には虚構こそが必要なのだと考えていた。だが…それだけでよいのだろうか。赤信号。ブレーキを踏み、車を止める。 4



同時、突如として後部座席のドアが開き、二人組が乗り込んで来た。フードを被り、マスクとサングラスで顔を隠す。不審者である!「な、何だお前たちは!」「アサシンっス!」背が高い方が言うと同時に、二人は拳銃を吉野に向けた。 5



BLAM!! BLAM!! BLAM!! BLAM!! 数えるのが馬鹿々々しくなるほどの銃声が轟く。それらは間違いなく車外にまで漏れていたが、誰一人として顔を上げる者はいない。信号が青に変わった。後続の車は、ガラスが真っ赤に染まった吉野の車を次々と追い越して行く。 6



…やがて銃声が止み、それから十数秒。吉野の車は、赤信号を無視して発進した。それを運転していたのは、顔を全く隠した不審者であった。 7




探偵粛清アスカ

【ライフ・ライク・ア・デイドリーム】 #1




夏場は、あばら家に吹き込む隙間風も生ぬるい。クソの役にも立たない人工気象システムにカネを使う位なら、自分たちのような貧民を救済してくれと、勝也はいつも願っていた。 8



ニッポンは腐っても…或いは腐りきっても資本主義社会であり、カネが無ければ何をすることもできない。生存することも、生存の為のカネを稼ぐことすらも。それに近しい身空の者が就ける職業は多くなく、強盗や極道の鉄砲玉、探偵などになるしかない。勝也らも、そうして探偵になった口だ。 9



「むッ!」布団の中でゲームのスタミナを消化していた菜摘が起き上がった。「兄ちゃん!見てコレ!」「ア?」メタンフェタミン・タブを齧っていた勝也は、菜摘が渡した端末に目を向ける。それは彼らの端末に紐付けられた共同口座であり、つい先ほど振り込みがあったばかりであった。その額は…。 10



「おお、すっげえ!これで今月はしのげるぞ!」勝也は破顔した。探偵の仕事は数あれど、やはり殺しが一番カネになる。滲み探偵社はロクデナシばかりだが、殺しが専門の為、羽振りはいい。 11



ほくほく顔で勝也は計算を始める。父が遺した借金。電気代。水道代。ガス代。家賃。弾代。みかじめ料。所得税。住居税。勤労税。空気税。他には。他には…。勝也の表情がみるみる曇ってゆく。今月を乗り切れるだろうか。 12



「兄ちゃん」菜摘が勝也の顔を覗き込んだ。「私、最近ちょっと、その、ダイエット、とか、だから…そんなにご飯なくても平気だよ」「オマエな、11歳なんて育ち盛りなんだからさ…まさかオマエ、昼間に殺したオッサン食べてないよな?」「……」 13



「その辺の人は食べちゃダメって言ってるだろ。どんなビョーキ持ってるかわかんないんだからな」「けど、そうでもしないと兄ちゃん、メタンフェタミン齧るしかしないじゃん」「俺はいいの。成長期終わってるから」「むう」不服気に唸る菜摘。勝也は菜摘に端末を押し付けると、布団を頭まで被せた。 14



「ほれ、寝ろ寝ろ!寝ないと大きくなれないぞ」言うなり、自分も布団を被り、勝也は目を閉じた。寝息が立ち始めるまで、ものの数秒も掛からない。菜摘は、兄を不満そうに見つめていた。やがて彼女は、メールアプリを立ち上げ、アドレス帳を開いた。宛先は…滲み探偵社社長、真壁 亮太。 15




︎︎────────────




激しい音と共に、座鯉は調度を巻き込みながら転がった。極低温まで冷却された家具は容易く砕け、煌めく破片を撒き散らす。座鯉の吐いた血が凍る。空気を求め喘いだ呼吸器に生存不能温度が雪崩込み、温度差に耐え切れず、座鯉は絶命した。 16



見下ろしながら、座鯉を殺害せしめた長髪の女は首を鳴らした。ガスマスクめいた面の下から覗く目は未だあどけなさを残す。彼女の周辺には座鯉と同じかそれ以上に無惨に凍てつき砕け散った屍が転がり、彼女はそれに何らの感慨を見せる様子もない。 17



「な、なんなんだよアンタよォ…」包帯探偵社社長・蒲原 武は弱々しく漏らした。彼は当に失禁していた。女は凍り付いた首を踏み潰し、凄んだ。「先も申しました通り、私は監査官代理。3等探偵にもなり、その意味がわからぬではないでしょう」女の声は未だ幼い。それが、死神じみた圧力を伴う。 18



「そ、そんな筋合いねえッてよォ…」「ならば抵抗の前に弁解をするべきでしたね。包帯探偵社社長、蒲原殿」女は携帯端末のカメラを真壁に向けた。その画面には、震える蒲原と彼の名、立場。そして……『粛清対象』の文字。「粛清致します」 19




────────────




滲み探偵社会議室。社長・真壁 亮太の号令により、所属探偵30人余りが一堂に集められていた。同じ探偵社に属せども、会うこともない者は多い。勝也は辺りを見回し、その中に菜摘の姿を探していた。『先に出てくれ』と言われその通りにしたが、時間近くなっても妹は現れない。電話にも応答はない。 20



「うし、全員揃ったな」亮太が紫煙と共に吐いた気怠げな声が、勝也の意識を引き戻した。はっとしたように周囲に目を走らせるが、やはり菜摘はいない。「でけえ依頼が入ってな。早速だが…」「す、済ンませン!」勝也は立ち上がった。周囲の探偵からの視線と共に、亮太の剣呑な苛立ちが突き刺さる。 21



「何だオマエ」「あっ、俺、勝也ッす!菜摘の兄の…」「ああ、お前が?菜摘なら、また別で極秘の仕事させてるよ」「え?あ…そッすか」勝也は黙した。菜摘からそのような話を聞いてはいない。極秘の仕事。自分にすら話せないものなのか。亮太は、無関心に手元のタブレットに目を向ける。 22



「じゃ、改めて…まず、包帯探偵社がウチと戦争状態にあるのは知ってるな?長いこと小競り合いが続いてたが…連中、トモシビの影を踏んだらしくてな。昨晩、監査官に粛清されたンだと」嘲るような笑いが上がった。亮太もまた、同じような色の笑顔を隠しはしない…どころか、より深さを増す。 23



「笑えるのはこッからだ。なんとその監査官、一部を取り逃がしちまったンだと!ハイドアンドシークも地に落ちたモンだよ」「……で、その後始末ッてワケですか」「そゆこと」探偵たちは失笑した。 24



同時、探偵たちが持つ携帯端末が、何某かの着信を告げた。亮太は、それを見るよう部下たちに促す。「えッ!?」「社長、コレマジ!?」「マジだ」亮太は笑った。探偵たちが見たのは預金アプリに紐付けられた自らの口座。彼らの口座に、報酬の100万新円(ニュー・イェン)が全額前金で振り込まれていた! 25



「包帯が逃げ込んだ場所は斥候が掴んでる。今夜2000時にココに集まれ。全員でヤツらを磨り潰すぞッ!それまで、ソイツで景気付けしときなッ!」再び、亮太の号令で探偵たちは一斉に立ち上がった。勝也もまた、彼らに続いて会議室を後にする。菜摘へのメールを打ちながら。 26



無事に帰って来られたら何をしようか。たまには贅沢に焼肉などどうだろう。禁止しているソーシャル・ゲームへの課金も、今回ばかりは許していいだろう。今、妹はどこにいるのだろう?きっと大きな斗いになる。そこから離れられるなら、それでもいいのかも知れない。 27



((メールくらいは返してほしいけどなあ))探偵たちに続き、勝也はビルを出た。まずは何かを食べ、それからカネの使い途を考えよう。頭上に輝くはLEDで描かれた紛い物の太陽。足元に侍る影を振り払うように歩く。昼食を終え、家で一息付き…任務が始まる時間になっても、菜摘からの連絡はなかった。 28




︎︎──────────── ︎︎




オダワラ・シティ。ハコネに近いここは、かつては温泉街への中継地として栄えていた。それは『鎖国』の後も同様であったが、30年ほど前に出現した『戦の魔王』蚩尤の町田征服により、TOKYOからのアクセスが至難化。瞬く間に衰退した。 29



かつての光に縋って灰に火を灯し続ける愚者は、闇の者の格好の餌食であった。極道によって都市は支配され、裏世界の流儀が蔓延る悪徳の都と変わるに、時間は掛からなかった。ドラッグ。セックス。その他諸々。オダワラは、あらゆる頽廃の代名詞となっていた。 30



しかして、そこにもトモシビの威光は届く。即ち極道との癒着だ。闇の者によって光は遮られ、より多く、複雑な影を落とす。後ろ暗い者は影に潜み、蔓延る。 31



オダワラ・シティ一角のビル。耐毒コンクリートが剥き出しの部屋は暗く、唯一の光源は、立ち並ぶ青白い光のみ。無感情な光が、凍える幼子めいて震える者共と、力なく倒れる少女の姿を、薄闇に浮かび上がらせる。 32



「ハァーッ!ハァーッ!クソッ」包帯探偵社社長、蒲原 武は毒づいた。先の粛清を命からがら逃げ果せたはいいものの、ほぼ全て部下を失った。周辺に配された監視カメラは、滲み探偵社が総力を持って接近するを報せる。「社長、どうすんですか」唯一生き残った部下が不安げに訊ね、並ぶ光を見た。 33



「コイツらがアテになるとは思えませんぜ」「だが、これを使わねえと…だが」迷いながら光源の前に立つ。そこにあるのは培養槽であった。青白い液体の中に、青年が浮かぶ。光を血のような赤に照り返す黒い髪が、謎めいて液体の中で揺らめく。彼は、全ての培養槽の中にいた。クローン人間である! 34



「クローンレイブン…調整は済んでる、筈だが…」「もし俺達を襲ってきたらどうするんです」部下が培養槽のひとつを指差した。それは大きく割れており、その下にはすっかり固まってしまった液体が広がる。ガラスの破片は、液体の下に散らばっていた。つまり、内側から破られたのだ。 35



「アー、クソクソクソッ!」武は頭を掻き毟った。倒れ伏す少女に近寄り、その服の中から身分証をひったくる。滲み探偵社所属、菜摘。名字はなく、極貧層にいることを示している。滲み探偵社の斥候だ。「幼女をファックしないとやってられねーぜッ」菜摘の服が剥ぎ取られた、その瞬間だった。 36



培養槽の陰から、突如として氷が床に走った。氷は瞬く間に部屋を侵食し、極低音の牢獄へと変わりゆく。培養槽が凍てつき砕け、しかしてそのままに固まっていた。「あ、ああああ……」探偵の一人が狼狽した。彼は昨夜の蹂躙を思い起こし、失禁していた。 37



「生命体の複製に関する法律」氷の柱と化した培養槽だったものの陰から、澄んだ声が投げ掛けられた。「複製元を含め、同一の生命体がニッポン標準時において168時間以上、同時に存在することを禁ずる……摘要ですが」語りながら、ガスマスクめいた面で顔下半分を覆ったスーツ姿の女が姿を表した。 38



「か…監査官、篠田 明日香殿」「これはこれは。見事に同一人物を複製されまくりましたね、蒲原 武殿。それもよもや『ニッポンで最も敵に回してはいけない男』をクローニングとは。命が惜しくないと見えます」「命が惜しくないか、だと」明日香の言葉に、武は目を細めた。 39



「この国に必要なのは、混沌を統べる絶対たる力。それがわからぬ輩に」「お黙りくださいませ」「あぎゃッ!?」瞬時に距離を詰めた明日香の手刀が、武の手足を断った。傷口は凍り、血が流れることはなかった。音を立てて転がる武に、明日香は携帯端末を見せた。 40



「これは…」武は唸った。近隣監視カメラのジャック映像。そこには、滲み探偵社の面々が映る。彼らの数は多く、総力と共にこちらに向かっているのが見て取れた。瞬間、彼は理解した。「まさか、滲みを誘き出す為に俺たちを…わざと逃したのか…!」「ようやくご理解頂けたようですね」 41



明日香は溜息をつくと、携帯端末をしまった。「改めて、包帯探偵社様。貴社を粛清致します」監査官代理は厳粛に宣言した。その数秒後、氷の獄は悲鳴の合唱に満たされた。近付きつつある滲み探偵社は、それに気付かない。自分たちを飲み込まんと広がり待ち構える口に、彼らは気付かない。 42




(つづく)

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